執筆者たち

山本 文子 (ヤマモト アヤコ) 編集・管理

ミャンマーの精霊信仰に興味を持って研究を行ってきました。霊媒は憑依をとおして精霊とコミュニケーションをとるのですが、元々はにわかには信じがたいこの憑依という現象がいかにして成り立っているのか、に興味がありました。その後、ミャンマー映画における霊媒の描かれ方(金の亡者、ペテン師)に興味を持ったことから、しばらくミャンマーB級映画ばかり貪り観る生活を続けた結果、現在はミャンマー映画そのものへと興味の対象が移ってきました。初ミャンマーは大学生だった2003年、生まれて初めての海外でした。その後短期では小刻みに行っていましたが、一番長く滞在したのは2010年~2011年あたりです。長期調査のため、ヤンゴン外国語大学に留学していました。現地での経験や、精霊信仰の話、映画の話をしていけたらと思います。

西 直美 (ニシ ナオミ) 編集・管理

タイ南部にある南部国境県や深南部と呼ばれている地域について学んでいます。タイは仏教国のイメージが強いですが、マレーシアとの国境に近い南部はイスラーム教徒が多い地域です。とくに、イスラーム教徒のあいだでの宗教をめぐる解釈の違いについて関心があり、勉強を続けてきました。初めて現地調査に行ったのは、2015年のことです。当時、ソンクラーナカリン大学パッターニー校イスラーム学部にいましたが、大学にはほとんど行きませんでした。タイ南部国境県は残念ながら紛争地域として知られていて、研究のほとんどが紛争に関するものです。深南部にかかわりはじめてから日が浅く、学びの日々が続きますが、紛争だけではない深南部の様子をお伝えできたらと思います。

中屋 昌子 (ナカヤ マサコ)

トルコ系民族のイスラム信仰に関心を持っています。信仰を守るために中国から多くのトルコ系民族がトルコに越境しました。なんでそこまでしてイスラム信仰を守りたいの?それが私の研究のキーワードです。これまで、中国の大学に留学し、トルコの大学の客員研究員をしました。といっても、今日の糧になっていることは、教室よりも路地裏で聞かせてもらった現地の人からの世間話です。(先生ごめんなさい!)これまでの研究をとおして、世界各地で出会った人々、みんなの暮らし・・など、よもやま話を共有できればと思います。

井上 航(イノウエ コウ)

むかし学部の学生だったときは、社会思想史の研究会でアナキズムに憧れたり人類学をかじったりでした。その後テレビ番組のディレクターになり、楽しさと慚愧にまみれつつ、身体の動きから人の生き方を感じることを大切に思いました。他方、幼少時から幻怪な世界への興味あり。これらが渦巻き混ざり合い、学びなおしを図りたくなったのです。身体の感覚にそくしてアニミズムを捉えていた民族音楽学が面白そうに思えました。音楽よりも霊とか憑依とかのサブテーマで民族音楽学を選んだわけで、少し変わっているかもしれません。でもこれがカンボジアのクルンの人たちとの新たな出会いをもたらしてくれました。ノラ博士ですが、もとからノラっぽい散漫さが身上なのでそのへんが書くことに素直に出ればいいと思います。

樋口 雄哉(ヒグチ ユウヤ)

学生のあいだをとおして、20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの哲学を研究してきました。ノラ博士になってからは、初期レヴィナス哲学のコンテクストのひとつとして、20世紀前半のフランスの思想的状況にも関心を寄せています。私の研究方法はもっぱら文献読解で、研究スタイルはかなりインドアーです。海外へ「調査」に行くことがあっても、研究者と話すか図書館や本屋で資料を集めること以外、特にすべきことがありません。そこで、ここでは研究から直接得られた知見というより、研究のついでにした寄り道や脱線、研究から逃避して行った遊びなど、哲学の研究者としては少し不真面目な話ができればと思います。

安田 昌史(ヤスダ マサシ)

研究手法としては歴史も扱いますが、文化人類学や社会学のアプローチも使います。なのでインタビューや現地調査に行くのが好きです。学生時代から複数の文化の中間領域に存在するマージナルマン(境界人、周辺人)について気になり、博士論文では西陣織や京友禅などの京都の伝統産業に従事してきた在日朝鮮人について書きました。2018年から韓国の地方都市の大学で働いていますが、なかなか自分の研究を進められません。日本と韓国のはざまで、今や自分自身がマージナルマンになってしまった気分がします。ここでは在日朝鮮人の生活や文化はもちろんですが、韓国で現地の人々の生活や日本と韓国との間を行き来する人々の生活についてもお伝えしていきたいと思っています。