タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

カメルーンを紹介しよう

私が “カメルーン”のことを知ったのは、タイ深南部地域で公立学校や私立学校の訪問を始めた頃だった。タイ深南部は、2004年以降にタイ政府と反政府武装組織とのあいだでの抗争が激化したために、観光で訪れる人がほとんどいなくなってしまった。そんな地域でもあるので外国人は珍しく、地元の人達はほかに外国人がいたら紹介してくれようとする。

私はガイジンだが、トヨタやホンダで知られるメジャーな国、そしてアニメ大国でもある日本からやってきた。現地の大学の日本語学科には日本人の先生もいらっしゃるので、日本と国名のみで呼び捨てにされることはそんなになかった。私の名前を知らない人からは、少なくとも日本人の学生か日本人の子と呼ばれていた。しかし、カメルーンは、ただカメルーンと呼ばれていた。それも一人ではない、三人もいたのに全員カメルーンだった。

今日はカメルーンがいるから紹介しよう。とある村にある公立学校の校長先生が紹介してくれたカメルーンは、かなり癖のある英語を話す男性で、タイ語はできなかった。校長先生がカメルーンと言ったのは、カメルーンからやってきた英語教員だった。なぜ中央アフリカのカメルーンから、はるばる東南アジアのタイの、しかもマレーシアとの国境にやってきたのだろう。しかも、カメルーンという国は、フランス語を話す国だった気がする。

小学校の校舎。”カメルーン”は郡内のいくつかの公立学校をまわりながら、子供たちに英語を教えているという。

出稼ぎとタイ式グローバル人材育成

大学を卒業したばかりだというエリックは、将来より良い職業に就くため、そして経験のためにタイに出稼ぎにやってきた。詳細は話してくれなかったが、カメルーンには海外の仕事を仲介してくれる業者があるそうだ。そうして見つけたのが、タイの学校での英語教員という訳だ。タイの公立学校では、外国人の語学教員が採用されていることが多い。エリックいわく、中部や北部など人気のエリアは白人、タイ人のいうところのファランが派遣され、人気のないエリアにアフリカ系やフィリピン人が飛ばされるらしい。遊びに行くところさえない田舎で、たまに他の二人に会うのが唯一の楽しみだという。

滞在していた地域には、公立学校で教えるカメルーン人教員のほかに、地域でもっとも規模が大きい私立学校で雇用されていたミンダナオ島出身のクリスチャンの先生がいた。アンナは、ミンダナオも似たようなところなので(イスラム系武装組織と政府の抗争が続いているという意味で)怖いとも思わなかったし、気候も大きく変わらない。生活に慣れるのに苦労はなかったという。陽気なアンナは、フィリピンの女性出稼ぎ労働者の多分に漏れず、夫と娘、そして両親を支えるために故郷を後にしていた。

タイで90年代に進められた教育改革は、グローバル化に適応できる人材の育成をうたったものでもあった。外国人教員の採用も、そうした試みの一環だ。カメルーンはフランス語と英語が公用語だが、エリックはフランス語圏出身で、苦しそうに英単語を絞りだしていた。タイの学校で教えるにあたっては、少なくとも、深南部の公立小学校の一部の現場では、母語が英語かどうかといった点はそこまで重視されず(校長先生は彼らの母語がフランス語ということを知らなかった)ただ外国人であるということが重視されているようだった。

内向き志向の功罪

タイと日本は、良くない意味で似ている部分がいくつかある。バンコクで留学生生活を送っていたときに一番仲良くしていたトリニダード出身のポスドクの友人は、タイ人(とバンコク人)の差別意識についてよく話していた。タイには、色々な肌色の人がいるし、顔立ちだってさまざまだ。それでもアフリカ系であるということは、差別、少なくとも好奇の視線を集める原因になっていた。田舎出身あるいはお隣のミャンマーやカンボジア出身の労働者に対して、彼らがいないとタイの経済は立ち行かないにもかかわらず、風当たりがそこそこ強い。タイ南部の人は北部、中部と比べると肌の色が濃い人が多いので、それも揶揄あるいは自虐の対象になる。タイには、顔だけでなく、身体中、ワキに至るまであらゆる部分を美白するための製品があふれていて、人々のコンプレックスを刺激し続けている。

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肌の色や出身地で差別や区別をするというだけではなく、バンコクではとくに(本物のタイ人が何なのかタイ人にさえよくわかっていないのに)タイ的なものへのこだわりが強いと感じることがあった。ガイジンはガイジンでも、タイ語をそれなりに学んだ私のようなガイジンには、タイの魅力の勝利といわんばかりに歓迎してくれる。買い物に必要なタイ語以外は頑として身に着けなかったトリニダードの友人は、同僚の先生や研究者に、裏ではタイの文化を尊重していないと文句を言われ、会うたびに「あなたはタイ語勉強するべき」と言われていた。そもそも彼女はタイの研究をしている訳でもなく、大学のグローバル化と英語の成果を増やすために雇われていたはずだったのだけれど。

エリックやアンナもそうだったが外に出て行くことが当たり前の社会で生きてきた人たちを見ていると、ホスト社会に迎合するということも特になく、かといって敵対することもないように感じる。それは彼らなりの生き抜く知恵でもあるだろう。グローバル化がすすむということは、故郷では限られている選択肢を増やし、世界という場で活躍の場を模索できるという意味ではポジティブな側面も大きい。

それと同時に、高度人材か単純労働者かにかかわらず、グローバルな競争に常にさらされることの辛さ、そして恐ろしさも感じる。内向き志向は、しばしば非難の的になる。人間としての尊厳を否定するような、排外主義的な態度はけっして受け入れられない。しかし外国なんて行きたくないという人がそのままでも暮らしていけるということは、実はそこまで非難されることではないのかもしれない。

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