フィールドワーク四方山話, ミャンマー

ミャンマー再訪

2023年の秋、国境の少数民族地域で攻勢があり、国軍が掌握できているのは首都とヤンゴン、マンダレーくらいだというニュースをみかけることが増えた1。ミャンマーという国は(正確にいうと国軍による支配が)もうじき壊れるのではないかという思いを胸に、2024年3月、11年ぶりにミャンマーを訪れた。

2021年2月1日のクーデター後、老若男女を問わず市民に銃口を向け、容赦なく殴り、地面に倒れ込んで抵抗しなくなってもなお蹴り続ける国軍の様子に、ただ狂気を感じた2。その後、世界はどんどんきな臭くなってゆき、秩序や命を守るはずの国家権力のヤクザ的な側面が暴発している。

この記録を書いているいまもミャンマーで軍事政権は続いている。3月には、軍事政権が徴兵制を敷くことを公表した(ただ若者たちを徴兵して訓練する能力が政府に残っているのか微妙な気もする)。故郷を捨てて出ていく若者の流れは、とまりそうにはない。ミャンマーに残った人びとの話と、今回の旅の記録を少しずつ残していきたい。

ヤンゴン2024

現在すでに不要になっているが、3月の旅の際にはミャンマー政府が指定する保険(Myanma Insurance)を購入しないとビザが下りないようになっていた。ビザと保険それぞれ50ドルという、あきらめるほどではないが高い値段設定で、政治は超絶アナクロなのにクレジットカード決済はしっかりできた。ちなみに決済代行会社はシンガポールに拠点を置く企業だった3。入国自体はスムースにいき、尋問を受けることもなかった。優しそうなお兄さんがいたATOMという会社のブースでSIMカードを購入し、ミャンマーの人たちがよく使っているらしいVPNアプリ、1111というのをダウンロードする。

空港で銃を肩から下げた警察を見かけたきり治安部隊を街中でみることはなく、緊迫した様子はなかった。観光客はタムブンツアー(寺巡り)にいそしむタイ人団体客くらいで、ミャンマー人にタイ語で話しかけられたほどだ。そして軒並み、人気の寺院は値上げをしている。シュエダゴン・パゴダで手渡されたチケットは、10000チャットという表記にこれ見よがしに二重線が引いてあり、2倍の20000チャット(1500円)に書き換えられていた。しかも手書きで。街中には11年前にはみかけなかった、現代風のオシャレなカフェやレストランがいくつかできていて、羽振りの良さそうな若者もいる。若い恋人たちは相変わらずお寺や公園でデートしていたけれど、伝統衣装のロンヂーでなくジーンズ姿が目についた。民主化が曲りなりにも進んで希望と活気に満ちていた11年前を思うと、それでもヤンゴンの街は火が消えてしまったように感じられた。

タイとミャンマーの合作映画From Bangkok to Mandalay(2016)のなかに、1950年代頃の設定だろうか、建物の4階か5階に住んでいる女性が、クリップが先端につけられた紐を通して恋人との手紙をやり取りする印象的なシーンがある(写真下)4。紐の先につけられているのは汚いビニール袋や傷んだ洗濯バサミでロマンはなかったが、この仕組みは2024年現在も健在のようだった。

古い植民都市には、なんとも言葉にできない哀愁を感じる。蔦がからまる石造りの建築物が並び、都市のもつ憂鬱さも相まって、映画のなかにいるように感じるからかもしれない。完全に廃墟に見えた建物の入り口には、青白い光を放つ蛍光灯がむき出しのままつけられていて、買い物袋をさげた人が吸い込まれていった。どんなにホーンテッドマンションじみていても、エアコンの室外機とアンテナが光っているのがみえる。

今回の旅の道中、ジョージ・オーウェルの自伝的小説Burmese Days『ビルマの日々』を道端の古本屋から購入した5。オーウェルは政治的目的をもつ作家だとみずからを位置づけていて、その作品は、タイやミャンマーの若者たちのインスピレーションであり続けている。タイでクーデターが起こった2014年、軍事政権への抵抗のために『1984』を持って出かけることが流行った。友達からbig brother is watchingと書かれたTシャツをもらい、一大ブームになっているのを感じたが、実際にどのくらいの人が読了したのかは微妙だと思う(持ってるだけで読んでなさそうだった)。

国を出ていきたい若者たち

市井の人びとは政治によってもたらされた苦難に耐えて、何とか日常生活を送ろうとしていた。こんな状態のミャンマーで、アートのギャラリーが成立するんだろうかと不思議に思うが、シュエダゴン・パゴダで暑さにぐったりしながらグーグルマップを見ていたら、Myanm/artというギャラリーの存在が示されていたので電話をかけてみた6。3回くらいベルが鳴ったときに、電話口の向こう側から若い男性の声が聞こえてきた。ギャラリーは開いていて在廊していること、ギャラリーの場所と名前が変わっていること、シンプルなワードチョイスで静かによどみなく話す声に、この人は信頼できそうだと感じた。というか、いきなり電話をかけた、どこの誰ともわからない外国人をよく受け入れてくれたものだと思う。

Spaces31というギャラリーを主催するシッドさんは、マレーシアの大学で学び、イギリスで哲学の修士号をおさめてミャンマーに帰国した。シッドさんの現代アートのコレクションは、タイ深南部のアートシーンとは少し違って政治的なメッセージを前面に押し出したものではなかった。シッドさんのコレクションに関心をもち、購入するお客さんはミャンマー国内の裕福な若者(街中のカフェでみかけた羽振りの良さそうな若者たちだろうか)や海外にもいるという。バンコクには頻繁に訪れていて、そこから発送作業をすることもあるそうだ。

徴兵の対象年齢に入っているシッドさんの本音はというと、いますぐにでも国外に出ていきたいという。シッドさんの友人のなかには、ゲリラ闘争に参加するためにタイとの国境地域に向かった人もいた。国軍から激しい弾圧を受けた88年の民主化運動とは異なり、銃器からスマートフォンに至るまで、市民が武器として使うことができるツールはたしかに増えている。しかし、さすが東南アジア随一の(負の)持続性を発揮する独裁体制、そう簡単には壊れそうにない。3年の月日が過ぎるなかで、シッドさんの友人を含めてヤンゴンに戻ってくる若者も増え、国外を拠点に活動する亡命政府に対する失望も広がっている。

「ギャラリー」という形態自体を成立させることが難しいミャンマーで、シッドさんはヤンゴンのスペースを維持してきた。シッドさんは、国外に出ることができたアーティストたちが活躍の場やチャンスを探し求めることは容易だという。国内にいる若いアーティストたちのために、彼らの作品を世に出すスペースを無くしてしまうことの方が大きな損失だと考えていた。どのような状況下でも、自分の内から湧き出るものを作品にしようと思う人びとが存在すること、そして、逃げてしまうこともできるし、その力もある若者が絶望的な状況下でふみとどまる決断をしていること。30代40代というのは、まだ若手とみなされることも多いとはいえ、自分のこれまでのキャリアを還元していくことを意識せざるを得ない場面も増えてくる。『ビルマの日々』のフローリーのように心臓を打ちぬきたくなるほど、逃げっぱなしで何もできていない自分に向き合わざるをえなかったが、とてもエンパワーされる出会いであった。

  1. 各メディアが報じていたが、例えばNHKは以下のように報じている。 ミャンマーに異変 鍵を握るのは中国?少数民族一斉攻撃で軍が守勢に?クーデターまもなく3年新たな局面か? | NHK
  2.  2021年クーデター後の様子は、ドキュメンタリー映画になっている。『夜明けへの道』(2023)は俳優として知られたコーパウ(コーは兄貴の意味)が緊迫する逃亡の様子を動画におさめたもので、あまりの長さに途中で寝てしまったが、子供たちのためミャンマーという祖国の将来のために闘争を続けるパウ兄貴の強い信念が心を打つ作品であった。アートとして鑑賞にたえる映画を意識して作られたのが『ミャンマー・ダイアリーズ』である。登場する若いアーティストの入れ墨にぼかしが入れてあったり、入れられていなかったりする、そのメッセージに気づいた時の衝撃はまだ癒えない。

  3.  決済は、シンガポールに本部を置き東南アジアで展開する会社2C2Pを通して行われた。互いに脛に傷をもつ権威主義国同士、あるいは人権問題は見て見ぬふりを決め込むお得意のASEANウェイではないかと決済画面につっこみを入れてしまった。
  4. 祖母がかつて愛した男性を探すタイ人女性と、その女性に恋心を抱くミャンマー人男性の旅と、祖母の過去のストーリーが交錯しながら進んでいく。
  5. ストーリーは、植民地支配体制に嫌気がさしている英国人の現地会社支配人フローリー35歳、ひとめぼれした美しい英国人女性エリザベスと幸せな結婚生活を夢見てがんばるが、現地妻が暴れこみ、エリザベスに拒絶されてしまう。絶望したフローリーは、心臓を打ち抜いて死んでしまうというもの。『ビルマの日々』は、イギリスの植民地支配を批判したものと位置付けられるようだけれど、そんなものではない。いけ好かない白人に権力にとりつかれ煩悩あふれまくりのビルマ人と植民地根性を内面化してしまったインド人、フローリーのようにちょっとでも批判的で良識的であろうとすると狂ってしまう、しまいには悪が善を駆逐して栄えてしまう救いようのなさ。登場人物の人間関係や出来事が細かく描写されており、『動物農場』や『1984』といった小説と違って、ザ・小説という感じがした。
  6. About Myanm/art – Myanm/art (myanmartevolution.com)

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