大学学部生だった頃、フランスのエクサンプロヴァンス(Aix-en-Provence)で留学生をしたことがある。2007年9月から2008年7月にかけてだから、今から十数年前のことだ。
エクサンプロヴァンスというのは南仏の一都市で、マルセイユから北へ30kmほど(バスで40分くらい)の内陸部に位置している。エクス(Aix)という名前はラテン語の名詞アクア(aqua, 水)の複数形奪格(ないし地格)アクィス(aquis)に由来するそうで、もともとは街の建設者であるローマ執政官に因んでアクアエ・セクスティアエ(Aquae Sextiae, セクスティウスの水)と呼ばれていたらしい。「水」というのはこの地に多くあった湧き水を指していて、現在も街のあちこちに噴水がある。小さくて美しい、歴史ある街である。
ポール・セザンヌや、エミール・ゾラ、フランス革命初期に活躍したミラボーのゆかりの地として有名である。また、Five Leaves Left(1969)でデビューする前のニック・ドレイク1が半年ほど留学生として滞在していた街としても(ある界隈では)知られていて、この地で録音されたデモがFamilly Tree(2007)に収録されている。
Mstrkrftが町にやってくる
エクスはこじんまりとした街だ。しかも学生が多い。愚鈍な学生がこういうところで過ごすと、二ヶ月も経つ頃には、街全体が、隅々に至るまで、明るく照らされているような錯覚に陥ってしまう。至るところに知り合いがいて、知り合いの知り合いがいて、同質的な人たちであふれているかのような勘違いをしてしまう。
Mstrkrft2がエクスのStudio 88 に来るというビラをたまたま見つけたのは、11月上旬だった。サボタージュというイベントで、デビューアルバムをだしたばかりのフランスのTeenage Bad Girlというデュオも出るらしい。街にもフランス語にも慣れてきて、いつもと違う遊び方をしてみたくなっていた時期だった。ただ、一人で出かけるのは少し不安だし、場違いな気もする。同じ学校のトルコ人留学生にそれとなく話をしてみた。彼女とは、フランス語が全くできない者同士、ひたすらミュージシャンの名前を言い合うという仕方でコミュニケーションを続けて来た仲だった。ところが彼女は、Mstrkrftは知ってるけど全く興味がないと即答。表情からは嫌悪感さえ読み取れる。それもそのはずで、彼女は当時、先述のニック・ドレイクの信者だったのだ(私がニック・ドレイクを教わったのも彼女からで、彼女の帰国後だった。この頃彼女は一人で聖地巡礼をしていたらしい)。ニック・ドレイクとMstrkrftを同時に聴くなんて、高価な中国茶によっちゃんイカを合わせるくらいまずい組み合わせに違いない。とにかく、一人で行くことになった。
エクスの狭い市街にはバーやクラブがいくつもあって、平日から人が集まる。ただし市街の店はどこもこじんまりとしているから、盛大に騒ぎたいときは郊外に点在するクラブへ出かけることになる。Studio 88もまた、郊外にポツンとあるクラブだった。足がない私は、街のロトンド(ラウンドアバウト)とStudio 88を往復するシャトルバンを利用することにした。
夜11時前、第一便の出発時刻に合わせてロトンドにつくと、誰もいなかった。待ち始めてしばらくすると、スキン・フェイド・カットにジョガーパンツという、いかにもやんちゃそうな若い男性3人組がやって来た。体格のいいのが一人、すこしぽっちゃりして目がくりっとしたのが一人、小柄で痩せているのが一人である。みんな二十歳くらいだろうか?すると体格のいい一人が、ライターを貸してくれと話しかけて来た。こういういでたちの若者に特有の、くぐもったような、独特の発声の仕方をする。彼は私が日本人だとわかると、ぐいぐいと距離を詰めながら興奮気味にいろいろと話をしてくれた。両親がベトナム出身で、東アジア人に親近感があるようだ。「福」の字をモチーフにしたネックレスを見せながら「な?」と言っている。Mstrkrftを見に行くのかと訊くと、「だれそれ?」と返って来た。その日は金曜日。とりあえず大きいクラブにいって騒ごうという了見のようだ。気がつくと、周りにはシャトルを待つ小さな人だかりができていた。
バンが遅れて到着した。周りにいた人が一斉にバンに群がる。もみくちゃにされながら唖然としていると、「ジャポネ!ジャポネ!」という叫び声がする。見ると、真っ先にバンに飛び乗っていたさっきの「福」のネックレスの彼が、続いて乗り込もうとする人達を両腕で制止しながら私を呼んでいる。彼のおかげで第一便に乗ることができた。
Studio 88に着いたが、すんなりとは入れてもらえなかった。海外のクラブでよくある「女性を同伴していない男性はお断り」ルールだ。普通にライブを見に来たつもりでいた私にとって、思わぬ落とし穴だった。同じバンで来た若い3人組は、あっさり入店を断られてしまった。ガードマンがこっちを見る。語彙力が全くなかった私は、とりあえず「音楽が好きなんです!」と大声で訴えた。完全に間抜けだが、ガードマンは苦笑いをしながら私を通してくれた。振り返ると、3人組が「俺たちのことはいいからお前は先にいけ」と目で言っている。
車道の真ん中で輪になって
イベント自体はそんなに盛り上がっていなかった。メインだったMstrkrftが終わってしばらくすると、さっきの3人組に声をかけられた。どうやらうまい具合に女の子を見つけて関門を突破していたようだ。一緒に帰ることになった。
外に出ると、シャトルの運行は終わっていた。時刻は朝の5時ごろ。始発のバスを待とうとしたが、南仏とは言え、11月の夜明け前。とても寒い。3人組のうちの一人が、私にいくらもっているかと訊いてきた。実際の所持金より少なめに答えたが、満足そうな顔をしている。みんなで出し合ってタクシーを呼ぶらしい。
かなり時間が経ってから、一台のタクシーが到着した。と、私たちの隣で同じように震えていたちょいワル風中年男性4人組が、タクシーに向かって駆け出した。こちらの3人組のうち一番小柄な一人が慌てて運転手に確認しに向かった。彼が叫びだした。どうやらこっちが呼んだタクシーだったようだ。なんて大人気ないおっさんたちだろう。タクシーのちょいワルたちと揉める3人組。すると次の瞬間、3人組がタクシーから一人のちょいワルを引っ張り出した。そしてそのまま車道の真ん中まで引きずっていって、蹴るわ蹴るわ。3人が輪になって、何の躊躇もなく、スポーツをするかのように健康的に、蹴る。おっさん死ぬんじゃないか、警察沙汰になるんじゃないか、そうなったら私はどうなるだろう、などと思いながら見ていたら、仲間の一人が隙をついてこのおっさんを救い出し、タクシーで去っていった。私は胸を撫で下ろした。
2008年7月に撮影されたStudio 88付近のストリート・ビュー。赤い瓦屋根、白い漆喰、小さな窓というこの地方の伝統的な田舎家を改装して使用しているのがわかる。このクラブはその後数度名前を変えながらも営業が続けられていたが、2015年に放火の被害にあってしまう。現在営業しているかは未確認。
結局3人組と私は、始発のバスを待って街まで帰ることにした。バスの中でも3人組は興奮冷めやらぬ様子で、「あのおっさん死んだら面白かったのにな」とか言っている。街に着いたが(普通に無賃乗車をしていた)、まだ夜明け前だ。すると3人は、私が内心ずっと恐れていたことを言い始めた。大学寮の私の部屋で休みたいと言うのだ。——3人が私の部屋に来ることになった。
部屋に入れることに関しては譲ったが、このまま一日中部屋にいられるのだけは絶対に避けたかった。そこで私はベッドを3人に貸して、自分だけ起きていることにした。昼前には出て行ってもらおう…。3人の寝息を聞きながら、私は半醒半睡の状態でひたすら時間が過ぎるのを待った。
3時間ほど経つと、3人組が目覚め始めた。日はもうとっくに昇っていて、差し込む光で部屋も明るい。目を擦りながら、「ずっと起きてたの?ごめんね」と言っている。そのとき私は、この3人組が思っていた以上に幼ないことに気づいた。実は高校1年生くらいなのではないだろうか。一番小柄な子は、中学生だとしても不思議ではない。みんなびっくりするくらいあどけない。キョロキョロして「これ何の本?」「このシロップ美味しい?」などと聞いてくるのだが、決して触れようとしない。(今考えれば、部屋があまりにも汚くて引いていたのかもしれない。)そのうち3人は、寮のエントランスまで送ろうとする私を制止し、「ベッドを貸してくれてありがとう」と笑って爽やかに帰って行った。さっきまでの彼らとの落差といったらない。でも多分、あどけなさと暴力は何の矛盾もなく共存できるものなのだろう。
3人組のうち、「福」のネックレスの少年とは、その後一度だけ街ですれ違ったことがある。どうやら学校帰りのようだったが、同い年くらいの女の子と肩を寄せ合いながら歩いていた。彼は私を見るなり近づいてきて、「これ超おいしいんだよ、持っていけよ」と、ペットボトル入りのミックスジュースをくれた。一人になってから一口飲んでみたら、確かに美味い。しかも、ペットボトルにはジュースがまだ半分以上残っていた。
(文:樋口 雄哉)
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