フィールドワーク四方山話, ミャンマー

極悪人から精霊になった男KGK

 KYK(とんかつ)ではない。YKK(ジッパー)でもない。KYKはもしかしたら関西人にしかわからないのかもしれない。自分で書きながらあまりのなつかしさにYoutubeでKYKのCMを確認してしまった。いや、こんなことはどうでもいい。とにかく、ミャンマーで一番有名なアルファベット三文字言葉はKGKなのだ(たぶん)。

なんとも言えない昭和感がグッとくる。
KYKとは「心と味のおもてなし」の英訳「Keep Your Kindly」の略とのこと(KYKサイト)

KGK。字面はなんとなくかっこいい。ケージーケー。声に出してもかっこいい。しかし、KGKは飲食店でもなければメーカーでもない。これはミャンマーの精霊(ビルマ語で「ナッ」)の名前である。正確に言うと、ミャンマーの精霊をテーマにしたダンスミュージックのタイトルである。精霊の正式名称はコーヂーヂョー。Ko Gyi Kyawだから頭文字をとって「KGK」なのだ。

この曲との出会いは2010年ころにさかのぼる。私はある夜、知人に連れられて、ヤンゴンのとあるナイトクラブに遊びに行った。よくあるようなダンスミュージックがかかるなかぼんやりと過ごしていると、ある瞬間に「コーヂーヂョー」という聞き覚えのある言葉が耳に入ってきて、はっとした。たしかに「コーヂーヂョー」と、しかもリズムに合わせて連呼している。私はダンスミュージック×精霊というトリッキーな組み合わせに興奮した。翌朝、宿の若いスタッフに尋ねたところ、驚く風でもなく、「ああ、あれっすね。めっちゃ有名っすよ」と教えられたのだ。

「KGK」はターソー(Thar Soe)という音楽クリエイターによる2009年の楽曲である。彼は電子音楽に傾倒し、ロンドンで本格的に音楽制作を勉強した。ロンドンではミャンマーの伝統音楽の古い録音も聴いたという。そこで伝統音楽の素晴らしさを認識した彼は、ミャンマー人の自分にしかできないことをしたいという思いから、伝統音楽と電子音楽を組み合わせることを始めた。「KGK」はまさにその代表曲だったのだ。

ミャンマーの若者はこれでブチ上がる

極悪人ミンチョーズワ

このコーヂーヂョーという精霊、どのような精霊なのだろうか。実はミャンマーにはコーヂーヂョー以外にも数十の精霊がいる。とくにご利益があって人気のある精霊は、11世紀以降の王朝時代に不幸な死に方をした人々の死霊と言われている。一応コーヂーヂョーもその一員ということになっている。

王朝時代と言えば、日本でも同じだが、王の息子同士が殺しあったり、同盟を結んでいたかと思えば裏切られたりが日常の世界である。常に疑心暗鬼のミャンマーの王たちは、一方的に(!)脅威と見なした人物を理不尽に処刑してきた。殺された人々とその死を嘆き悲しんで亡くなった一族郎党の死霊は、当然のことながら成仏することもできない。そこで彼らは王に復讐し、そこではじめて王は自らの過ちを認めるのだ。王は罪滅ぼしとして、成仏できないままの死霊たちにどこか土地を与えて、そこに立派な神殿を建ててやり、それ以降死霊はその土地の守り神として後世まで祀られることになる。こうして慰められた死霊が、私がここで「精霊」と呼んでいる存在である。この手の話は王の偉業を称えた『王統史』にいくつも収録されている1

しかし、多くの精霊がこのようなどう考えても気の毒な死に方をしている一方で、コーヂーヂョーだけはまったく正反対の、言ってみれば死んで当然、性根の腐った、極悪非道な人物としての物語が伝わっている。コーヂーヂョーとなった人物には諸説あるが、一番有名なミンチョーズワという男の話を紹介しよう。

パンダウン国に住むミンチョーズワという青年は、馬乗りの名手ということで王に目をかけてもらい、養子に迎え入れられた。王にはコーミョーシン(兄)とパレーイン(妹)という実子がいた。ミンチョーズワは王の息子になったとたん、酒、博打、女と放蕩生活を送り始めた。  

あるとき戦になり、パンダウン国とその同盟国のマインピンのために、ミンチョーズワと王の実の息子コーミョーシンの二人は参戦した。勝利こそしたものの、マインピン王は殺されてしまい、彼の残された二人の息子(コンチョーとコンター)をミンチョーズワらは連れ帰ることにした。パンダウン王に相談したところ、ミンチョーズワは自分とコーミョーシンとが一人ずつ育てることになると思っていたが、酒癖の悪さから子育てには不向きと言われ、コーミョーシンとその妹が二人を育てることになった。ミンチョーズワは戦果を挙げたことでパカン(ミャンマー中部)という土地を褒美として与えられたが、それでも彼は父親失格と言われたことで赤っ恥をかかされたとパンダウン王を逆恨みし、いつか王座を奪い、パレーインと結婚しようと心に決めた。  

コンチョーとコンターが成長すると、ミンチョーズワは言葉巧みに二人を地方へ追いやり、そのすきに王と王妃を殺害した。コーミョーシンとその妹は王宮から逃げ、農民になりすまして近隣の村で潜伏生活を始めた。ミンチョーズワに騙されたと気づいたコンチョーとコンターが王国に戻ると、義理の祖父母は殺され、育ての親の姿も見えず、ミンチョーズワが王座についていた。  

コンチョーたちがミンチョーズワに王座を譲ってくれたらなんでも言うことを聞くと言ったところ、ミンチョーズワは「王座を譲るので、お前の育ての親のコーミョーシンの首を持ってこい」と二人に命じた。逆らえない二人は育ての親のコーミョーシンを見つけ出したが、とうとう首を切り落とすことができなかった。それを察したコーミョーシンは自ら首を切り落とし、二人はそれをミンチョーズワに献上した。ミンチョーズワは計画通りコンチョーら二人も殺害したが、その瞬間に二人の霊が近くの大木に乗り移り、大木がミンチョーズワ目掛けて倒れ、そのままミンチョーズワも死んだ。こうして関係者は全員精霊になった。ミンチョーズワは以前王に褒美として与えられたパカンの土地の守り神となった。

王の息子になったとたん酒池肉林のやりたい放題、酒癖の悪さのために子育ては無理だと言われたことで王を逆恨みし、さらに殺害、また育ての親の首をとってこいとの命令。いずれも悪の限りを尽くしている。悪の権化である。しかし精霊になったこの男、現代でも「KGK」としてもてはやされている。それはなぜなのだろう。

ミャンマー語で書かれた精霊本から。32番ミンチョーズワと書いてある。
数ある精霊の中でも精鋭たちは「精霊37柱」として一軍扱いされている。

ヂーヂョー兄貴!

コーヂーヂョー人気を考えるうえで、彼が女性ではなく男性の圧倒的支持を受けているというところがポイントになるだろう。コーヂーヂョーの「コー」は青年男性に対する敬称で、雰囲気的には「ヂーヂョー兄貴」というのが適当である。彼らにとっては気軽に「兄貴!」と呼びたくなるような身近な存在なのだ。ちなみに「ヂー」は大きいという意味で、残った「ヂョー」だけがミンチョーズワの名残だ。「チョー」は「超える、卓越した」というポジティブな意味で、今でもとくに男性の名前によく使われる2

パカンにて毎年3月ごろに行われるコーヂーヂョーの儀礼は女人禁制というわけではないのだが、見事に男だらけで、いわば「野郎どもの祭典」である。儀礼では男たちがコーヂーヂョーの像を神殿から担いで川岸まで運び、その様子を見ようと酔っ払った男性たちでごった返しておりなかなか進まないし、たどり着いた像をウイスキーで洗い流せば、男たちが雄叫びをあげる。3月の酷暑の中、あたりに飛び散る男たちの汗と酒がコーヂーヂョーを慰める、というわけである。そのほか神殿周辺には「彼が生前ここで闘鶏をした」と伝わる場所もあり、とにかく酒、博打のメッカなのだ。

見事に野郎どもで埋め尽くされている。
ヂーヂョー兄貴は女性に囲まれたかっただろうに。チンドィン川岸にて。

これほどわかりやすい精霊もいないだろう。酒、博打、女。共通するのは背徳的かつ一時的な享楽である。これらはすべて男の欲望の極致ではないだろうか。そう思えば男が群がるのも心情的にはよくわかる。しかし、コーヂーヂョーの魅力はおそらくそれだけではない。ミンチョーズワが酒、博打、女に明け暮れたのは、実子ではなく養子であった点が関係しているのではないかと私は踏んでいる。物語では語られないが、彼のこうした性癖の背景には、王の実子コーミョーシンの実直さへの反抗心があったのではないか。そして、結局は自分の酒癖のせいで、戦果を挙げても、王からは父親失格認定をされ…。それにしても、こうした精霊信仰が仏教社会に組み込まれている点がやはり面白い。

さて。ナイトクラブもまた享楽の場である。酒を飲んで、何もかも忘れて踊り狂う。男と女が出会う。ミンチョーズワが生きていれば毎晩クラブで酒を浴びるほど飲んで、踊り狂って、女を求めただろう。しかし彼をしてそうさせる何かがきっとあり、そこに感じる悲哀が今でも我々を虜にするのではないだろうか。

(文:山本文子)

  1. 王朝時代における精霊信仰の成立には王が仏教を基盤に国家建設を行おうとしていたことが深く関係している。長くなるので、ここでは仏教の話に立ち入らなかった。
  2. 「チー」と「ヂー」は同じである。「チョー」も「ヂョー」も同じである。前につく言葉によって濁音化することがある。

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