タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話, マレーシア

お化けが来る!

夜にリコーダーを練習しようとしたら「夜に笛を吹いたらだめ、鬼が来るよ」というようなことを言われたことがある。暗くなってから外に出ようとすると「子取りに取られるで」と祖母が言っていた気もする。子供に対するちょっとした脅しは、世界中どこの地域にもあるものだ。タイ深南部でも、やんちゃな子供たちを親が脅すときの決め文句が、そんなに行きたいんだったら行っておいで、ハントゥ(お化け)に会っても知らないからね。こういわれると、子供はたいてい遊び足りない気持ちを我慢して、家に戻ってくる。

マレーシアのホラー・コメディ、ハントゥ・カック・リマ。リマさんのお化けが引き起こすドタバタ。お化けには女性が多い気がするが、マレー世界で有名なのはポンティアナックと呼ばれるお化けだ(リマさんは違う)。子供を産むときに亡くなった女性だとされ、長い黒髪に血を吸う幽霊として描写される。

イスラムではお化けなんて認められていない、神は唯一なのだから、という人もいるかもしれない。そんなことはない。イスラム世界でも、不思議な話やお化け話には事欠かない。初めて会った霊感があるムスリムは、大学時代の恩師夫妻に連れて行ってもらったタイ南部(深南部ではない)で会った女の子だった。彼女はある夕暮れ時、家の前の通りで、楽しそうにサッカーをする男の子たちを見かけた。どこの子だろうと目で追っていたら、辻のあたりで姿を消した。そこでようやく、幽霊だったとわかったという。

そのほか、マレーシアやタイのムスリム地域では、意中の相手を惚れさせるためのおまじない的なものから、失せ物探しまで、実はいろいろなことが行われている(ただ現場を見たことがないので機会があったら見に行きたいと思っている)。自分も誰かにまじないや呪いをかけられたことがあるのかもしれないけれど、私自身に霊感がまったくないこともあり、不思議体験と呼べるものをしたことはない。ある日、友達が改まった様子で電話をかけてきた。とてもいいにくそうに、私は呪いにかけられたみたいだ、かかわっている人にも害が及ぶかもしれないから気を付けてと言われた。

友達が呪われた?

私の友達は、特殊な能力を受け継ぐとされる家系だった。彼女の不思議体験はたくさんあるけれど、呪いにかけられたことで随分と恐ろしい思いをしたそうだ。彼女は今、マレーシアに住み、働いている。マレーシアの実家の隣人が嫉妬をこじらせて、彼女の家族を父の代から数えて7代にわたるまで呪いにかけたというのだ1。何故そういう結論が下されたのかというと、まったく違う経路で、まったく同じ話を聞かされたからだという。タイ南部やマレーシアのムスリム地域にはボーモーと呼ばれる伝統医がいる。その中には、目に見えない世界とのつながりを通して、人々を癒すヒーラー的なひともいるし黒魔術的なことを行うひともいる。得体の知れない体調不良が続いていた彼女は、全くつながりのない離れた土地にいる2人のボーモーに、父の代から7代呪われていると言われたのだという。


マレーシアではボーモーなんてイスラームに反しているから信じていない、という人がほとんどだった。マレーシア人はよく、魔術を好む怪しいムスリムはたいていタイ南部かマレーシア北部の国境地帯にいるムスリムだということをいう。しかし実は、マレーシア(全体)でボーモーはかなり人気のようだ。写真は未来を予測できるとかたるボーモーに20万円以上だまし取られた元軍人の記事より。https://www.thestar.com.my/news/nation/2019/11/28/former-soldier-loses-over-rm8k-to-039bomoh039

話はそれるが、7代にわたる呪いと聞いて、マレーシアのランカウイ島の伝説マスリのことを思い出した。王妃であったマスリは謀られ、不義の疑いで死刑に処せられることになった。マスリは身の潔白を訴えるも、聞き届けられることはなかった。彼女は、わたしがもしも無実ならば白い血が流れるだろう、そしてこの地は7代にわたって呪われるだろうといった。槍が彼女の身体を貫いた瞬間、白い液体がほとばしったという。これには後日談がある。マスリの7代目の子孫は、タイのプーケットにいた。ランカウイでは、子孫にあたる女性を招き、マスリの霊をなぐさめる祭祀が執り行われた。マスリ廟はいまや、ランカウイ島の主要な観光名所になっている。

7代までというのは、日本でいうところの末代まで呪ってやるという感じだろう。考えてみると、7はけっこう重要な意味をもつ数字である。キリスト教と比べると奇跡の話が少ないイスラム教だが、ムハンマドが天使ジブリール(ガブリエル)に導かれ、メッカからエルサレムに瞬く間に移動し、そこから昇天、アッラーに会ったとされるイスラ・ミラージュという奇跡がある。ここでムハンマドは、7つの天を一つずつ上って歴代の預言者に会っている。メッカ巡礼では、カアバ神殿を7周するタワーフや、悪魔を表す柱に7つの石をぶつけ、サファとマルワの丘を7回行き来する、という儀礼をおこなう。7は宇宙的な、神的なニュアンスをもつ数字だとはいえるのかもしれない。

目に見えない世界

その友達にどのような症状が出たのかというと、寝ているときに子供(彼女に子供はいない)が足を引っ張ってくる、夢に何度も見知らぬ男の子が出てくるというものだった。生理のときには、日常生活がままならず、大変な苦しみ方をしていた。あるボーモーには、彼女に子供ができないように、子供ができる前のさらに受精卵になる前の状態で悪霊が食い尽くしてしまっている、ということも言われたそうだ。彼女が実家に置いていたぬいぐるみなど、顔がついているものも呪いを強めるだとかで、箱に密閉して封印した。彼女自身は体もしんどいし、呪いだと言われてよい気持ちはしないしで、かなり参っていた。私はというと、7代先まで呪いたいなら子孫が潰えてしまったら呪えないではないか、という変なツッコミが心の中で浮かびつつ、自分の下宿の部屋に飾っていた写真が急に怖くなって裏返したりした。

イスラムにはお化けはいないのかもしれないが、よく似たものにジンがある。アラジンにも、水色のランプの精ジニーが出てくる。アッラーは、人間と同じようにジンを創造された。ジンをめぐるもっとも有名な話は、ジンを自由に操る力があったソロモン王がかれらを使役して、荘厳な神殿を建設させたという話であろう。ジンには、ムスリムのジンとムスリムではないジンがいて、人間と同様いいヤツもいれば悪いヤツもいる。ジンからは私たちのことが見えているけれど、私たちにはジンは見えない。ただ、私たちが悪いことをしない限り、彼らが人間に危害を及ぼすことはないといわれている(これには異論もある)。

ナラティワートのどかな田園風景。村でも一人くらいは”幽霊”を見たことがある人がいる。ここでも山から死んだはずの村人が白い布をまとって降りてくるのを見た、という人がいた。

悪霊やお化けと悪いジンは、どう違うのか、正直いって私にはわからない。ただ死者が霊となって現れたという時の霊と、ジンは異なっているだろう。神が創造した、私たちには見ることができない被造物であるジンは確かにこの世界に存在していて、何かの拍子に彼らの世界を脅かしたら人間に悪さをする可能性はある。科学や論理では説明できないことが起こった時に、悪いジンによってもたらされたと解釈して、障害を取り除こうとする試みが人間側からなされるというのも理解できる話だ。

呪いにかけられたときにボーモーの助けを得る人もいるようだが、友達は非常に真面目なムスリムなので、ただひたすらクルアーンを読誦してアッラーの助けのみを乞うていた。その後、聞いたところによると、くだんの隣人の怒りは別の人に向かったようだ。隣人宅に盗みに入った十代の男の子が、交通事故で急死したのだという。あくまで近所の人の噂話にすぎないということだが、隣人が呪い殺したということになっているらしい。何が何だかよくわからないものの、彼女に起こってきた不可解な現象は、コロナ禍に入り、男の子が亡くなった頃からぴたりと止んだという。

  1. 彼女の今は亡き父は名高きアズハル大学卒業、ブルネイで教員をしていた当時、母にSKⅡを買い与え続けるほどの暮らしぶりだったという。父が存命中、隣人は父が黒魔術を使っているといって騒いだことがあるそうだ。父が亡くなってからも、自分の娘がヒステリーを起こすのは友人の家族の黒魔術のせいということになっていた。

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