2020年の3月に終末感がただようタイ南部のムスリム地域をあとにしてから(「コロナ危機と世界の終わり」2020年6月13日)、はや2年が経とうとしている。2020+などと表現されることもあった2021年もふくめて、とてつもなく長い日々を生きのびてきたような、すっぽり抜け落ちてしまって一瞬だったような不思議な感覚で2022年を迎えた。時空が歪んでしまったようだ。
2021年のハイライトは、目に見えない世界にかかわる話だった。私は目に見えない世界やスピリチュアルに対してとくにアレルギーはなく、むしろ話を聞くのは好きなほうだ。以前、私の友人が呪われたらしいという話を紹介したことがあった。その後、同じ村に住んでいる別の友人が、深刻な「呪い」にかけられていることが判明した。両方ともたまたま女性だったが、今回の友人に関してはこうした世界について一つも信じていなかった。そのことは、かれこれ5年以上のつきあいとなった私も、よく知っている。現在進行形でこの「呪い」は続いており、どのように幕が引かれるのかは全くわからない状況だ。彼女に許可をもらったので、備忘録もかねて記しておこうと思う。
寺からきた呪物
なんの前触れもなく、ある写真が携帯に送られてきたのは2021年の11月も終わろうとしていたころだった。色あせてはいるものの、濃い紫、赤、だいだい、黄色だとわかる細長い布が全部で9枚、そこには、びっしりと文字のようなものが書かれている。画面を拡大してみて、背筋が凍った。マルとバツで人のような模様が描かれたとなりに、この家に住む2人の女性1の身体が痛くなる、足が痛くて歩けなくなる、眠れない、苦しんで死ぬなど、物騒なことがたくさん書いてある。
追い打ちをかけるように、2~3分程度の短いビデオが3本送られてきていた。ボーモーと呼ばれるヒーラーのような存在が、儀式をしている様子が映っている。見覚えのある家の前に、いくつか穴が掘られ、そのうちの一つに水が注がれていた。ブッダの画像が印刷された紙が入れられ、ボーモーA(何人か登場するのでアルファベットをふってみる)が卵をふたつ割って入れた。穴のなかの水をかき混ぜると、不気味な音とともに泡がたった。2本目と3本目のビデオでは、穴から取り出されたと思われる、かなり小さい棒状のものを、ボーモーがナイフで削っていた。
彼女に電話で詳細をたずねてみたところ、その日、ボーモーAが呪物を取り除く儀礼に準備したのは、ブッダのイメージ4枚、魚の缶詰1つ、サメ印の栄養ドリンク(リポビタンみたいなもの)2本、卵14個、塩、コメ、白い紙であった。ブッダの画像が用意されたのは、呪物が仏教寺院からもたらされたものだったからだ2。ボーモーは彼女の名前を聞いたあとに、大きな穴を2つ、小さな穴を14つ、家の周囲に掘った。そして親指の先ほどの長さしかない物体を全部で14個取り出した。ナイフで削って伸ばすと、呪いの書かれた布だったというわけである。このほか、死者の骨と油、釘、髪の毛が埋められていたそうだ。
実際に呪物が掘り出されたことで、彼女は大きく混乱していた。布には、彼女が9月の終わりからずっと苦しんできた症状が記されていた。とくに足の痛みは、言葉にできないほどのものであった。ボーモーは呪いをかけた人物について語ることはなく、ただ嫉妬が原因であるとだけ告げた。
かさなる呪い
ボーモーAに対しては、一家の月収をゆうに超える4000バーツ(13000円程度)を支払った。しかしその後も、歩けなくなるほどの足の痛みは続いた。友達のすすめで、大学時代の先輩で、こうしたケースを解決してきたボーモーBに電話をした。ボーモーBは、あまりに重い呪いが、長いあいだかけられてきたので、自分の力では及ばない、解決することができないと彼女に告げた。ボーモーBいわく、近所に住んでいる、地位と能力がある人物(呪物を埋めた人物とは別のようだった)が、彼女に呪いをかけ続けているという。ボーモーBは、彼女にクルアーンのヤースィーン(36章)を毎日読むように伝えた。しばらくして、幼馴染の紹介で別のボーモーCに会いにいくことになった。すると今度は、前の夫に呪いがかけられているようだと告げられた。いずれも、嫉妬や執着が原因だという。
彼女はボーモーたちが適当なことをでっち上げている可能性、自分がパラノイアに陥っている可能性、そして呪いに気が付くきっかけとなった乳がんの影響について考えた。しかし、いずれのボーモーも、彼女しか知りえない状況を言い当てていた。意識ははっきりとしているし、乳がんが転移したことで生じる症状ではない。黒魔術の世界は存在しているようだ、何がどう作用するのかはわからないとはいえ、信じていない人にも症状が出るのだと彼女は思ったという。
さかのぼること1年、彼女は2020年10月に乳がんと診断された。その後、紆余曲折あって手術を拒み、乳がんや痛みを治療することに長けたボーモーにかかっていた。ボーモーには、整体やマッサージ、特定の病や症状の治癒、黒魔術に由来する症状の緩和や解決など、それぞれ得意とする分野や能力がある。ちょうど1年が経った2021年10月、乳がんに対する治療がひと段落したころ、乳がんとマッサージを専門とする別々のボーモーから、あなたは呪いがかけられているようだ、あなたの家には「物」が埋められているといわれるようになった。親戚の紹介を受けて招いたのが、ボーモーAだった。
意識と身体と目に見えない世界
長年にわたってかけられた呪いは、彼女の身体にふかく、ふかく刻み込まれている。表面にでてきたものが解決すると、下から何かが現れる。それを少しずつ取り出してゆくと、また別のなにかが現れる。黒魔術は宗教的にも許されない行為であって、ムスリムだったら来世で地獄にいってしまうほどの罪だ。神への畏れを、嫉妬はいとも簡単に乗り越えさせてしまうようだ。
呪いのかけ方はいろいろある。これまで聞いたものだと、飲み物や食べ物に何かを入れて飲ませる、硬貨を落として拾わせるといったものがあった。ひとがたに針を刺したり、釘を打ち付けることもあるようだ。また、呪いをかけたい相手の名前、写真があればよいと聞く。写真は顔だけでなく、全身がうつっているとなお効果が高い3。Facebookなどに写真を載せるのは、こうした理由からも危ないという話を、何人もの人から聞いたことがある。
呪いに対抗する方法は、ムスリムであればアッラーの助けを請う、クルアーンを読誦することが鉄則である。アル=バカラ(第2章)、とくにアーヤトゥル・クルシー(255節)、ヤースィーン(36章)などがよく用いられる。そのほか、ボーモーが力を込めた水やハーブを服用あるいは塗る、細かく刻んだショウガ、クミン、トウガラシ、塩、センナを混ぜたものを、家の周囲にまくといった方法がある。
人にふるまわれたものを食べないわけにもいかないし、自分がうつった写真なんてどこかに落ちている世の中だ。誰かに勝手に嫉妬されて、呪いをかけられていることがあるのかもしれない。ある日突然、性格や行動が変わってしまったり、病院に行っても原因がわからない謎の痛みが生じたりするとき、誰かから送られてきた思い(呪い)に身体が反応しているのかもしれない。
目に見える世界だけが世界だとは、私はまったく思っていない。私たちの意識や身体は、きっとどこかで、目に見えない世界とつながっているのだろう。そうした世界に触れることのできる人たちは、どのようにしたら人に苦痛を与えられるか、あるいはどのようにゆがめられてしまったものを修繕したらよいのかわかるのかもしれない。頭で理解しようとするかぎり理解できない気もするが、聞けば聞くほど謎は深まっていくばかりだ。今はただ、彼女が一刻も早く、痛みから解放されることだけを願っている。
- 家には彼女と母親、弟の嫁が住んでいるが、彼女と彼女の母親を意味しているようだ。
- 僧侶が行ったのかどうかという点についてはよくわからないが、寺から来たという表現が用いられていた。仏教徒によってかけられた呪いは、解くのがかなり困難であるということは人々のあいだでもよく知られていた。現地では、いくつかの仏教寺院が、そうした呪術を行っているという噂を聞いたことがある。実際に、誰がどのように何を行っているのか確かめてみたいような、恐ろしいような気持ちである。
- 前の夫は、彼女との結婚をきっかけに改宗した人物だった。彼女は前夫が、いつも彼女に手作りの料理をふるまい、彼女が大学を卒業した時の全身がうつった写真をどこに行くにも常に身に着けていたことを思い出していた。
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