ミャンマー, 映画, 番外編(日本)

『THE WAY』体験記②

3.入場まで

 なんとかチケットを入手し、当日を迎える。おそらく5月の上映会同様、自分の名前が印字されたオンラインチケットを会場で提示することになるだろうと、念のためにオンラインチケットのスクリーンショットも保存し、夜の淀屋橋へ。映画上映は19時から。会場に向かう道に日本人の姿はほとんどない。ミャンマー人の若者グループがちらほら、ミャンマー語ばかりが耳に入ってくる。いざ会場が見えてくると、大阪市中央公会堂の入り口から長蛇の列ができている。想像以上に大勢の人が足を運んでいる。しかもほぼほぼミャンマー人!

「リンリンによるミュージカル映画」と銘打たれている。
「権利がなければ声がない。声がなければ人生がない」

列に並ぶのがミャンマー人なら、それを整理するのもミャンマー人だ。若いミャンマー女性スタッフが列に並ぶ人々に次々と「レッフマッウェピービーラー(チケットは買っていますか?)」とミャンマー語で尋ねている。ミャンマー人のすぐ後ろに並んだ私にも一瞬ミャンマー語で尋ねかけ、すぐさま私が日本人だと気付くと「チケットは買われましたか?」と日本語に切り替えた。「はい。買いました」と答えながら、チケットの画面を見せるように言われるだろうと待ち構えていると、何も言われることなく、ポケットティッシュを渡され、注意事項が説明された。「ゴミ袋も入っていますので、ゴミはかならず持ち帰ってください」とのこと。施設を貸してもらう側としてはゴミのマナーを守ることは義務であり、ましてや国の重要文化財である大阪市中央公会堂となれば、より一層注意深くなるのは当然のことだろう。こういうところはきちんとしているんだなぁと感心しつつも、チケット画面を見せていないことが気にかかっていた。とはいえ、私の後ろには続々と列が続き、女性スタッフはその対応にすぐに追われてしまい、結局チケット画面を見せることなく、「チケットを買った」と口頭で答えただけで、列に並ぶことが許された。これならチケットを買ってなくても並べてしまうのでは…?

ポケットティッシュは透明のビニール袋の中に入っていた。ビニール袋にはポケットティッシュのほかに腕に巻くバンドと、白のステッカー6枚とオレンジのステッカー2枚が入っていた。私の前に並んでいた若いミャンマー人女性二人組もこの白とオレンジのテープの使い道がわからず、一瞬目を丸くしていたが、周りを見渡してすぐに合点がいったようだ。みな両頬にこのシールを貼っていたのだ。腕に巻くシールと言い、顔に貼るシールと言い、自分はこのイベントの参加者であるということを可視化させ、参加者の一体感を生み出す工夫が見られる。今までミャンマーの映画館で映画を何度も見てきたが、こんなグッズをもらったのははじめてである。


  ミャンマー人スタッフから配布されたポケットティッシュとシール
   このほかに腕に巻くシールも配布された。

18時45分になり、ようやく開場。18時45分から19時までの15分のあいだに観客を素早く会場に誘導し、着席させるという流れのようだ。私がようやく会場内に入れたころには、客席の9割ほどが埋まっていた。上映会は大阪市中央公会堂の大集会室で行われ、2階席はたしか使っていなかったようだが、1階席だけでも1000人ちかく収容できる。この客席をほぼほぼミャンマー人が埋め尽くしていた。おそらく多くが関西圏に住むミャンマー人だろう。なかなか圧倒的な光景である。

比較的前のほうで鑑賞できた。
前方の男性は頬に横にシールを貼っているが、縦に貼っている人もいた。

4.式次第の発表

ちょうど19時ごろ、ほぼ全員が着席した状態で、イベントが始まった。5月のMyanmar Spring Film Festival同様、若い女性MC二人(日本語がペラペラのミャンマー人。言葉ができるだけでなく、ノリが良く、司会を回すのが上手い)が、今日のスケジュールと注意事項を繰り返しアナウンスしてくれる。まず映画を観て、その後監督らとZOOMでつないでのトークセッション、それからテーマソングの合唱、そしてオークションという構成とのことである。終了は21時15分を予定している。会場内は飲食厳禁。そして彼らが繰り返し強調していたのは、会場の使用時間は21時半までと決まっているから、21時半にはゴミ一つなく、誰もいない状態にしなければならないので、何が何でも21時15分には速やかに退場してほしいということだった。映画を待ち望んでいるミャンマー人たちの熱気がとにかくすさまじい。終始ざわざわしていたが、照明が落とされると、ようやく静かになった。

5.映画上映…?

やっと映画が始まる!という期待を胸に、映し出される画面に集中する。しかし、5分ぐらい経ったところで、どうやら様子がおかしいことに気付く。ドラマ的なものが始まったように見えたが、よくよく見ていると、ミャンマー以外のどこにいても我々の銀行アプリなら送金が可能です!という銀行のCMで、それが終わったかと思ったら、ミャンマーレストラン「ヤマニャ」のCMが始まり、それが終わったら、またさきほどと同じ銀行のCMが始まり…といった具合で、なかなか映画の本編が始まらないのだ。体感では20分ぐらい銀行CMとヤマニャCMのループを見ていたのではないだろうか?あまりにもCMループが続くものだから、機材トラブルか?と会場もザワつき始めている。しかし会場のざわめきを尻目にCMループは止まらず、そうこうしているうちに、ようやくループが終わり、映画の本編が始まった。

もちろんこれだけの映画を作ったり、会場を確保して上映したりするのに、大変な資金が必要であることはよくわかる。資金を提供してくれた企業を、この機会に十分に宣伝するというのも当然のことだろう。いずれにしても無事本編が始まったからよいものの、いまだかつてない心配になるレベルでのCMのループではあった。これだけ繰り返し見続けたので、さすがにヤマニャについては十分に脳裏に焼き付けられた。東京に行ったらぜひともヤマニャに行かねばなるまい。

配布されたポケットティッシュにも「ヤマニャ」の文字が。

ポケットティッシュ上段には「ミュージカル映画「The Way」の日本上映にあたっては、高田馬場にあるレストラン「ヤマニャ」の支援を受けています。」とある。下段には「The Wayの上映に際し、記念写真撮影を予定しています。記念写真は購入できます。購入はこちらのQRコードから。」ちなみに10月28日現在、残念ながら、私のiPhoneではQRコードを読み取ることができなかった。

6.今度こそ映画本編

この映画がまた私が想像していたのとはだいぶ違って、ある意味でインパクト大だった。事前情報はミュージカル仕立てだということと、ミャンマーで絶大な人気を誇るLYNN LYNNが製作総指揮をとっているということぐらい(Youtubeにトレーラーがあったようだが、私はそこまで予習できていなかった)。

 映画の舞台はどこかのジャングルを切り開いた独自の共同体的な場所だ。ここで20代~40代ほどの男女15名程度が共同生活をしているようだ。全員が白シャツを着て、何か宗教染みた雰囲気である。大木を囲んで、メンバーらは手を取り合って、何やら独特な歌を歌っている。歌では「今こそ団結することが大事である」ということが直接的に歌われていて、この映画が伝えたいことが、まさに冒頭に集約されていると感じた。のちに述べるが、多少の物語の起伏はあるものの、映画のテーマはこの一点に尽きると言っても過言ではないだろう。

『THE WAY 』トレーラー
(主演女優チットゥーウェーのYoutubeチャンネルより)

共同体のメンバーの関係性は不明である。家族なのか、はたまた志を同じくする同志が偶然的に集まったのか、なぜこの場所だったのかなども不明である。ジャングルなので木材は豊富にあり、自分たちで家具等の生活用品を製作するなど、自給自足の生活を送っているようだ。彼らはみな先述したように白シャツに身を包んでいるほか、顔に白やオレンジのラインを引いている。これがこの共同体のメンバーの正装らしい。最初にグッズで配られた白とオレンジのシールの意味もようやく判明した。しかし、なぜ白とオレンジなのかは最後まで見てもよくわからなかった(オレンジはこれまで流れた血を表しているのだろうか?白は平穏や正義を表しているのだろうか?)

この映画で驚いたのは、ほとんどのセリフにメロディーがついており、純粋に会話をしているシーンは皆無とは言わないが、ごくわずかだった点である。これから家具を作るにしても、家具作りでメンバー間で揉めるにしても、何を主張するのにもずっとミュージカル調である。この調子で最初から最後までひたすら何の変哲もなさそうな共同体の日常生活をミュージカル調で進めていくのか…?いくらなんでもそれは斬新すぎないか?といささか心配になったが、さすがにそれは杞憂に終わった。

途中で身の危険を感じ命からがら逃れてきた一人の少女が登場する。この共同体のリーダー格の「姉」と呼ばれる女性(チットゥーウェー)が彼女を森の中で発見し、共同体に連れ帰る。姉は少女を気の毒に思い保護しようとするが、ほかの共同体のメンバーからよそ者を信用できないと一度は拒否される。しかし姉の熱心な説得により、少女は共同体に受け入れられる、といった出来事が起きる。また共同体の中には幼い娘と生き別れになって、毎日葛藤に苦しんでいる男性メンバーもいる。このように物語が進むにつれてメンバーそれぞれの背景が明らかになるなど、多少のストーリー性は垣間見れた。

いずれにしても、ストーリーというよりは「団結」の必要性を訴えることがこの映画の主目的であり、そのテーマは歌を通して繰り返されることで、十分に果たされたと言えるだろう。ミャンマーがこのような状況になっていなかったら決して生まれることのなかった映画である。(③へつづく)

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