番外編(日本)

そうだ 金星人、会いに行こう(前編)

鞍馬山と聞いて思いつくものといえば、天狗、義経、みうらじゅんのテングー。京都の北に鎮座し、パワースポットとしても名高い鞍馬山にある鞍馬寺のご本尊が、実は16歳の金星人なのだという話を目にすることがある。京都での大学生活を始めた頃に鞍馬山を訪れたけれど、金星人らしき姿をみた記憶はなかった。赤道直下、常夏の東南アジアの国からやって来た人達をもへばらせる灼熱の京から逃れるべく、そうだ金星人、会いに行こう。お盆の真っ只中、北へ向かった。

人々が水と戯れる出町柳、通称鴨川デルタを横目に、世界遺産糺の森には目もくれず叡山電鉄出町柳駅に向かう。電車にゆられて30分ほど、終点の鞍馬で降りてすぐに鞍馬寺はある。しかし2020年7月に降り続いた大雨によって線路脇で土砂崩れが起こったため、市原から鞍馬までは運転見合わせが続いている(8月現在)。バス停からのアプローチだと、叡電を降りた瞬間に見える大天狗(令和元年にリニューアルしてやたらとカワイイ顔になっている)が見えないので、鞍馬にやって来たという高揚感がやや減縮するのが難点だ。

つぶらな瞳、おひげも白くなってカワイくなった鞍馬駅前の天狗

バス停は寺にもっと近いので、降りた瞬間すでに山門に続く階段が見えている。清少納言が「近うて遠きもの」と評した九十九折参道も7月の大雨で影響を受け、ケーブルカー(200円)で多宝塔まで向かうルートのみが参拝客に許されている。金星人に会うというのに楽をするなど邪道という気持ちになった私は、歩けなくて残念とつぶやいた。しかし、ここでケーブルカーに乗っていなかったら後でどうなっていたことだろう。下手したら遭難していたかもしれない。

政治と宗教のしくみがよくわかる本ー入門編ー文化(考え方や価値観)のベースに宗教がある【電子書籍】[ 林雄介 ]

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16歳の金星人という記述を直近で目にしたのは斜め読みした『政治と宗教のしくみがよくわかる本』という本であった。宗教というのは物語を与えることで人間のこの世での生を支えるものだと私は思っているが、この本では政治とカネから読み解くので何だかロマンも希望もなくなっている。筆者の意図としては、宗教をかたって人々をだます悪質な宗教とそうでない宗教を見分ける方法を示すことにある(と思う)ので仕方がないかもしれない。

夏の嵐

コロナの影響で、ケーブルカーの待合は窓を全開、扇風機で風を送るというスタイルになっていた。送られてくる風が生暖かいうえ、マスクをかけていたら窒息しそうだ。歌って踊るダ・パンプの皆さんが日常生活でもずっとマスクをかけている理由は、舞台で体力が長持ちするからだという。意志が柔らかい私は、体力増強がなされる前に、意識が破壊されてしまいそうになる。多宝塔からは、本殿までおよそ500メートル階段が続く。

階段を上りきったところに、波打つ背中が一風変わったスタイルの狛虎(犬ではない)を擁する本殿が見えてくる。山々を望む場所には、石が祀ってある。本殿とこの断崖部分に置かれた石のあいだの広場には、三角形の石を組み合わせて六芒星が描かれていた。そんなに古くはなさそうである。いかにも宇宙からのパワーを受け止めるにふさわしい舞台であり、スピリチュアルなムード満点だ(私にはスピリチュアルな要素は全くないので何も感じなかった)。観察していると、参拝客はここで天に向かって手を広げ、パワーをいただくというポーズで写真に納まるのが定番のようである。

KMT(コマトラ)
暗雲が垂れ込める。この広場の中央がパワーを受け取るスポットの様子

山門からここに至るまで一度も金星あるいは金星らしきキーワードを目にしていない。その道の人以外には宣伝しない主義なのだろうか、と不安が頭をよぎる。外には暗雲が垂れ込め、大雨まで降りだした。気を取り直してお参りを済ませる。その後ついに、金星の一端に触れる瞬間がやってきた。貫主の手になる書籍を購入するついでに、鞍馬寺のご本尊は金星人だと聞いたのですが、と尋ねた時である。その瞬間、おじさんは、そうです、サナート・クマラが金星から降臨されたといわれているのが奥の院なんですよ、と斜め後方を指さしたのだった。

金星人?

先の『政治と宗教のしくみ』もそうだが、鞍馬山のサナート・クマラ(魔王尊)に関してはニューエイジ(スピリチュアル)1にかぶれた貫主が、ご本尊を宇宙人にしてしまった、という説明がなされることがある。そのためスピリチュアル系を論破する本などでは、鞍馬寺の本尊が16歳の金星人と揶揄するように書かれていることがあるが、鞍馬寺側では金星から降臨したという表現がなされる。金星といえば、空海が開眼したときに、明けの明星が口に飛び込んだという話が残っているくらいだから、昔から宗教に深く関わってきた星だといえよう。

当時の貫主である信楽香雲(しがらきこううん:1895-1972)ご自身がどのように表現しているのか、本の冒頭部分を少し紹介したい。

放送局があって、そこからすばらしい放送が発信されていたとしても、受信機がなくては、その放送をキャッチすることができない。また、受信機を各自が持っていても、それが故障していたり不完全であったりしては、これも受信することができない。

約六百五十万年前の太古から、鞍馬山には、金星より人類救済指導の大使命をおび、地球の霊王として遣わされた霊神サナート・クマラ(魔王尊)が示現されており、常に神の波動、いわゆる霊波を出しておられる。中略

太古から地上の霊王として君臨している魔王尊は、今なお十六歳の若さを保っておられるとする。そして時によって変幻出没、自由自在、種々様々な御姿を現じ給うのである…

鞍馬山歳時記:8-9頁

魔王尊は、ある時は老僧、ある時は可愛らしい童の姿で顕現し、一般的には天狗という形で活動したということも解説されている。「すべては尊天にまします」というマントラを中心に、1947年に天台宗から独立した鞍馬弘教は千手観音菩薩を月、毘沙門天を太陽、魔王尊を大地とし、三身一体を万物の根源として理解する。魔王尊は、他の二つを兼ねているので、尊天を語ることが最も重要になってくるというわけだ。

金星からやってきた16歳の出所とは? 後編につづく。

(文:西 直美)

  1. ニューエイジ、スピリチュアル、スピリチュアリティ。宇宙や地球といった自己を越えた大きいものとのつながりや、自己の精神世界を強調するサブカルチャーの流れ。1960年代から70年代の、既存の制度や価値に異議申し立てをする対抗文化を源流とする。アメリカやイギリスで盛んになったニューエイジは、しだいにスピリチュアル、スピリチュアリティという言葉を使って表現されるようになっていった。つながりの感覚を研ぎ澄ませるために、ヨーガ、瞑想、心理学といった技法を取り入れていることが多い。1980年代以降になると理想的な社会の構築という要素は減って、自分探し、自己実現といった要素が強まり、各種のセラピーやワークショップが盛んになっていく。既存の宗教と比べて、礼拝することよりは個々人の体験や感覚を、組織に所属することよりは緩やかにつながることを重視するといった特徴がある。スピリチュアルという言葉は、キリスト教やユダヤ教のようなメインストリームの宗教とは異なる宗教性をもつ、ということを表現するためにも使われることがある。よく使われるフレーズがspiritual but not religousというもの。日本では2000年代以降、霊性という言葉が多用されるようになっている。

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