読書メモ

読書メモ:宇田有三著『ロヒンギャ―差別の深層』

オウムを肩にとめた中井貴一が竪琴をぽろんと鳴らすシーン、いつも花の髪飾りをさしているアウンサンスーチー女史、ロヒンギャの虐殺と国際社会の批判。そんなイメージさえもなく、突然のクーデターと市民によるデモ、それに続く軍による市民の虐殺がメディアをにぎわせるようになってから、ミャンマーという国を認識した方も多かったかもしれない。

2020年から2021年にかけて、ロヒンギャにかんする書籍が2冊出版された。ひとつめが、ミャンマーの取材を30年以上続けておられるフォトジャーナリスト、宇田有三氏による『ロヒンギャ―差別の深層』である。いまひとつが、ミャンマー研究がご専門の京都大学中西嘉宏准教授の『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』である。2021年2月1日にミャンマー国軍によるクーデター(山本氏の記事参照)が起こったことで、これらの著作が依って立つ前提が大きく変わってしまった。しかしアウンサンスーチー政権下での問題の展望が期待できなくなった今だからこそ、ロヒンギャの人々が軍政下で長年にわたって置かれてきた状況を知ることの意義があるともいえる。

私は2013年8月にマンダレー、メイッティーラなどを訪問する機会を得て、現地の人々に話を聞かせてもらったことがある。2013年3月、ラカイン州で生じた反イスラム暴動が飛び火するかたちで、中部においてもモスクなどの襲撃が起こっていた。仏教徒のビンラディンなどと国際誌で報道されたウィラトゥ師は、イスラム教徒と仏教徒女性の結婚を禁止する法律の制定などを求めて活動していた1。現地ではウィラトゥ師に対する共感を示している市民もそこそこいて、仏の教えがきちんと身についていないから若いビルマ女性がムスリム男性の「ラブジハード」にやられるのだ、なんて発言も聞くことがあった。

放棄されたモスク(メイッティーラ)。モスク正面に掲げられている786はイスラムの祈りで用いられる「神の御名において」を数字化したもので、ミャンマーではイスラムを象徴する数字である。

マンダレー近郊で話を聞かせてくれたひとたちによると、ムスリムは、国軍が民主化デモを鎮圧して政権を握った1988年以降、目に見えて増えたという。反イスラム感情のなかには、イスラム教に対する仏教徒の不安感や軍に対する不満がまぜこぜになっている。これにミャンマーの政治構造、難民といった要素が加わってくるロヒンギャをめぐる問題は、どこから紐解いていったらよいのさえわからなくて途方にくれてしまう。ロヒンギャをめぐる錯綜する「情報や知識の交通整理」(12頁)と位置付けつつも、宇田氏のパッションがつまった本のメモをしてみたい。

植民地化された地域では、宗主国が行った統治や近代化政策が、民族という概念の定着に寄与した。民族としてまとまることで独立を目指す運動が人々の希望となったのもつかの間、多くの国々で民族という概念がその後の歴史に禍根を残し続けてきたことはいうまでもない。国家としての一体感を保つためには、ある程度の求心力をもった多数派の存在が必要とされた。統治する側からすれば、国家を構成する人々ができるだけ同じ「国民」としての意識を共有してくれていたほうが都合が良い。国家を建設するプロセスで、多数派が生み出されることによって必然的に生じるのが、マイノリティの問題である。本書が一貫して主張するのは、民族は政治的な産物であること、そしてロヒンギャを民族と位置付けてしまうことの問題である。冒頭の第1章では、ロヒンギャとの出会いや難民キャンプの様子が写真を通して描かれる。第2章ではQ&A方式でロヒンギャ問題の全体像が解説され、第3章では日本とのかかわりを含めて36の視点からロヒンギャ問題が腑分けされていく。

ビルマ族(バマー)が7割ちかくを占めているものの、ミャンマーは多民族国家として知られる。ミャンマーでは、8大主要民族(バマー、カチン、カヤー、カレン、シャン、ラカイン、チン、モン)と、135のサブグループが政府によって規定されている(57頁)。しかしミャンマー人にとって「民族」のじっさいの肌感覚は、日本でいうところの関西人や東北人の違いといったものに近いという(59頁)。1988年以降の軍事政権下では、ミャンマーという呼称が強制され、ミャンマー「国民」の形成が目指された。2000年代初頭になると、少数民族に属す人々のあいだで民族名ではなく、まずミャンマー人だと答えるひとが増え、2011年の民政移管前後からはミャンマー国民としての意識を共有する人々が一般的になったという(63頁)。

ただ、時代や地域にかかわらず、イスラム教を信仰する人々は、彼らにとっての第一の帰属先としてムスリム(イスラム教徒)という答えを選び続けてきた(63頁)。こうした意味において、ミャンマーでは「ムスリム人」というカテゴリーが可能であることも指摘されている(64頁)。宇田氏によると、同じムスリムとはいっても、ミャンマーには①インド/パキスタン系のインド・ムスリム、②ミャンマーに土着化したムスリム、③中国系のパンディー・ムスリム、④マレー系のパシュー・ムスリム、⑤中東系のムスリム/ムガール帝国の末裔とされるカマン・ムスリム、⑥バングラデシュ系のロヒンギャ・ムスリムという6つの異なるルーツを持つムスリムが暮らしている(67頁)。なかでも人口が多いのがインド・ムスリムとベンガル語チッタゴン方言を母語とするロヒンギャ・ムスリムである2

ロヒンギャ・ムスリムの置かれた状況を理解するためには、ミャンマーの政治と国籍に関する法規を理解する必要がある。独立の立役者であるアウンサン将軍が凶弾に倒れたのち、不安定な民主政権期を経て、1962年にネーウィン将軍がクーデターを起こした。ミャンマーでは、その後2011年にいたるまで軍事政権が続いた。1982年の市民権法は、国民、準国民、帰化国民という3つのカテゴリーを定めている。「国民」は英緬戦争が起こる前、1823年以前から国内に永住していた人、「準国民」は1948年の国籍法下で国籍を取得した人、「帰化国民」は独立後に外国人からビルマ人に帰化した人と定められる(81頁)。ロヒンギャは英領下でミャンマーに入ってきたバングラデシュからの不法移民であるから、どのカテゴリーにも属さないというのがミャンマー政府の一貫した態度である。ロヒンギャは、軍事政権下で制定された市民権法によって、国籍を奪われたかたちになったといえる3

これに対して、ロヒンギャ側からは、自分たちはラカインの土着民族であるといった反論がなされる。ミャンマーの国家アイデンティティにとって、仏教は切り離すことができない重要な要素でもある。ラカイン州からバングラデシュにまたがる地域には、かつて仏教を奉じるアラカン王国が存在した。ミャンマーのなかでもとくにラカイン州は、イスラムに最前線で対峙し仏教を保護してきたという自負が強い地域でもあった。本書でも解説されていたように(98-104頁、133-137頁)、アラカン王国におけるイスラム教やロヒンギャの位置づけなど、複雑な歴史をどのように解釈するのかについては決着がみられていない。

国際社会は、ミャンマー国内の事情を解さないまま、ロヒンギャ問題を軍事政権による少数民族の抑圧という図式に落とし込んで理解しつづけてきた。結果として「ロヒンギャ民族」という呼称やそれに基づく権利を求める人々があらわれたともいえる。第3章で詳しく解説されているが(170-200頁)、少数民族、先住民族といった言葉は、それに付随する権利の問題ともかかわってくる。市民としての権利や義務の問題もしかりである。ロヒンギャ問題は、海外メディアの報道、国際機関の援助ビジネス、麻薬問題4とも結びつくかたちで複雑化していった。国籍をはく奪されたことで苦しんできたロヒンギャはトラブルメーカーと認識され、人々のあいだで話題にすることさえ忌避されるようになっていることが、ますます解決を困難にしている。

本書は市井の人々の声をふんだんに織り交ぜつつ描かれおり、ロヒンギャというレンズを通してミャンマーのことを理解することができるようになっている。少し気になったことといえば、宇田氏が非常に印象に残ったエピソードとして、タイのサトゥーン県の事例を挙げていたことだ(55頁、256頁)。ムスリムが仏教徒とともに僧侶として出家するという点のみ背景や文脈から抜き出して言及するのは、誤解を生みかねない。引用元と思われる研究で扱われていた事例は仏教徒からムスリムへの改宗者の事例が中心であって、たとえ同化が進んでいるといわれているサトゥーンであっても、ムスリムとして生まれた人物が徳を積むために僧侶として出家することは現在ではほぼ考えられない5

それはさておき、本書は単にロヒンギャをめぐる知識や情報を解説しただけではなく、宇田氏の思いがあふれだしているような作品だ。複雑な状況が分かったからといって、結局どうしようもないではないかとむなしい気持ちになってしまうこともある。宇田氏は自らの立ち位置も示しつつ、20年にわたる取材を通してロヒンギャの多くはロヒンギャ民族ではなくロヒンギャ・ムスリムという呼称を求めている(118頁)という点を指摘している。民族としての権利ではなく、ムスリムとして平等な市民権を求めるという姿勢(161頁)が、今後の道を切り開いていく、そうした可能性と希望が示されていたように感じた6

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感想(0件)
  1. “Ashin Wirathu: Myanmar and its vitriolic monk” BBC News, January 23. 2015
  2. ビルマ語を母語とするほかのムスリムと異なり、ロヒンギャ・ムスリムはベンガル語のチッタゴン方言を母語としている。ミャンマーでは、パンディー(パンデーとも書かれる)ムスリムやインド系、中国系の人々も公的には民族として認められていない(135つのグループのなかに含まれていない)。『ミャンマーの土着ムスリム』の著者であられる斎藤紋子氏は、ムスリムを①ロヒンギャ族およびカマン族、②パンデー、③パシュー、④インド系その他、に分けている。このうちカマン族は、8大主要民族のうち、ラカインのサブグループとして認められている。斎藤紋子(2014)「ミャンマーにおける反ムスリム暴動の背景」『アジ研ワールドトレンド』220巻
  3. 無国籍状態に置かれているのは、じつはロヒンギャに限った話ではないことも示されている(193-194頁)。
  4. 2016年10月9日と2017年8月25日の襲撃を行ったアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)は、麻薬ビジネスと関係があるのではないかといわれている(145-147頁)。
  5. 願掛けという点でいうと、商売繁盛を願ってムスリムが仏教寺院にお参りした例などは、タイ南部の東海岸側の国境地域であるパッターニーでも聞いた。宗教指導者らも、個々人の実践をいちいち見張って、介入することはしないと思う。しかし、改宗がイスラム法上の問題となる婚姻・離婚について、県イスラム委員会や村のイマーム(指導者)は、簡単にムスリムと仏教徒のあいだを行き来させるようなことはしないはずだ。
  6. もちろん、現在の軍事政権にどれだけ話が通じるのかはわからない。クーデター以降、毎日のように痛ましいニュースが流れてくるが、国の将来を担うはずの若者たちの命がこれ以上奪われることのないよう、ただただ願うばかりだ。

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