タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

3つ目のハリラヤ

以前、犠牲祭ともいわれるイード・アル=アドハについて書いた。イードとはアラビア語でお祭りを意味する言葉だ。イードという言葉も使われるけれど、タイ南部やマレーシア、インドネシアではハリラヤといわれることが多い。タイ南部では、さらに縮まってラーヨーといわれる。イスラム教徒にとって、ハレの日が二つある。ラマダン明けを祝うハリラヤ・プアサ(ラーヨー・ポーソー)と巡礼月の最後を祝うハリラヤ・ハジ(ラーヨー・ハジ)である。しかし後に述べるように、タイ深南部には3つ目のハリラヤがあり、その是非が問題となっている。今回はムスリムのお正月とでも言ってよさそうな「ラマダン明けのハリラヤ」がいかに苦行のような日か(もちろん私にとって)、そして許されざる「3つ目のハリラヤ」について書いてみようと思う。

ラマダン明けのハリラヤの日にやらなくてはならないこととは、ただひたすら親戚や友人の家をめぐって挨拶をし、出されたご飯やお菓子を食べることである。これが実は、想像する以上に辛い。ハリラヤを3回経験したけれど、ご飯を残すとお百姓さんが悲しむよと言われて育ったからか、出されたら断れない性格のせいか、胃袋を酷使した末にダウンするのが定番のコースになっている。2015年6月、初めて現地で迎えたラマダン。水が飲めないのがつらかったとはいえ、私は断食をすることに関してはまったく問題なく過ごしていた。むしろ意識高い人になった気持がして、清々しいくらいだった。

ハリラヤ(ラーヨー)の日

7月17日、ハリラヤの当日、私は朝の8時に大学の近くのアパートでピックアップされた。まず友人の実家で、カノムチーン(素麺にグリーンカレーをかけたようなもの)、カオモックアラブ(アラブ風チキンライス)をよばれる。かなり美味しかったこともあって、全部食べてしまった。ここでまず、ペースを誤ったといえる。私たちは次に、手術を受けたばかりで病み上がりの大学生の家をたずね、そこで出されたトゥパとタパイ、カレーを食べた。

ハリラヤには欠かすことができないトゥパ。簡単そうでいて包むのがなかなか難しい。

ハリラヤの饗宴に欠かすことができないのが、トゥパとタパイである。トゥパはチマキのようなもので、ココナッツミルクで煮たもち米をシュロの葉で包んで、さらに蒸したものだ。トゥパはタイ南部では三角形に成型されるが、マレーシアでは四角形をしていることが多い。タパイは、米にイースト菌を加えて発酵させて作ったものだ。タパイを初めて口にしたのは病み上がりの大学生の家で、ピンクの小さなプラスチックカップに小分けにして入れられていた。妹たちが作ったようだ。勧められるがまま口に含むと、どう考えてもお酒の味がした。あれ、お酒の味がすると思ってもう一口、さらにもう一口食べてしまったことで後々後悔することになる。

その後さらに友人の親類の家で、サテ(串焼き)、牛肉煮込み、ナシインピ(固めたご飯、だいたいキュウリとともに出てくる)がふるまわれた。この頃には、食べ物を前に感謝の気持ちが全く湧かなくなり、むしろ苦行のようになってきていた。ただただ、義務のように口に運び、飲み込むことを繰り返す。我に返って、出されたご飯のおいしさを一生懸命味わおうと気力を振り絞るも、喉のすぐ下まで食べ物が詰まり胃袋が限界だと脳に直接指令を送っているようだった。膨れ上がった胃を抱え、午後3時頃に朝から行動を共にした友人といったん別れた。約束をしていた別の友人宅についたのは夕方の4時頃、カノムチーンとピザパンをふるまわれた。タパイを食べてからずっと二日酔いのような症状が出ていたこともあり、その後の誘いを断って下宿にたどり着くなりベッドに倒れこんだ。後のことは覚えていない。

暇な人しか祝えない3つ目のハリラヤ

ハリラヤの日から6日が過ぎて胃も回復したころ、私はラーヨーネーと呼ばれるもう一つのハリラヤに参加すべく、とある田舎町に移動した。タイ深南部には、ラーヨーネーと呼ばれるもう一つのハリラヤがある。ラマダンに入る前に、ある田舎の町でラーヨーネーのことを耳に挟んだ。ネーの方では、何やら断食を6日間継続し、ラーヨーの1週間後を同じようにお祝いするらしい。天国に行くための善行の点数的にいうと、6日長く断食をするとラマダンで単純に断食するよりもかなりスコアが伸びるということのようだ。この時は、ラーヨーネーが物議をかもしていることを、全く知らなかった。

ラーヨーネーの朝、午前7時半過ぎにまず訪れたのは近所のクーボー(墓地)だ。男性が総出で、墓地の草刈りや掃除をしている。墓地の横には広場があった。しばらくすると、女性たちが集まってきた。ブルーシートをひき、その上に持ち寄った食べ物や飲み物を並べている。墓地の掃除を終えた男性たちは、女性たちのセッティングを手伝ったり、のんびりしたりしていた。なぜか地元の政治家もかけつけ、ピカピカの消防車まで乗り込んできた。その年は水やテントが、役所から支給されたようだ。

ラーヨーネーの饗宴。これが「イスラーム的」に物議をかもしている。

地域の知識人(ずいぶんな変わり者として知られていた)は、ここは発展していない地域で、仕事もしていない人が多い。ゆっくりとした生活ができるからこそ、このような行事がまだできているのだ、と私に言った。この日も、ハリラヤの日のように一日中大量に食事が提供された。夜の19時、2008年に若者のイニシアティブで始められたというラーヨーネーを祝う野外イベントに参加する。電灯さえもない真っ暗闇に若者があふれかえり、電飾で飾られたSalam Aidilfitri14361の文字が浮かび上がる。爆音でナシード(宗教音楽)がかけられ、花火がさらに気分を盛り上げる。いったいどこのフェスに迷い込んでしまったのだろう!

ハリラヤはいくつあるのか

ラーヨーネーとはいったい何なのか?ハディースでは、ラマダン月が明けた日に始まるシャワル月に、任意の6日間断食をすることが、預言者ムハンマドの慣行であるスンナとして推奨されている。タイの深南部では、ラマダン月が明けたあと続けて6日間断食を行い、その上で断食明けを祝うことがある。これがラーヨーネーと呼ばれるものだ。ラーヨーネーのネーは、標準マレー語のエナム、数字の6に由来している。ラーヨーネーは現地化したオリジナルなイスラムのお祝いであって、原典には記されていない。

1980年代以降顕著になったイスラム復興の流れのなかで、神の唯一性という根本教義を脅かしかねないものを、できるだけ排除していこうとする動きがみられるようになった。とくにターゲットになるのは、「ムハンマドの時代にはなかった」現地の伝統的な文化慣習である。一部の改革派の強硬な態度によって、ムスリムのコミュニティに亀裂が生じている。ハリラヤは2つしか認められていないのに、3つあるという子供がいる、ゆゆしき事態であると声高に訴える宗教指導者がいる。それに対して、ラーヨーネーは人々が集まり共同体の絆を深めることが目的なのであって、神以外の崇拝をしようとしている訳ではない、といった反論がなされる。

ラーヨーネーの是非はともかく、私は変わり者の知識人の言葉がもっとも腑に落ちている。饗宴の準備には、膨大な手間も暇もかかる。忙しくオフィスで働いている、あるいは公務員として働く人々は、時間を捻出するのも難しいだろうし、面倒だと思うだろう。都会的な環境になればなるほど、こういった饗宴を実現するのが物理的にも心理的にも難しくなっているのが実情だ。イスラム的に正しいか正しくないかという以前に、ライフスタイルが変わってしまったこと、そして変わってしまったライフスタイルに合った、自分の心とつじつまの合うイスラムの解釈が選ばれているのだ、という側面を否定することはできない。

  1. イード・アル・フィトルおめでとう(Selamat)と書いてあったのだと思っていたが、写真をよく見るとSalamと書いてあった。サラームは挨拶の時によく使われる言葉なので、新しい年への挨拶の意味合いが強いのかもしれない。1436はイスラム暦で、西暦2015年のことである。

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