読書メモ

読書メモ:加藤詩子『一条さゆりの真実——虚実のはざまを生きた女』

一条さゆりというのは、60年代から70年代にかけて一世を風靡したストリッパーである(らしい、私は直接は知らない)。駒田信二が彼女の半生を描いた『一条さゆりの性』(1971)で人気が出て、大橋巨泉や愛川欽也らが司会をしていた「11PM」などのテレビ番組にも出演。小沢昭一1も彼女を絶賛していた。30代、1972年の引退興行の最中に猥褻物陳列罪で逮捕される。裁判が始まってからは、反権力の象徴として左翼の活動家から、また女性の権利の問題の象徴として女性活動家から指示され、「ストリップは猥褻か、娯楽か」という争点で最終的に最高裁にまで行くも、最終的に実刑をくらってしまう。出所後は紆余曲折あって(水商売、交通事故、男にガソリンをかけられ大火傷、誰かが窓から投げたビール瓶が頭を直撃)、1997年に大阪市西成区の釜ヶ崎で亡くなる。享年60歳。

私が一条さゆりという名前を初めて知ったのは、2013年の朝日新聞の記事で、今回取り上げる本も、2013年か、2014年に古書で買って読んだ。読後しばらくのあいだ、私はことあるごとにこの本の話をしていた。いわば、一時期私の十八番になっていた話題だ。一度誰かにあげて、もう一冊書い直した記憶もある。いつか文章にしようと思っていたので、この場を借りて、かつてのメモをもとに改めてこの本を紹介しようと思う。ここまで書きながら、当時と同じような興奮を感じなくなってしまっているのが残念だけれど。

著者の加藤詩子氏は、写真家として活動していた1995年、引退後の一条さゆりに関する新聞記事2を読んで興味を覚え、釜ヶ崎の病院に彼女を訪ねる。当時の一条さゆりは、もう最晩年とも言える時期で、生活保護を受けながら、入退院を繰り返していた。加藤氏は取材を重ねるうちに、段々と一条さゆりの生活に深く関わるようになる。世話をしたり、お金を貸したり、半ば同居のようにして一緒に過ごしたり。また、あくまでも取材という体裁は保っていていたそうだが、一条さゆりの方も、自分の生い立ちや家族のことなど、プライベートな話題をするようになる。出会ってまもない頃、加藤氏は一条について、自分のノートにこう書いていたという。「とにかくウソや誤魔化しの一切ない真っ直ぐな女性。お人好しすぎるほど金に対する執着が全くない。そんなものを飛び越えた人に対する大きな優しさがある」(22頁)。加藤氏は、一条さゆりの生前から、取材を元にした本の出版準備を進めており、原稿を本人に確認してもらってもいたようである。

ところがこの本の計画は、一条さゆりの死後、いったん頓挫することになる。なぜなら、一条さゆりが加藤氏に語ったさまざまな話が、しかも、一条さゆりが大切そうに打ち明けてくれたエピソードの多くが、嘘だったことがわかったからである。たとえば。一条は遠く離れて暮らす息子がどれだけ自分のことを想っているかについて繰り返し語っていた。あるときは、息子から電話があるからと言って席を立ち、電話が済んでから、こんな優しい言葉をかけられたのだと喜んで報告したりもしていた。ところが実際は、一条は息子を産んですぐに他人に預けたきりで、ずっと会っていなかった。加藤氏がのちに息子を探し出して話を聞いても、息子は一条をなんとも思っていない。というか、むしろ憎悪している。あのとき、一条は息子と電話などしていなかったのである。また、一条が昔メディアで語っていた経歴も、デタラメだらけだということがわかってくる。

加藤氏は別に、一条のことを心底尊敬していたとか、好きだったとかではなかったと思う。むしろいろんな迷惑を被ってきた。どこかでしんどいなと思っていたはずである。ただ、胸筋を開いて話してくれていると思われたエピソードが、それを通して一条の心に触れたと確信していたエピソードが、実はほとんど嘘で飾られていたという事実にショックを受ける。「なんで本当のことを話してくれなかったんですか?ひどいじゃないですか!信じていたのに……。いくらなんでも嘘が多すぎる!」(117頁)。しかし加藤氏は、一条さゆりがついたおびただしい嘘には、なんらかの真実が含まれていたのではないかと思い直す。一条は、嘘を語りながら、実は本音を語っていたのではないか。伝説のストリッパーの死から8ヶ月あまり経った頃、加藤氏は新たに、かつての一条を知る人たちを対象とする再取材に着手する。一条の嘘を暴くためというよりは、一条がそれらの嘘によって自分に何を訴えていたのかを知るための作業である。

この本を初めて読んだとき、私は、評伝やノンフィクションの類としては上手ではないなと思った(数ヶ月前に読み返してみるとそんなに違和感はなかったが)。何よりも、著者は対象との距離が上手く取れていない。距離があまりに近すぎるのである。だが逆に、だからこそ、傷つきながら、ボロボロになりながら書いている、という印象を受けた。とてつもない本だなと思った。こういう本は、めったにないと思う。

この本の中で、加藤氏の文体が、妙に揺らいで見える箇所がいくつかある。もしかしたら何度も書き直した箇所なのかな、と初めて読んだときは思った(改めて読むとそんなに違和感はなかった)。特にそれを感じたのは、一条さゆりの裁判に関する箇所(第八章「裁判という名の狂想曲」)である。逮捕前から一条は、メディアや小説家・文化人に祭り上げられ、また裁判が始まってからは、全共闘の活動家やフェミニストたちも彼女を取り巻いた。この章で加藤氏は、こうした人々、そして、彼女を利用するだけ利用して最後まで守ってやることをしなかったストリップ興行のプロモーターを、一人ずつ告発していく。なかでも、小沢昭一に対する批判は、とても辛辣だし、論点もとても興味深い。

加藤氏は、一条が有名になるきっかけをつくった小説(『一条さゆりの性』)の作者である駒田信二には、良心の呵責があったのではないかと推察している。実際駒田は、裁判では猥褻論を展開しながら一条の弁護を行ない、また裁判ののちには「実刑は私の責任とも言える。彼女の芸熱心さ、真面目さにうたれ、小説を書いた。ところが有名になりすぎたために不法の犠牲者なってしまった」(加藤氏からの孫引き、244頁)と語っていたそうである。それに対し、小沢昭一はひどい。小沢は、一条を『11PM』に出演させた張本人のひとりでありながら、法廷での証言を拒絶したうえ、弁護士のところに「若い使いのものが来て、メロンを置いて行った」だけだったそうである。加藤氏は、のちの小沢の次のような言葉を紹介している。これもまた、加藤氏からの孫引きであるが、引用する。

(…)一条さんのトクダシは、しかし、ワイセツではなかった。いや、ワイセツはふつうにワイセツだったのだが、彼女の真剣さや優しさがワイセツを包み込んで、むしろ、いつくしみの心が伝わるような舞台であった。感動する客も多かった。私はいつもナケテ来た。彼女の、客に、人間に、あるいはなにものかに尽くし切る心に私はナケテ来たのである。(…)しかしである。どうも法律の場では『ワイセツを越えたナニモノカ』だの、『ナケタ心』だの、『イツクシミ』なんて言っても、所詮は、通らないことのようだ。だって『陰部を露出』したかしないかだけを問題にするところなんだから。(…)カミサマは一条さんを有罪にしてはいないと思う。なんのカミサマだかよくわからないが、人間のいとなみのなかの、ナケルものを司っているカミサマが、一条さんを、無罪にしているどころか、賞でているにちがいないと思う

『一条さゆりの真実』、245頁

小沢昭一がこのように自室かもっと洒落たどこかで芸事の「カミサマ」に想いを馳せているあいだ、一条さゆりは懲役1ヶ月の実刑を受け服役する。加藤氏は、小沢昭一の別の本の一節を引用したあと、次のように断じている。「つまるところこの小沢の文を読む限り、結局彼女を利用したにすぎないことがわかる。彼女と彼女をめぐる騒動を通して、小沢は自分の芸能論を語ったにすぎない、わたしはそう解釈している」(246頁)。

加藤氏の本を読んだあと、私はたまたま「競輪上人行状記」という小沢昭一主演の映画を観た。小沢昭一はお寺の息子で、中学か高校かは忘れたが、学校の先生をしており、他方で競輪にのめり込んでいて、最後は、競輪場で説法を垂れているところで終わる映画だ(ったと思う)。この映画なかで、小沢が同僚の先生と一緒に、不登校の女子生徒の家へ家庭訪問をする話がある。実は女子生徒は、父親の子どもをみごもっていた。帰り道、「いや、いくら貧乏だからって、ありゃないだろう」的なことを言う小沢に、同僚の教師はこう言う。「貧乏というのはお前が考えるようなセンチなもんじゃない、肌に突き刺さる痛みだ」。この批判は、映画の外の小沢昭一にも当てはまるのかもしれない。小沢昭一は決して傷つかない。

だが、小沢は、傷つかないからこそ書けたのだろう。加藤氏の『一条さゆりの真実』は、一生のうち何度も書ける類の本ではないと思う3

一条さゆりの真実 虚実のはざまを生きた女  /新潮社/加藤詩子

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つめたいセックス   /新潮社/真中優多
真中優多『つめたいセックス』、新潮社、2002年(加藤氏が真中優多の筆名で発表した小説で、風俗業界での就労経験がもとになっている。)

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  1. 1929年生、2012年没。俳優。いろんな映画に出ているが、なかでも今村昌平作品の常連。70年代ごろから日本の芸能史に関心を寄せ始め、それを主題とする書籍も多く残している。また、日本各地の「放浪芸」(尾張万歳、三河万歳などの万歳、猿回しなど)の音声を収録した「日本の放浪芸」シリーズがある。永六輔、大西信行、加藤武、矢野誠一、桂米朝らと「やなぎ句会」という句会を結成してもいた。
  2. 中島鉄郎「(映画の旅人:上)『一条さゆり 濡れた欲情』」、朝日新聞デジタル、2013年11月23日、http://www.asahi.com/articles/TKY201311200200.html(2014年12月19日閲覧)。現在はリンク切れ。2013年8月3日の一条さゆり17回忌に際して釜ヶ崎で開かれた「偲ぶ会」が紹介されていた。
  3. 加藤氏は、現在沖縄でカウンセルルームを開業しているそうである。オンラインカウンセリングを提供している会社のHPで次のページで、彼女のインタビューを読むことができる(https://kirihare.jp/counselor-long-interview-6 )。ここで加藤氏は、一条さゆりについても語っている。

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