フィールドワーク四方山話, ミャンマー

赤痢になりました(後編)

(前編の続き)

帰国、そして感染発覚

空の上では体調は安定していた。激しい腹痛もなく、トイレにひっきりなしに駆け込むこともなかった。きっと処方された薬が効いたのだろう。

関空の検疫所では即座に体調不良だと申し出た。とにかく調べてほしかった。単なる急性胃腸炎の可能性もあるが、万一なにかに感染していて、それと知らずに周囲にまき散らしてしまっては恐ろしいからだ。それに感染症になったらなったでネタになる、というゲスな下心もあった。微熱がありそうだということと、一昨日と昨日の地獄のような状態を伝えて、便は出なかったので、ぎょう虫検査的なことを行った。採取したものを数日間培養し、何かが検出されれば連絡がくる、ということだった。そしてこの数日間は外出を控えること、そういうようなことを言われたように思う。

Belova59によるPixabayからの画像 (画像はイメージです)

落ち着かない数日間だった。そして、帰国してから4日目の朝だったか。知らない番号からの不在着信と留守電が1件。もしかして…と思いながら、恐る恐る留守電を開く。

「数日便を培養させた結果、細菌性の赤痢が検出されました。そちらの保健所にはすでに連絡していますので、保健所からの連絡をお待ちください」

赤痢になった――。しばらくして保健所から電話があり、現在の体調の確認のほか、滅菌隊(!)がやってくること、救急車で感染症センターに向かってもらうこと、が告げられた。私は、今は発熱はなく、ゆるい便は出るが食欲もあること、緊急性は高くないので、救急車でなくてもよい、救急車で来るならサイレンなしでお願いしたいことを伝えた。

滅菌隊がやって来る!ヤァ!ヤァ!ヤァ!

まずは保健所から滅菌隊がやってきた。シロアリ駆除とか宇宙服みたいな恰好だ。なんの変哲もない、大阪の、わりかし人口が少なめな都市の普通の住宅街、住民同士のつながりもそこまでないような地域である。あたりは騒然とし、近所中が静かに、しかし興味津々に、じっと様子をうかがっている雰囲気が伝わる。滅菌隊はぞろぞろと入ってきて、風呂場、トイレ、キッチンなど水回りを中心に、何やら強力そうなスプレーを手際よく散布していった。

幸い私はこの数日、万一のことを考えて、外出はしていなかった。しかし、両親と弟はいわば「濃厚接触者」である。現在の体調および、最近の行動を調査されていた。どこに行ったのか、誰に会ったのか等々。とりあえず症状は出てはいないが、あと数日は様子を見るように、不要不急の外出は控えるように、というような、どこかで聞いたようなことを言われたように記憶している。

滅菌隊が帰ったかと思うと、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。音が徐々に大きくなる。いやな予感しかしなかった。案の定、うちの前に止まった。ふたたび近所中の注視を浴びることになってしまった。それにしても私は、赤痢かもしれないが、重体でもなんでもなく、軽い下痢をしている以外はモリモリ食べてピンピンしているのだ。しかし、あまり大袈裟にしたくないなと思いつつも、来ていただいたからには乗るしかない。救急車の中では横になることもなく、救急隊員と談笑したのを覚えている。「あ、ミャンマーですか?やっちゃいましたね~(笑)」

隔離生活

いよいよ隔離生活がスタートした。持ち物はほぼ没収されたように記憶している。携帯電話は没収されたのは確かだ。当時大学院の筆記試験を目前に控えていたので、『文化人類学キーワード集』などの本は病室に持って入ったかもしれない。

治療としてはとにかく薬で体内の菌を殺して、体内から菌がなくなったことを確認したら無事退院ということだった。体内の菌の有無は便の硬さからある程度判断できるようだったが、あとは頃合いを見て便を採取・培養して、菌が検出されなければ、ということだったはずである。とにかく最低一週間はかかるということだった。

毎回の便チェックが強烈に記憶に残っている。完全防備された個室で、内部にトイレがついている。大きいほうをしたら、流さずにとどめておいて、ブザーで「今しました!確認お願いします!」と知らせるというシステムになっていた。トイレには小さな小窓がついていて、そこからスタッフが便器に一人ぽつねんとたたずむ便を覗くのだ。そして「まだちょっと柔らかそうだね」とか「かたちがしっかりしてきたね」などと自分の便に対してのコメントをもらう、これの繰り返しだった。

一番きつかったのは食事だ。なにせ食欲はモリモリなのだ。それにもかかわらず、与えられるのは味がほとんどついていない、食感もほとんどしない、いわゆる病院食で、これを一日三食、一週間も食べ続けるのは、正直気が滅入った。もちろん一週間でちゃんと退院するためには食事も重要ではある。贅沢は言えないと思い、気が滅入りながらも、退院したら何を食べるかばかりを夢想して、一週間耐えた。

退院後に地獄が待っていた

ほぼ一週間後、ようやく便からも菌が検出されなくなり、体内には菌が残っていない、ということが確認され、晴れて退院となった。やっとなんでも好きなものが食べられる。頭にはそれしかなかった。

ちょうど昼前で、両親が車で迎えに来てくれた。何食べたい?と聞かれた私は、迷いなく「新福菜館」と答えた。京都発祥のラーメンの老舗だ。どす黒いこってり系スープが特徴である。とにかくもう味が薄いものは食べたくない。なにかしっかり味がついたものを私の胃袋は求めていた。親は、いくらなんでもこってりすぎないかと若干の疑念を差しはさみながらも、娘のたっての希望であるし、自分たちも好きなラーメンだったからというのもあったのだろう、強く反対することもなく、目的地に着いた。

私はありあまった体力と食欲を存分に発揮し、超こってりラーメンをペロリと平らげて、食べたいものを食べられる幸せを噛みしめていた。そして、昼ご飯も食べたし、さて帰ろうかと、上機嫌で車に乗り込んだ。ここまではよかった。

しばらくして、胃に違和感を覚えた。それは次第に違和感というよりキリキリというタイプの痛みに変わっていった。少し我慢すれば収まるかと思いきや、その痛みはどんどん激しくなっていった。とうとう後部座席でうずくまってしまい、腹部の激痛に身をよじらせた。皮肉なことに、入院中はまるで病人らしくなく痛みとは無縁でピンピンしていたのに、退院したとたんに病人みたいになってしまったのだ。

十中八九、やさしい食事に慣れた胃に突如こってりラーメンをブチ込んだことによる、自業自得の結果である。胃腸関係の病み上がりにあのこってりラーメンはあかんということは、普通に考えればわかることである。煩悩に負けた自分、どこかで自分の胃袋を過大評価していた自分、意気揚々と「じゃあ新福菜館で」などとほざいた数十分前の自分を、ぶん殴ってやりたいと思った。

原因は大方予想がついているとは言え、素人ではいかんせん判断しきれないということで、念のため、我々は退院したばかりの感染症センターへと再び舞い戻った。ほんの一時間ほど前に、お世話になった先生、看護師さんみんなが総出で退院を喜んで、送り出してくれたばかりにもかかわらず、である。はた迷惑もいいとこである。事情を話したところ、菌は完全に検出されていないし、これは赤痢とは無関係だろうこと、そして我々が予想していたように、こってりラーメンが原因の可能性大ということで、しばらく横になって落ち着いたら家に帰りましょう、ということになった。「いくら退院して好きなものを食べられるとは言っても、食事は様子を見ながらお願いします」というきわめて常識的な助言をもらい、この家族は平謝りして、病院を後にした。そこから数日間の私の食事がもっぱらおじやだったことは言うまでもない。

(文:山本文子)

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