タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

タイ深南部の女性組織

タイの首都バンコクからおよそ1000キロ南に下ったマレーシアとの国境近くには、マレー語パタニ方言を母語とするムスリムが8割近くを占める、南部国境県あるいは深南部と呼ばれる地域がある。深南部の社会において、イスラムの果たす役割はとても大きい。生まれたばかりの子供の耳に向かって唱えられるのは礼拝への呼びかけであるアザーンであり、学校での教育、割礼や結婚、イードの共食、葬送といった儀礼、文字通り生まれてから旅立つその日まで、イスラムは人々の日々の生活をかたち作っている。

深南部は、女性の役割に関して保守的な考えが強い地域である。家長の命令に服し、家を守る女性が良きムスリマ(イスラム教徒の女性)であり、男性の前に立つ、自らの意見を強く表明するといったことは良しとされない。400年以上の歴史をもつ寄宿型イスラム塾であるポーノ(ポンドック)における女子教育からも、こうした男女の役割の厳格な区別と女性の社会的役割の限定を観察することができる。

深南部は一般的に、紛争地帯として知られている。2004年に紛争が激化してから、すでに子供と女性を含む7000名ちかくが犠牲になった。深南部では、反政府武装組織による暴力のみならず、政府による裁判手続きを経ない逮捕や収監、拷問、強制失踪といった人権侵害が多発している。深南部では戒厳令と首相緊急令を根拠に、軍や警察によって突然、夫や息子が連れていかれるということが生じてきた。犠牲者の多くがムスリムの一般男性であり、働き手を失った女性が困窮する事例も増えた。

Family calls for justice as detained man fights for life (2019年7月23日付のThe Nationの記事より)。2019年、持病もなく健康そのものだったアブドラ・エソムソ氏が軍基地に連行された夜に死亡するという事件が起きた。このほかタイでは、活動家などの「強制失踪」も問題となってきた。2019年にラモン・マグサイサイ賞を受賞したアンカナ・ニーラパイチット氏(上記の記事にも出てくる)の夫も、強制失踪の被害者である。タイ政府と反政府武装組織の抗争が激化し始めた2004年、テロ容疑で捕まったムスリムの弁護を行っていた夫が、警察とみられる男たちに連れ去られたのちに行方がわからなくなった。彼女自身は深南部出身のムスリムではないが、深南部においても人権活動家としてよく知られている。

深南部の女性組織がおもに扱っているのは、泥沼化する紛争の影響を受けた女性の支援とケアである。市民団体は数多くあるが、ここではワンカノク・ポエーテーダオ氏が率いる「ルークリエン・グループ」、ソラヤー・チャムチュリー氏が率いる「南部国境県・平和のための女性市民ネットワーク」、そしてアンチャナ・ヒーミナ氏がコーディネーターを務める「ドゥアイチャイ」について紹介をしようと思う1

深南部のNGO関係者からは、国連をはじめとする国際組織はイスラムを破壊しようとしているという懸念が聞かれることもある。さまざまな女性組織がゆるやかに協力しながら、時には国連やユニセフ、CEDAW(女子差別撤廃委員会)、マレーシアのSIS (Sister in Islam)といった国際組織とも協働しながら、イスラムの教えと人権の架橋、女性のエンパワメントを実現するための活動が続けられている。

2002年に設立されたルークリエン・グループは、2004年以降紛争の影響を受けた子供を支援するためのチャリティ活動を中心に展開している。バンコクを拠点とするイスラム系NGOの関係者によると、ルークリエンは軍との蜜月関係のもとで政府機関や国連とのつながりを深めていることから、「政府寄り」の団体として認識されているという。しかし、孤児だけでなく、麻薬常習者、性的マイノリティ、エイズ患者、10代の未婚の母など、他のムスリマ組織の支援から取りこぼされ、何重にも周縁化された人々に目配りしていることは注目されるべきだろう。

葬式などで見かける花輪の製作とチャリティをつなげているケア・ネーションは、タイ国内のNGOの資金調達も手伝っている。勉強が続けられたこと、新しい制服が買えたこと、夢を見ることができたこと、成功を経験することができたこと、支援者にそうした感謝を伝えるビデオメッセージ。左端の人がワンカノク氏。

深南部で高名な女性活動家としてしばしば名が挙がるのが、ソラヤー・チャムチュリー氏である(研究者でもある)。彼女は2004年の紛争激化以降、被害者支援と政府による暴力の真相究明に着手し、2010年に深南部で初めて女性市民のネットワークを立ち上げた。ソラヤー女史らはイスラム指導者に対峙することや、児童婚などイスラムの教義にかかわるセンシティブな問題については関与を控えていることから、保守的であると評価されることもある。改革的とはいえなくとも、モスクへの女性センターの設置といった地道な活動が続けられていることもまた事実である。

ソラヤー先生自身が組織について、インタビューで説明している。ラジオなのでお姿が見えないが、政府の補償が始まる前から、紛争の影響を受けた人々に対する援助・補償を行ってきた。女性のエンパワメント、女性の声を伝えるためのプラットフォーム作りなど活動を広げている。

これらの組織のあいだに位置づけられるのが、ドゥアイチャイである。ドゥアイチャイは2010年以降、在監者の妻を中心に囚人の権利にかかわる活動を先導してきた組織で、女性のエンパワメントや女児の権利保護へとその射程を広げる女性の権利団体である。ドゥアイ・チャイからは、深南部のアイデンティティを大切にしつつ、改革的なイスラム解釈を取り入れながら旧来の保守的な思想に対抗していこうとする姿勢がみられる。

募金活動の様子。“กลุ่มด้วยใจ” พลังจากหัวใจช้ำของครอบครัวผู้ต้องขังคดีความมั่นคง (ドゥアイチャイ・グループ:治安維持関係の受刑者家族の傷ついた心がもたらす力。2010年2月24日付の記事より)。囚人の子供や妻のケア、コミュニティとの相互理解や信頼醸成を主な活動目的としている。人々のあいだでは関わることによって不利益が生じるのではといった疑念や囚人に対する偏見も強く、多くの壁が存在してきた。

また、2015年にタイ南部国境県(パッターニー、ヤラー、ナラーティワートとソンクラー県の一部)地域で展開する23の組織から構成されるPAW(Peace Agenda of Women)が設立された。上記のルークリエン以外の組織が加盟している。

PAW加盟組織一覧2

・ザオクナ・グループ3
・南部国境県緑シャツ女性グループ(ヤラー県)
・平和のための南部国境女性ネットワーク
・ピヤムマン女性貯蓄グループ4
・信仰共同体ネットワーク
・ナラティワート・ムスリマ公務員協会
・ナラティワート・ムスリマ指導者協会
・ヤラー県ムスリマ福祉協会
・南部国境県・平和のための女性市民ネットワーク(Civic Women)
・南部国境3県・暴力を終わらせ平和を探求するための女性ネットワーク
・平和のための仏教徒ネットワーク(B4P)
・南部国境県グッドガバナンスのための女性ネットワーク
・平和のための女性協会(We Peace)
・孤児の教育と補償のための基金(FECO)
・ヤラー県青年ネットワーク・ファーサイセンター5
・南部国境4県孤児ネットワーク協同センター
・ドゥアイチャイ・グループ
・代替的な正義のためのボランティアネットワーク
・南部国境地域資源ネットワーク
・南部国境地域市民社会協議会
・南部紛争・文化多様性研究所(CSCD)
・南部状況監視センター(Deep South Watch6

2016年にパッターニーで生じた市場爆破事件に際して、PAWによって出された声明は以下で読むことができる。https://thaienews.blogspot.com/2016/10/blog-post_932.html

タイ政府と反政府武装組織とのあいだの和平対話において、女性の果たしてきた役割は決して大きくはなかったと言わざるを得ない。背景としては、冒頭にも述べたように、深南部地域特有の女性の立場を指摘することができるだろう。しかし、深南部の平和と公正な社会の実現という点における、女性の存在感は大きくなっているともいえる。PAWとして既存のグループが集結することで、従来の和平対話では重要視されてこなかった「補償」という論点を、政治的な論点として表出する力となったといえるだろう。

深南部における女性の地位の低さがしばしば問題にされるが、正直なところ家族を支えてきたのは女性だ。学校の先生や公務員にも女性が多く、市場などで物を売っているのも女性の姿が目立つ。殿方はというと、私が留学していたころは一日中カフェに座ってスマホを見たり談笑したりしているといった姿もしょっちゅう見かけた。タイ深南部で、家族を支えている(きた)女性たちの力を侮ってはならない。この点について、別の観点から以下の論集のコラムで執筆している。

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感想(0件)
  1. ルークリエンとは、木になる豆のことで、東南アジアに見られる。ドゥアイチャイとは、心から、愛を込めてといった意味。
  2. この情報は、以下の論文を参考にした。Bhasrah Boonyarithi and Chantana Banpasirichote Wungaeo 2019. “Women and Peace: Peace Agenda of women and Her Peace Movements in the Southernmost Provinces of Thailand”, https://peaceresourcecollaborative.org/deep-south/deepsouth-patani-peace-process/womenpeace
  3. アラビア語で私たちの味という意味。
  4. ピヤムマンは地域の名前。
  5. ファーサイは青空、快晴といった意味
  6. 英語や日本語の記事も掲載されているので深南部に関心のある方は要チェック。https://deepsouthwatch.org/th 

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