フィールドワーク四方山話, ミャンマー

ロンヂー革命

高らかに掲げられる女性用ロンヂー
(出典:France 24 動画”Longyi Revolution”)

大通りに掲げられた女性用ロンヂー。3月27日国軍記念日にはパレードが予定されており、通路をふさぐ行為に対して、現在取り締まりが強化されている模様。ロンヂーもそのほとんどが強制撤去されて、今ではこのような光景は少なくなった。

3月8日国際女性デーには、ロンヂーを旗として掲げてデモ行進。
(出典:France 24 動画”Longyi Revolution”)
France24より「ロンヂー革命」
わかりやすい動画。ロンヂーだけでなく下着も掲げていたようだ。

ロンヂーとは

ロンヂーとは、ミャンマーの男女が下半身にまとう腰布のことである。ちなみに男性用のロンヂーは「パソー」、女性用のロンヂーは「タメイン」とも呼ばれる。男女とも布を筒状にしただけのもので、きわめてシンプルなつくりである。体型に関係なく着用でき、満腹になったら緩めて調節することもできて、たいへん便利である。

男女のロンヂーは布の柄や巻き方が大きく異なる。女性用ロンヂーは、一目見て女性用とわかる。インドネシアのバティックなどの染めた生地やプリント地、また伝統的な民族の意匠であるカラフルな刺繍が施してあったりする。他方男性用はシンプルな細かな格子柄がほとんどである。

ちなみに筒形の布を腰にきちんと巻き付けるのにはコツがあり、初心者には案外難しい。ふとした瞬間にポロリの危険もある。なので女性用にかんしては、最近ではフックタイプやひもで結ぶタイプもある。また、昔はロンヂーの下には下着を身に着けていなかったようだ。洋装とともに下着が普及した現在では多くの男女が下着をつけているが、それは後から入ってきた習慣である。

「お坊さんが下を通るからダメ!」

女性用ロンヂーは、単なる腰布のように思えるが、その取り扱いには注意が必要で、何か誤りがあれば、重大な危険を生みかねないという厄介なものでもある。

私はミャンマー留学中は基本的にロンヂーで過ごしていたが、その扱いで友人から何度か注意をうけたことがある。当時アパートの2階に住んでいた私は、洗濯したロンヂーを干そうと通りに面したベランダの手すりにかけていた。それを目にした友人は、大慌て。「ロンヂーはすぐに部屋の中に入れて!こんなところにロンヂーをかけたらダメ!お坊さんだってこの下を歩くのに、なんて恐ろしいことを…。次からは気をつけてよ」

よくよく観察してみれば、誰もベランダの見えるところにロンヂーなんて干しておらず、ほかの洗濯物とは分けて、部屋干しにしたり、一階で干させてもらったりしている。ちなみに、雨季のあいだはみな部屋干しをしていた。部屋といっても居間などではなく、人目につかない物置のようなところでゆっくり乾かしていた。女性用ロンヂーにはこのような干し方の作法がある。

赤丸が私が借りていた部屋。ここに干していて注意された。
たしかにお坊さん(青丸)が普通に歩いている。

また別の日にはこんなことも。私はベッドの頭のほうに次の日に着るロンヂーをかけていたことがあった。それを見た友人(同じ人)が、やはり「ああ!なんてこった!ロンヂーが頭のほうにあるなんて!頭は守らないといけないから、かけるんだったらせめて足の方にして」

つまり、女性用ロンヂーはお坊さんよりも高い位置にあってはいけないし、また人の頭もロンヂーからできるだけ遠ざけておかなければならない、というわけだ。

ロンヂーと女性の「ケガレ」

たかが腰布でそんなに神経質にならなくても、と思う人もいるかもしれない。しかし、ミャンマーではそれだけ女性用ロンヂーは危険に満ちた布で、扱い方をちょっとでも間違えると、とんでもない魔力を発揮してしまう。この魔力がどこから来るかというと、想像がつく人も多いだろう、女性の月経である。

女性用ロンヂーは女性が下半身に身にまとうことから、女性の月経と結びついている。月経や妊娠出産といった女性の生物的特徴が、その状態の異常性(期間限定で起きるので、非日常的ともいえる)ゆえに、日常の秩序を乱しうる危険な状態(=「ケガレ」)と結び付けられてタブー視される現象は、ミャンマーに限らず広く世界中で見られる。日本でもかつては妊娠中の女性が台所に近づいてはならないなどの風習があった。男女平等が叫ばれる現代社会で、妊婦を「ケガレ」呼ばわりしようものなら、女性蔑視として非難の嵐であろう。しかし「ケガレ」という語感が誤解を招きやすいだけで、通常ではない状態のものに対して特別な意味を与えるという人間の思考様式そのものは十分に理解できる。

月経と結び付いた女性用ロンヂーは、とりわけ男性にとっての危険性が強調される。女性用ロンヂーの恐ろしさを語る際、「お坊さんや男性の「ポン」が落ちるから」というように説明されることが多い(ミャンマーでは尼僧は原理的には存在しない)。「ポン」とは、強いて言うなら「聖なる力」のようなものである。「ポン」は男女問わず備わっており、年齢とともに大きくなるが、いずれにしても女よりも男のほうが大きく、さらに男の中でも僧侶が一番大きいとされる(お坊さんを意味する「ポンヂー」という言葉は、そのままずばり「ポンが大きい」という意味である)。またポンは目には見えないが、どうも頭や体の右側半分などに集中しているという話も聞く。少年の頭をむやみに撫でてはならないと言われるが、これは頭部に「ポン」があるからである。こう考えると、ベランダの手すりにロンヂーをかけていて、真っ先に「お坊さんが下を通るからダメ」と言われたのも納得である。

女性用ロンヂーがとくに男性の「ポン」を弱めるという説明の背景には、仏教が大いに関係している。お坊さんのポンがもっとも大きいということは、真面目に仏教に帰依すればするほどポンが大きくなるということである。月経と結び付く女性用ロンヂーは女性という愛欲への誘惑をも意味し、それを忌避することによって(欲望の否定は仏教の根本的な教えである)ポンが弱まるのを防ぐのである。そのため女性用ロンヂーはどんなことがあろうとも、男性の身体に触れてはならないとまで言う人もいた。たとえば友人宅では古くなった男性用のロンヂーを洗面所などで足ふきマットとして使っていたが、女性用ロンヂーはたとえ古くなって衣類としての役目を終えたとしても、決してそのようには使えないという。それだけ「ロンヂー=愛欲への誘惑」という喚起力は強い。

ロンヂーが発揮する魔力

つまり、女性用のロンヂーはとくに男にとっては最大の弱点である。とんでもない超能力を持つ男がロンヂーを前にしてその力を失ってしまう、というモチーフは神話にも登場する。

タトン(モン州の一都市)に流れ着いたビャッウィーとビャッターという名のインド人兄弟は、ある僧侶に助けられた。その僧侶は、食べると超能力が得られるということで、とある錬金術師の死骸を入手していたが、インド人兄弟が先に食べてしまった。超能力を手に入れた兄弟の噂はたちまち広がり、為政者から危険人物扱いされ、指名手配されてしまった。

町の有力者の娘と恋仲になっていた兄ビャッウィーは、ある時彼女の屋敷を訪れた。彼女の親は彼を捕えようと、ある部屋一面にロンヂーをかけておくという罠をしかけた。何も知らないビャッウィーは、その部屋に足を踏み入れてしまい、とたんに超能力を失った平凡な男に戻ってしまった。そしてあっさりと捕らえられ、殺されてしまった。

                       『王統史』の一節より

この一節を読む限り、女性用ロンヂーの威力たるや相当なものである。軍の横暴に対して市民がロンヂーの力を借りて対抗しようとするのも無理もないのかもしれない。平時であれば、女性のロンヂーがこんなに高々と掲げられることは絶対あってはならないことである。ベランダに干しただけでも注意されるのだから。しかしこの非常事態において、通常の規範はいったん棚上げされ、軍の力を削ぐことにむけて男女関係なく一致団結している。

残念ながら、いまのところこの対策が神話のようにうまくいったようには見えない。では、市民のこうした行動がまったくの無意味だったのだろうか。それは現時点では何とも言えないと私は思っている。私が知る限り、今のところ誰も今回の対抗策が無駄だったとは語っていない。今後の事態の展開によっては、この女性用ロンヂー対抗策の効果が語られる可能性はゼロではない。「あのときロンヂーを掲げたのが今になって効いてきたんだよ」等々。この対抗策の効力と持続力は、誰にも断言できないはずである。そう考えれば「やること自体に意味がある」と言えるのではないだろうか。

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