タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話, マレーシア

マレーシアからタイへのグレーな旅

2020年3月、私は、マレーシアのクアラルンプール郊外にあるタイ料理店にいた。タイ人の労働者たちがタイに「帰国」するときに利用するという、ロットゥと呼ばれるミニバンに乗ってマレーシアからタイに戻ることにしていたからだ。私は、マレーシアに空路で入国、パスポートも持っているし、ビザも切れていない。まったく違法な要素はないのだが、このロットゥ、そして、ロットゥを利用する人たちは、ほぼ例外なく観光ビザで入国している、あるいはビザさえ持っていない、不法就労者である。店の中に作られた6畳ほどの部屋は、換気扇がついている以外は窓がなく、日中でも電気をつけなければ真っ暗だ。部屋は調理場のすぐ横にあるので、入ると暑くて息ができないほど苦しい。こんなところに、ある時は1人で、ある時は同僚と2人で暮らしながら働いている友人がいた。アイシャは、マレーシア全土に数多く存在する、タイ南部国境地域からの出稼ぎ労働者だった。

アイシャの1日の暮らしは、仕事を中心にまわっていく。12時頃に起きて水浴びをし、礼拝をしてから14時頃には店に出る。ほうきで床を掃いて、プラスチックの椅子を並べ、下ごしらえをしたり湯を沸かしていると、4時頃にはちらほらとお客さんがやってくる。深夜を過ぎて、夜中の1時頃まで客足は途切れない。2時過ぎに最後の客が帰ったら、火を消し、テーブルを拭き、椅子を上げ、床をほうきで掃く。水浴びをして、携帯電話を少しいじって、朝の礼拝をしてから眠りにつく。このような生活を、毎月1度の休みに、タイに「帰る」ときまで続ける。休みの日とは、1か月の観光ビザが切れる前に、パスポートにスタンプを押すためタイに戻る日である。こうした暮らしは、マレーシアにあるタイ料理店で働く労働者にとっては、普通のことだ。

クアラルンプール市街地にあるタイ料理店

新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめた2月の終わり、3月2日にタイに向けて発つロットゥをアイシャとともに予約した。3月2日の深夜12時半、この日は早めに仕事を終えたアイシャは、水浴びをして、故郷に帰る準備をしていた。アイシャは、オーナーがあまりにもケチで性格が悪いので、二度と戻らないつもりでいた(その後、新型コロナウイルスの拡大で国境が閉ざされてしまったので、戻りたくても戻ることはできなかっただろうけれど)。店のお風呂場というのは、店の裏側にポツリと建てられた掘っ立て小屋だった。そこに蛇口がついていて、バケツに水がためてあるだけの小さなスペースだ。隣には、同じくらいのスペースのトイレがあった。東南アジアによくある、日本の和式便所みたいではあるが、フチが広めで、きんかくしと呼ばれる丸い部分はないタイプである。私は、真っ暗闇を突き進み、水(常夏でも夜は肌寒い)を浴びるのがどうしても嫌だった。アイシャに汚いといわれながらも、キッチンで顔だけ洗って眠りについた。

午前4時に起き、ロットゥを待つ。運転手がピックアップの時間として指定したのは、4時半だった。1時間過ぎ、6時になってもまだ来ない。うとうとしながら、8時を過ぎたけれどまだ来ない。日は昇り、すっかり外も暑くなってきた。10時前になってようやくロットゥが到着する。待ちくたびれて、この時点で、タイに帰る気力が半分くらい失われていた。現れた運転手は、健康状態が非常に悪そうな40代のおじさんであった。10代と思しき少年が一緒にいる。二人とも、同じように顔色が悪いのは、きっといけないクスリをやっているからだろう。キャリーケースやバックパックを積み込み、出発したのは10時過ぎであった。途中で一人の労働者風のおじさんをピックアップ、その後ゲンティンハイランドを通り過ぎた辺りで、ニキャーブ(目だけを出すタイプのスカーフ)をした女性を民家からピックアップした。彼女は、配偶者がマレーシア人で、里帰りのために利用したようだ。

運転手、少年ともに、ヘビースモーカーで煙草をつねにふかし、ペットボトルに入ったうす緑色の液体をことあるごとに飲んでいる。やっぱりヤク中だと確信したのは、この緑色の液体を見たからだ。隠しもせずに透明なペットボトルに入れられたものは、クラトムから作られた液体である。クラトムは興奮作用のある植物で、古くから痛み止めなどとして用いられてきた。深南部では、道を歩けばクラトム(あるいはクラトムを飲んでいる人)にあたるくらい、たしなんでいる人が多い。分離独立運動よりかよっぽど深刻な問題だと、人々がため息交じりに語るほどだ。アヘンや大麻と同様に、医療への応用が期待されているが、一般に所持するのは違法である1。少年は焦点の合わない目を後部座席に向けて、二番目にピックアップした客のおじさんに、クラトムをなんども勧めては、なんども丁重に断られていた。

ロットゥは、飛ぶように走る。2リットルのペットボトルに入ったクラトムは、順調に減っていった。途中に2回入った10分程度の休憩では、現地の警察かヤクザかに「お気持ち」が渡されていた。乗客たちが支払うお金のかなりの部分は、国境を行き来する人々の安全を確保するために支払われる「お気持ち」に消えていく。10時に出発し、お昼ご飯も食べずに走り続け、4時頃ようやくマレーシア側の国境の町ランタウパンジャンに着いた。ここまでくれば、タイは目と鼻の先だ。ランタウパンジャンでは、パスポートにスタンプを押しに行く人たちを運ぶ専門のモーターサイ(バイクタクシー)が待っていて、イミグレーションまで連れて行ってくれる。入国カードを書いていた外国人のなかには、マレーシア人や欧米人、中国人がいた。

コロナが問題になっていたとはいえ、入口にサーモグラフィがあった以外は、まったく緊迫した様子はない。イミグレのオフィサーからは、ミーフェーンマイ(恋人はいるのか)というまるで挨拶のようなお決まりの文句、とくにコロナのことを聞かれることはなかった。拍子抜けするほどあっさりと通してもらい、バンコクの空港では絶対にさせられる指紋のスキャンさえされなかった。陸の国境は、本当にザルだ。大きな声ではいえないのだが、私は20バーツ(80円程度)を払って、タイ側からマレーシア側に川を渡って買い物に行ったことさえある。

国境を渡ったタイ側の町、スンガイコーロックのバスターミナルに向かう。ロットゥのピックアップが遅かったせいで、当然タイに到着するのも遅くなった。バスターミナルから深南部各地に向かうロットゥは、だいたい午後5時頃にはなくなってしまう。一瞬、スンガイコーロックで一夜を明かすのかと覚悟をしたけれど、4時半すぎ、たまたま荷物を待っていたヤラー行きのロットゥを捕まえることができた。出発は5時半だという。

バスターミナルからは、サムイ、プーケットといったリゾートや、その他いろいろな地域に向かうバスが出る。イミグレで一緒だった欧米人がひとり、はだけた服から入れ墨がまるみえ、入国審査の時に確かに履いていたはずの靴がなくなり、はだしでうろうろしていた。助けを必要としている感じではなかったので、アイシャと一緒にバスターミナルの食堂でガパオライスを食べた。もちろん、半熟目玉焼きをのせて。一日何も食べていなかった胃に、タイのガパオが染みて、あやうく涙が出そうになった。そういえば、マレーシアのタイ料理店では、なぜだかわからないけれどガパオ系の料理があまりない。

途中の鉄道駅付近で下ろしてもらい、迎えにきてくれた親戚の車で、夜7時すぎ無事に故郷の村へとたどり着くことができた。マレーシアでは、ここ20年来、タイ料理店が増え続けてきた。こうした料理店で働く何万人もの労働者(多くは深南部出身のマレー系ムスリム)が、休みもなく汗水たらして働いて、毎月こんなに苦労してパスポートにスタンプを押しに戻ってくる。それが送迎ロットゥなど新たなビジネスを生み出し、国境の怪しげな経済の規模は、どんどん大きくなっていった。新型コロナウイルス感染症の拡大で経済や人の行き来がストップしてしまってから1年、こうした国境ビジネスも大打撃を受けたことだろう。けれどもきっと、コロナが落ち着いたらまた、じわじわと蘇ってくるに違いない。

  1. その後、クラトムは2021年5月に違法薬物の指定から除外されている

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