なかなか落ち着かない自分の心と向き合うために、大切な友人の死について記録を残しておきたい。2022年7月15日の朝、ニウェーソからビデオ電話があった。以前の記事で、家の周囲に呪物が埋められていたという話を聞かせてくれた友人だ。その日病院に担ぎ込まれたという彼女の鼻からは細いチューブが挿入され、声はほとんど出ていなかった。「こんなふうになってしまった」と声を絞り出した彼女の顔には、恐怖と不安、困惑が混じりあったような表情が浮かんでいた。およそ1分でテレビ電話が切れると、病院治療を受けるための資金が必要なのでどうしても仕事が欲しい、助けてほしいというメッセージが続いた。つねに自分より周囲の人を助けることを優先してきた彼女は、2020年に乳がんと診断され、いくつかの理由から病院での治療を拒んでいた。この2年間の彼女の尋常でない人生の苦しみを、私は日本にいて聞くことしかできなかった。
7月22日の夜、ニウェーソの大学時代の友人からの着信、そしてベー・ディン(ニウェーソの上の弟)からメッセージが立て続けにきていた。とても嫌な予感がして、その予感は的中してしまう。手術を受けてから2日後、最後にテレビ電話をしてから1週間後、2人の子供を残し42歳という若さで彼女はアッラーのもとに帰っていった。私が最初に深南部に現地調査に入った2015年からおよそ7年、私が調査のさいに流した汗も血も涙も、彼女はぜんぶ知っている。呪物が発見されてからの1年間、彼女が訴える体の痛みが、緩和ケアを受けなかったが故の痛みでなく、解ける呪いであってほしいと、どれだけ願ったことだろう。死というかたちでの幕引きになってしまったことは、いまだに完全に受け入れることができたとはいいがたい。同時に、彼女はもう貧しさや人間関係、体の痛みに苦しまされずに済むのだと、ほっとしている自分もたしかにいた。
ニウェーソの死から1か月が経ったころ、2022年の8月におよそ3年ぶりに調査でタイに行く機会を得た。渡航直前に私自身がコロナに感染し、後遺症に苦しめられながらの旅となったものの、彼女の墓を訪ねた。彼女の実家は村のモスクのすぐ隣にあって、モスクの敷地は彼女の一家の寄進(ワクフ)である。死者は村の共同墓地に埋葬されることが一般的だが、家族によっては家の墓をもっている。一般的にタイ深南部では、女性が墓地に立ち入ることはなく、遺体を洗う作業以外は、埋葬や死者を送る礼拝を含めて儀礼を執り行うのは男性である。彼女の場合は自分の曽祖父母、祖父母などと並んで家の裏手に埋葬され、私が墓地に行きたいと言っても何らの問題もなく連れて行ってもらえた。イスラーム以前の文化や風習の影響が残るこの地域では、イスラームに定めのある葬送儀礼だけでなく、死後7日、20日、40日、100日後に宗教指導者を呼んでクルアーンを唱えてもらったり、食事をふるまったりすることがある。このような儀礼は、イスラーム復興の流れのなかで大きな批判を受けてきたものでもある。
孤児となった兄弟と困った大人たち
人の家のことをとやかくいうのは気が引けるが、彼女の家族は彼女の上の弟であるベー・ディンをのぞいて、なかなかに問題のある人ばかりだ。父は20年ほど前にめとった第二夫人のところに入りびたり、少ない収入はすべてそちらに渡している。結婚を機に入信した第二夫人は、北部のチェンマイ出身で仏教徒の息子が一人いる。彼女はなぜか縁戚にあたる子どもを育てようとしていて、以前は非常に素行の悪いことで有名だった10歳の男の子を連れていた。今回その子はどこかに消え、3歳の女の子を「ムスリムとして」育てているのだといっていた。50代後半だと思うが(その後60代半ばだと知る)、マダム風の話し方や年に似合わぬ妖艶さに、いつも背筋がひやりとする女性である。ニウェーソの実母は、だいたいTシャツとサロン姿で、足が悪いのであまり出かけることもない。当然第二夫人を憎んでいて、基本的に近所の人たちとうわさか悪口に花を咲かせている。実母が一番かわいがっているのが3番目の子供、つまりニウェーソの下の弟だ。
下の弟は、外面はよいものの、とんでもない暴君ぶりを発揮してきた。ニウェーソやベー・ディン自身が家族の問題について多くを語ることはなかったが、ベー・ディンの奥さんが涙ながらに語ってくれるし、たまにしか滞在しない私でさえも直接経験、目撃することがあった。下の弟は、姉や兄にお金を無心しては欲しいものを買うものの、もちろんお金を返したことはない。兄の車を借りて旅行をし、壊して返したこともあった。私がはじめて現地調査に行ったときには、弟はバンコクにいた。しかし、ニウェーソが夫と離婚して、子供を連れて出戻る直前に、奥さんと子供を連れて実家に帰ってきていた。そのとき、ニウェーソに対して「俺の家」に帰ってくるなと文句をいっていたけれど、実家の電気代や水道代、はては弟の子供の世話をし、弟一家が病気になったときに薬代を払っていたのはニウェーソで、障害のある妹の入浴や食事の介助をおこなっていたのも彼女だった。
ニウェーソが亡くなった7月22日の夜、私は何年も開いていなかったFacebookにログインした。下の弟が、彼女が亡くなったその瞬間に、僕が姉さんの分も家族の面倒もしっかり見るから安心してくれといったメッセージを、白い布でおおわれた遺体の写真つきで投稿しているのをみた。私は白々しい気持ちになると同時に、悔しさと悲しさが混じった気持ちがして泣いてしまった。ベー・ディンは、個人あてのメッセージで、明朝に埋葬予定のニウェーソの遺体の横で、父と一緒に寝ずの番をしていることを映像とともに伝えてくれた。そこに弟の姿はもちろんなかった。元夫もニウェーソの死をどこかのタイミングで知らされただろうが、葬儀に顔を出すことはなかった。案の定、ニウェーソが亡くなってから、子供たちは家のWi-Fiを使うと下の弟に文句を言われ、誰も使っていない個室を使わせてもらえずに、土間で寝かされていた時期もあったようだ。ニウェーソがみていた妹の面倒は、彼女の中学生になる長男が代わりにしている。長男は寝たきりの伯母の入浴、食事の介助をし、小学生の弟とともに祖母や伯父夫婦から小言を言われる日々が続いている。
生きている人にどう向き合っていくのか
ニウェーソは、お金が入っても治療を優先せずに、喜捨や人助けに使ってしまうような人だった。そんな彼女も死の数か月前には、お金がないせいで、はじめは助けてくれた友人も離れていき、家族も自分のことを重荷だとしか思っていない。お金がなければ将来のことも何も計画できないし、経験だって積むことができない。お金より愛が大切などというのは綺麗ごとだ、というようなことを言うようになっていた。そんなニウェーソの葬儀には、親族も驚くほど各地から大勢の弔問客が訪れ、たくさんの喜捨が集まったという。しかし私が訪ねていったときにはすでに、そのお金がどこにいったのかがわからなくなっていた。ベー・ディンは子供の学費にするように同居している家族に伝え、家族もそれに合意したというものの、おおかた宗教指導者や村人を招いて行う儀礼(さきほどのイスラーム的に物議をかもしている死後7日、20日の儀礼)と、家族の生活費に消えたというところだろう。
ニウェーソが死ぬ間際に子供のことを頼んだのは、実家を離れて住むベー・ディン夫妻だった。イスラームの観点からすると、彼女が死んだ今、子供の面倒を見る義務があるのは父親である。かつて軍人だったニウェーソの元夫は、彼女との結婚を期に改宗したとはいえ、反社会的勢力とのつながりもあったようで、礼拝もせず(そもそもやり方を知らないのでできず)、彼女といるときさえ「風邪薬を飲んでいる」と称して飲酒を続けていた。定職についていなかったため、夫に仕事が無い時は彼女が家の軒先でおかゆなどを売って生計を立てていたこともある。前回の記事でも書いたが、ボーモー(特別な能力があるとされているヒーラーのような存在)に元夫にも呪われていたようだと告げられていた。ニウェーソは別れるにあたって長男を要求した夫に断固として拒否をつきつけ、夫の元から逃げるようにして実家に戻っていた。こうした経緯もあって、夫の元に子供が引き取られるという事態は、彼女にとって、そして親戚のあいだでも、そもそも選択肢にさえ入っていなかった。
私が彼女の生前に送金手続きを始め死後に口座に入ったお金は、家族に知られる前にベー・ディンがすぐに引き出し、子供たちの口座を作って入れてくれていた。それでも、兄弟が現在通っている私立学校に1年通えるくらいのお金しかない。4人の子供をもつベー・ディン夫妻は、ニウェーソの2人の子供は、かならず自分たちの手で大学まで出すと言っていた。たとえ私が学費を実家にいる大人の誰かに送金したとしても、学費として使われるかははっきりとしない。ベー・ディンは、現在中学2年生の長男が中学校を終えるのを待って兄弟を引き取るつもりだが、子供にずいぶん家事をさせているために家族が手放すかがわからないとベー・ディンの奥さんは懸念している。
ムスリムであれば、アッラーが定めたならば死は免れない、アッラーが定めた運命を受け入れるという価値観をもっている。そういう意味において、死に対して必要以上に意味付けを行うこともない。しかしニウェーソが信頼できない家族のもとに子供を残して逝かなければならなかったことを思うと、また亡くなった母親を恋しく思う子供たちの姿をみると胸がつぶれそうになる。子供たちには、ニウェーソがいなくても会いにくるよ、苦しかったら頼ってほしいと伝えることしかできなかった。彼女の死に向き合うことは、生きている私が、これからを生きていく彼女の子供たちのことをどのように思い、何をしていくことができるのかという問いと向き合うことでもあった。もう30もとうに越えたいい年をして、ようやく少し大人になったような気持ちがしている。
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