タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

牛は死ぬ前に涙を流す

牛が死ぬ前に涙を流すということを知ったのは、つい最近のことだ。イスラムには、一年のなかで大きなお祭りが2度ある。一つはラマダン明けの祭で、アラビア語だとイード・アル=フィトル、マレー語だとハリラヤ・プアサ、タイの深南部地域で話されているパタニ・マレー語だとラヨ・ポソという。もう一つがメッカ巡礼の最終日を祝う祭だ。アラビア語だとイード・アル=アドハ、マレー語ではハリラヤ・ハジ、パタニ・マレー語ではラヨ・ハジという。ハジというのはメッカ巡礼のことで、経済的にも身体的にも能力のあるムスリムは一生に一度は行わなくてはならない義務でもある。イスラム暦12番目の巡礼月の最終日が、祭の日にあたる。ラヨ・ハジの日には基本的に牛が屠られ、その肉がふるまわれる。ラヨ・ハジの饗宴にはこれまで何度か参加したけれど、私はこれまで口に運ぶ形状になった調理済みの肉しか見たことがなかった。

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玄関先で女性たちが肉をお口に運ぶかたちにしていく

2019年の夏ラヨ・ハジに、お世話になっている家族が牛を屠るというので駆け付けた。私の大切な友でもあるアイシャは、現在、二人の子供と村に出戻っている。アイシャの母親は数年前に足が悪くなってゴムの採取に行くことが難しくなり、父親はちょっと高飛車な第二夫人と一緒にいることが多い。アイシャは私にいつもたらふくご飯を食べさせてくれるけれど、そんなに裕福な家ではないことは確かだ。そこに2年ほど前、バンコクが嫌になった弟が戻ってきた。弟は、ゴムの採取をしながら村長の手伝いもして、将来は政治にも関わることを夢見ている野心家だ。弟がイニシアチブをとって、今年はアイシャの家が牛を購入したようだ。これも基本的に経済的に余裕のある人が行えばよいので、毎年やっている家もあれば、たまに行う家もある。屠られた肉は7つに分けられ、一つは自家用、後は貧しい人や親戚に分け与えられていく。

牛がきた

村にある家には道路に面した入口以外に、裏のジャングルやゴム林に続く勝手口がある。親族同士は集まって住んでいることが多いので、親族同士の家の行き来は、女性であればヒジャブも被らずに、ジャングルに面した裏側で済ませることも多い。2019年8月11日の朝、牛が来たと家の中にいた私にアイシャが告げた。牛は、私が知らない間に、業者によって裏庭に連れられてきていた。淡いブラウンの色をした綺麗な牛だった。親類の男性たちが揃って牛を抑え込もうとしている。食肉処理を行う技術がある男性がやってくるのを待っているのだという。

イスラムでは、食肉処理にルールがある。まず、精神的にも健全なムスリムが正しい意図をもって、アッラーの名において行うことが肝要だ。食肉処理をする動物は、処理をする時点で生きている必要がある(死肉を食べることは、極限状態でない限り禁止されている)。さらに鋭利で不純物が付着していないナイフを用いること、そして一度で頸動脈や食道を切断することが求められる。これは、動物を必要以上に苦しめない配慮でもある。ビスミッラー・アッラーフアクバル(神の名のもとに、アッラーは偉大なり)、ビスミッラー・イッラフマンイッラヒム(慈悲深きアッラーの御名のもとに)、と唱えながら切断する。この際、できれば家畜の顔はメッカの方角に向けることが推奨される。

親類の女の子が私に近づいてきた。ナオミ、死ぬ前に牛は泣くんだよ、私はいつ見ても心が苦しくなる、とだけ告げて目を背けた。私には何のことか、まったくわからなかった。

杭で頭を固定された牛

牛の涙

大の大人が5人かかっても、牛をなかなか捕えることができなかった。30分くらい格闘した頃だろうか、縄で後ろ足を絡めとられた牛が大地に倒れ込んだ。首に縄がかけられ、頭を固定するために杭が打ち込まれる。逃げられる可能性は、もはやなくなった。その時だった。牛の目から、大粒の涙が幾筋もこぼれ落ちていったのだ。私には、牛が自分の運命を悟って、あきらめの涙を流したように見えた。

牛がひとしきり涙を流し終えると、ビスミッラー・アッラーアクバル、ビスミッラー・イッラフマンイッラヒムという言葉が聞こえた。首から流れる血が、大地に染み込んでいく。アイシャのお父さんは、こうして何世代にも渡って、この大地にはアッラーの名のもとに動物が屠られてきた。その血は、大地を豊かにしてきたのだ、といった。動物にとっても、アッラーの名のもとに死んでいくことは幸せなことなのだ。お父さんにすれば、牛の涙は喜びの涙とも捉えられるのかもしれない。

命が無くなり、皮がはがれ、肉の塊となっていく。残酷だと思う人もあるかもしれないけれど、命をいただくというのはこういうことなのだ。スーパーで肉になった状態ばかり見ていると、自分が口にしているものに対する意識がどんどん希薄になっていく。そういう意味でも、一年に一度のお祭りで動物の命をいただくことについて考える機会があるということは、大きな意味があると感じた一日であった。

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