タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

アザーンがつくる世界

アザーンというのは、イスラームにおいて1日5回、礼拝の時(太陽の動きに応じて夜明け、昼過ぎ、午後、日没後、夜と定められている)を告げる呼びかけのことである。モスク(礼拝所)にはたいていミナレットという尖塔がついていて、スピーカーから一日5回アザーンが流れてくる。拡声器が無い時代は人間の声で呼びかけが行われていたし、東南アジアの地域によっては太鼓が代わりに使われていたところもある。女性がアザーンをすることはないので(著名なムスリム・フェミニストで学者のアミナ・ワドゥードがニューヨークで礼拝を主導したときには、世界中のムスリムから大きな批判の嵐が巻き起こった)聞こえてくるのは男の人の声ばかりである。

私自身は、ムスリムではない。現地にいた時、早朝にけたたましいアザーンの音にたたき起こされるのには正直げんなりしていた。それでも、しだいに慣れていくものだし、適度に離れていればアザーンの響きはむしろ心地が良かった。ムスリムが多数派を占めるタイ南部国境地域では、京都の寺並みの頻度でモスクをみかける。障害物の少ない平野や街中にいると、決まった時間に四方のモスクからアザーンの声が風に乗ってやってくる。パッターニーの町でラマダン(断食月)に聞いた夕方のアザーンは格別で、それはもう全身が震えるほどだった。暁は一日の始まりでしかないが黄昏は一日を繰り返して見せる、といったのはレヴィ・ストロースだ。それまでやったことのない断食に挑戦していた私は、日没のアザーンで断食が解かれるとともに、その日一日感じたことや乗り越えてきたことをしみじみと思い返していた。アザーンは、一日の、そして一年の生活のリズムを身体に刻み込んでいくものでもある。

ラマダン中のタラウィ礼拝の様子(パッターニー中央モスク)

モスクがなくても大丈夫?

アザーンが流れてくるのは、モスクからである。日本語や英語ではモスクがよく使われるが、ムスリムのあいだで一般的にはマスジッドといわれる。私の知る限りで、バラソ、スラオ、マスジッド、ジャーミィが、タイでは礼拝を行う場所を示す言葉として使われている。細かい話には立ち入らないが、右に向かっていくほど規模が大きくなっていく。ただ、ジャーミィは珍しい。ジャーミィ、と書いてあるのを実際に見たのはバンコクだった(この話はまた改めて書きたい)。

タイでは法律上「モスク毎」にイマーム、ビラール、コーテップの3役を登録するように定められている。アザーン係はアラビア語ではムアッズインというが、タイではビラールが用いられている。預言者ムハンマドがアザーンを定めた時に、もっとも声がよく通るエチオピア系のビラールに行わせたという故事から、ビラールがムアッズインと互換的に使われているのだろう。美声をもつムアッズインは人気だ。クルアーン読誦大会があるくらいだから、美しいアラビア語を、美しい抑揚をつけて朗誦できることは一種のステータスだともいえる。

モスクがたくさんある地域ならともかく、ムスリムが少ない地域であるとか、モスクが近くにない人はどうしてるのかなと思っていたところ、ある動きに気が付いた。礼拝の時間になると、モスクからだけではなくて、みんなの携帯からアザーンの声が聞こえてくるのだ。今やほとんどのムスリムが装備しているといってもよい携帯アプリがある。ムスリム・プロと呼ばれるものだ。各国語でサービスが展開されていて、タイ語はもちろん、日本語もある。自分のいる地域に応じて、礼拝の時間を知らせてくれる。メッカの方向であるキブラを調べることもできる。クルアーンが読めるようになっており、朗読の音声や各国語訳もついている。ドゥア(願い事)をするときの文言も調べられる。タイ南部国境地域でも、便利だからと携帯にダウンロードしている人が多かった所以だ。

ムスリム・プロの礼拝時間お知らせ機能(京都市バージョン)

アザーンはやっぱりモスクから

それでも、モスクから流れてくるアザーンには、携帯が鳴らすアザーンには代えがたい魅力がある。ナラーティワート県のとあるアムプー(郡)の鉄道駅近くには、美しいミナレットをもつ、お上品なエメラルドグリーンのモスクがあった。私がかつて数か月間居候していたのは、このモスクの隣の集合住宅だった。駅を出て朝市が立てられる広場を通り過ぎ、このモスクが見えてくると帰ってきたという気持ちになったものだ。それだけに数年前、ド派手な蛍光緑に塗り替えられた時の衝撃がまだ癒えていない。このモスクでアザーンをしていた人は、かなり独特のメロディをつけて、毎日その美声を町中に響かせていた。あまりに独特なメロディだったので、私は今でもこのおじさんのアザーンを真似することができるほどだ。

往時のモスクの様子。私は、ここのオジサンのアザーンの真似ができる。現在、エメラルドの所は濃いグリーン、白い壁は蛍光緑に変化してしまった。

もっと田舎の村に滞在していた時も、モスクのすぐ隣に住んでいた。村のモスクにはミナレットがなく、平屋建ての屋根の部分にスピーカーが付いていた。村中に響かせる音量になっているので、隣家における体感ボリュームは尋常ではなかった。アムプーのアザーン係は少なくとも上手だったし、美声だった。村では、呼びかけるアラビア語もままならないような、今にも力尽きそうなお年寄りの声が流れてくる。私は、家の人に聞いた。アザーン上手じゃないね。すると家の人はこういった。「礼拝を呼びかけるものだから上手かどうかは関係ない。みんなアザーンしたいからね、順番にお年寄りがやっているよ」。ビラールという職が決まっているのではなかったか、美声の持ち主が選ばれているはずではなかったのだろうか。

村でのイード・アル=アドハ(犠牲祭、メッカ巡礼の最終日を祝うお祭り。マレー語ではハリラヤ・ハジという)の礼拝の様子。向こうに見えるのがお世話になっていた家である。

アザーンには、イスラームの教えが凝縮されている。アッラーは唯一であり、ムハンマドがアッラーの使徒である、というイスラームの柱となる教えだ。そして、神の国に至るという成功のため礼拝に来たれ、と呼びかけが続く。礼拝は定められた時間に神に向き合うことによって徳を積む行為であり、礼拝を呼びかける行為も徳を積む行為である。神の国に入るための行いのなかでもポイントがけっこう高くて、喜捨をすることなどと比べるとコストもかからない、なるほどみんな(とくにお年寄り)やりたい訳はそれか、といやに納得したことを覚えている。タイ政府がビラールという役職を決めていようが、そんなことは人々の暮らしにおいては些末なことだったのだ。礼拝を呼びかけるアザーンは、信仰の実践が日常生活と深く結びついたイスラームならではの風景でもある。

(文:西 直美)

コメントを残す