番外編(日本)

『イスラーム改革派と社会統合:タイ深南部におけるマレー・ナショナリズムの変容』ができるまで

これまで細々と勉強してきたテーマについてまとめた本が、ついに出版の運びとなった。本づくりの専門家たちには、感謝と尊敬の念しかない。タイ語のカタカナ化には正式なルールがなく、編集者および印刷所の方々にとってはまったく馴染みのない言葉で、大変なご苦労をおかけした。誤字脱字もたくさんあることと思うけれども、本を手に取ってくださった方々には、ぜひ温かい目で見守ってもらえたらうれしい(この記事の最後の部分に、気がついた点や指摘をいただいた点などについて、正誤表を追記していきたい)。

渾身の写真たちを送ったつもりが、使えない写真が多すぎて、カバーのデザイナーの方にもご迷惑をおかけしてしまった。

この記事では、頭のキレが良いわけでなく、体力や精神力は皆無にひとしい私が、どうして本を出すに至ったのか、出版助成の申請のときに気を付けたことを含めて備忘録的に書きたいと考えている。まず一番目に驚いたこととしては、出版社の方は科研費のデータベースをチェックしていて、そこに書いてある文章を読んで連絡をくださる場合があるということだ。

突然の連絡

2017年に博士論文を提出後、非常勤をしつつ、ほとんど隠居状態であった筆者に突然、研究費の申請のために所属させてもらっている(無給で机などはないポスト)一神教学際研究センターを通して連絡があった。2021年の3月も終わろうとしていた時だった。何が起こったのか理解できず、大丈夫なのだろうかという恐怖さえ感じた。

何を隠そう、大学院から早く足を洗いたいばかりに、私はものすごいスピードで博士論文をやっつけて修了にこぎつけた。そのため、オンライン上に永久に残る博士論文の存在は、思い出すだけで心がチクチクするものでもあった。何かを検索していて、たまたま自分の博論がヒットしたときなどは、叫びをあげてすぐに画面を閉じてしまうほどだ。さらに、研究費の管理をしてくださっている部署の方からは、そんなに「前のめり」な出版社は今どきないので、騙されているのではないかと心配の声さえ聞かれた。しかしご連絡くださったのは慶応義塾大学出版会で、見ず知らずの怪しい出版社ではなさそうだった。

メールを返信した翌日くらいには、編集者のYさんとオンラインでお話をさせていただくことになった。どうやって発見したのかと不思議に思っていたところ、科研のウェブサイト(KAKEN — 研究課題をさがす (nii.ac.jp))ということである。科研費という文部科学省と日本学術振興会からの研究助成資金をいただいたときには、本や論文、研究発表の記録を提出し、年度ごとの研究進捗状況などを一般向けに公開することになっている。そこで書いていた、ごくごく短い報告文を見て連絡をいただき、自分自身は見ることさえ恐怖を感じている博論まで読んでくださった。

低めで艶っぽいシャンソン歌手のような声のYさんの話を聞きながら、地方の小さいライブハウスをまわって売れないバンドマンを探しているロックな人(実際にライブハウスをまわっているかは知らない)というイメージが頭から離れなくなった。毎年、科研費の実績報告の作成が面倒で、苦しんでいる先生方も多い。けれども、こうしたところからお話が来ることもあるのだ。

研究成果公開促進費の申請で気を付けたこと

せっかくご縁をいただいたので、トラウマから目を背けず、修了してから勉強してきた内容もふまえて出版助成を申し込むことになった。公開促進費の申請書は、全体で8ページほどと分量は多くなく、筆者の主要図書・論文・研究歴刊行の目的・意義(当該年度に刊行する意義と学術的価値、交付が受けられない場合の状況を含む)、刊行物の内容(目次、本の内容の要旨、基になる論文など)、本刊行物が学術の国際交流に対して果たす役割から構成されている。以下に、いくつか気を付けたことや、いただいたアドバイスを書いておきたい。

  • 「刊行の目的・意義」については、国内外の研究のなかに自分の研究成果を位置付けるということもそうだが、類似テーマですでに出版されている書籍を挙げつつ、それらとどこが異なっているのかを強調して記載した。
  • 「当該年度に刊行する意義」は、テーマをめぐる情勢に加えて、科研費の助成プロジェクトが最終年度であるという点を生かすことができた。
  • 「交付が受けられない場合の状況」について、専門的な内容であることから一般的な商業出版のルートにはのりにくいという点、しかし、本書の学術的な意義並びに、成果を広く学会の外に還元していくためにも、公益性の高い出版助成を得て公刊を実現することが最も望ましいという点を記載した。
  • 交付を受けられない場合「再度申請する」かという点について、書くべきでないという意見と書いても良いという意見があった。最終的には、以下のように記載した。本科研費の交付を得られない場合は、研究成果を図書の形で公開することができなくなるだけではなく、科研費若手研究の最終年度に合わせて成果として発表することができなくなる。不採択の場合は、刊行を断念するか、来年度の再申請を検討したい。
  • 最後の「学術の国際交流」について、近年とりわけ重視されるようになっているとのことで、一見すると国際交流とは関係ないテーマであったとしても、国際的に研究を位置付けて書く必要がある。私の場合は、国際交流の部分に、国際学会での成果の発表であるとか、海外の研究者との交流という計画を含めて書いた。

出版までのドタバタ

申請書とともに、原稿も学振に送る必要がある。Yさんから連絡をいただいたのが2021年3月31日、学内の申請書締め切りが9月6日、原稿の締め切りは10月6日となっていた。博士論文をそのまま出版するということは、ひどい内容であるという以上に、すでにオンラインで全文公開されていることもあって避けたかった。ただ非常勤をしながらだと集中できず、結局、夏季休暇中に缶詰め状態で原稿の分量を増やしていった。

10月の段階で出した原稿は、推敲がほぼできていないので目も当てらない。ただ、申請の時点で提出した原稿がそのまま本になるということはまずなく、学振の場合は校正の段階で半分までは内容を変えることが許されている。Yさんによると、おそらく審査をする先生方もそのことは織り込み済みでチェックをしてくださっているとのことである。あとで修正する時間があるからこそ、何としても提出するようにプレッシャーをかけてくださったようだ。

受かるかわからない状況だったので、2022年の2月から3月の休暇中そこまで真剣に修正をしなかった。2022年4月1日、公開促進費に交付内定し、いよいよ逃れられない状況になった。助成を受けることが決まったら、大病したり死亡したりしない限りは、本を出す義務がある。私のように、グズグズして自分で覚悟を決めて出すことができない者にとっては、締め切りがあるということがありがたかった。とはいえ最後の校正にかけて、私は何度も自分の目や記憶が信じられなくなり、ゲラを見ながら数段落ごとに自分の目の節穴具合に衝撃を受けていた。

編集者の方には英語ができる方が多いので英語の部分は安心だけれど、英語以外の言語が複数かかわってくると、とりわけ表記の問題には頭を抱えてしまう。冒頭に書いたタイ語の表記の件もそうだが、修正をお願いしていた部分が直っていないことや(これは見落としや勘違いもあるので理解できる)、修正をお願いしていない箇所が不思議な様子に変化していることもあった。いまだに本ができるまでの仕組みを理解していないので、この後者の謎が解けていない。機会があったら、出版社や印刷会社の見学に行って、本ができるまでのプロセスを学んでみたいと思っている。

とにもかくにも、本の形になったことに、感謝の気持ちでいっぱいである。お世話になった方々には、この場で改めてお礼を申し上げるとともに、これから出版助成に申請しようと考えている方のお役にほんの少しでも立てていたら本望である。

正誤表(2022年11月12日記載開始、随時更新予定)
※何かお気づきの点があれば本サイトやコメントを通してご指摘いただけるとありがたいです。

P.1 (誤)サーム・チャンワット・チャイーデーン・パークターイ⇒(正)サーム・チャンワット・チャーイデーン・パークターイ
タイ語を学んだ方々にとってジャーイデーンの方が近く、チャと書くのは間違っている、もしくは変な感じがするという意見もあった。最近、ブログなどで発信をされているタイ通の方々はジャが多い印象である。ジャとものすごく濁音を強調してもチャに寄せても通じてきたと私自身は思っているのだが、早く語学関係の偉い先生たちにカタカナ表記をするための参考ルールを作ってもらいたい。
チャ(ジャ)ーイデーンは国境の意味で、サーム・チャ(ジャ)ンワット(3県)という場合には、パッターニー、ヤラー、ナラーティワートを示すことがほとんどである。実はパッターニー県はマレーシアと国境を接しておらず、マレーシアと接している県には、ソンクラー県とサトゥーン県も含まれている。紛争の文脈で出てくるのが、3県+ソンクラー県の一部ということで、だいたい3県とだけ言われたり、タイ語でもディープサウスと呼ばれたりしている。

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