フィールドワーク四方山話, 韓国

夏の日の2020年 -そうだ、日本へ行こう-

これは2020年の夏、韓国と日本を往復した記録である(2020年8月26日執筆)。まず自己紹介をここでしておく。小生は2018年夏、韓国の地方都市大邱の大学に就職し今年で3年目の者である。一応、「日本国籍者」である。もともとは一年に3,4回、韓国と日本を往復していた。だが周知のとおり、新型コロナウィルスの感染拡大とともに2020年3月以降、日本と韓国の移動が全くできなくなった。関西空港のホームページを見ていても、それまで一日に30本以上あった日本-韓国間のフライト数も、3月以降は一日に1便もない日が珍しくない。

そうだ、日本へ行こう

2020年の1学期はオンラインで授業をするのか、それとも対面で授業をするのか、定期試験はどのように実施するのか、大変混乱する学期であった。それでも6月になると1学期が終わるということと、韓国、日本ともにコロナウィルス感染者数が減少し、コロナ収束の兆しが見えたような気がした。ふと日本に住む家族や友だちが恋しくなった。日本の食べ物と飲み物のハイボールが恋しくなったのであるが。沸き立つ感情「そうだ、日本へ行こう」という衝動を止められなくなった。

ところが韓国から日本へ行くには、数多くの関門がそびえていたのである。まず韓国から外国人が出国する場合、2020年6月1日以降、「再入国許可」の取得が必須となった。これは空港で簡単に取得できるものではなく、事前に韓国内の出入国管理事務所で取得しなければいけない。また韓国から出国できる空港は仁川空港のみであり、大邱に住む小生はソウルを通って仁川空港まで行かなければいけない。日本に到着してからも問題である。まず空港から自宅までは公共の交通機関を使ってはならず、PCR検査後も二週間の自宅待機を要請される。日本から韓国に戻るときも関門がある。韓国でも二週間の隔離期間があるのであるが、問題は仁川空港から200㎞以上も離れた大邱の住処までどうやって帰宅するのか。これらのハードルのため、日本への渡航の試みは一度挫折したのである。

勤務する大学内の外国人教員のコミュニティーの中でも、2020年の夏休みをどうするのか、母国に帰れないのではないかなど、かなり話題になっていたのであるが、大学側から外国人教員の母国帰国と韓国への入国に関するアナウンスは一切なかった。小生も他の日本人教員と「今年は日本に行くの、無理だよね」と言い合っていた。それでも7月に入り日本行きへの執着はくすぶり続けた。一か八かの精神で学科の上司に「日本へ行ってもいいですか」と尋ねてみた。意外にもその回答は、「行けばいいじゃない。誰が行くなと言ったの?」である。今年一番の衝撃であった。

煩雑化する手続き、高額化する交通費

そこから急遽、日本へ行くための準備を開始したのである。まず大学に海外出張申請書を提出しなければいけない。これの処理にだいたい一週間以上時間がかかる。その次に航空券の購入や、先述した再入国許可の取得である。韓国-日本間の往復航空券は去年までなら最安で1万円以下、高くても3万円を超えることはなく、またフライトのスケジュールは一日に何便も選択肢があった。だが7月10日時点で往復の航空券は5万3千円にも高騰しており、フライトは朝8時に仁川出発のアシアナ航空のものしかなかった。背に腹は代えられず、この便のチケットを購入した。続いて7月13日に出入国管理事務所で再入国許可を取得した。これも無料ではなく3万ウォン(日本円で2,700円程度)にもなった。日本への出発日は7月24日にした。韓国への帰国日は8月16日である。本当は8月17日に戻りたかったのであるが、その日のフライトは急遽キャンセルされていた。2020年の夏、日本と韓国の往復にこれほどの手間がかかることに唖然とした。

いざ日本へ行こうということであるが、24日8時の仁川発のフライトのため、前日23日にKTX1に乗ってソウルまで行き、空港近くのホテルに一泊することにした。宿泊費は5万ウォン、4,500円程度であり、航空券や再入国許可の手数料に比べれば安く感じた。

出発

24日5時半、ホテルを出発し6時に仁川空港に到着し、アシアナ航空のカウンターに向かった。思いのほか順調である。空港は人が少ないという印象を抱いたものの、早朝はもともと少なかったのかもしれない。ただ出国審査のゲートは1カ所に限定されていた。免税店売り場は営業中の店が多かったものの、開店している飲食店は少なく感じた。朝食としてダンキンドーナツでソーセージマフィンとコーヒーを買い、搭乗口近くのベンチでほおばった。

写真 1 朝6時の仁川空港。

8時、航空機への搭乗である。A321というエアバス社のナローボディーの機体。ずいぶんと小さい。仁川空港と関西空港を結ぶ路線で、アシアナ航空の小さな機体に乗るのは初めてである。「きっと乗客が少ないんだろうな」と思った。案の定乗客は50人もいない状態であったが、意外なことに日本人以外にも韓国人やフィリピン人の乗客がいたことに驚いた。彼らは何しに日本へ行くんだろう。機内でのサービスは通常通りであった。機内食も出たが、アルコール提供のサービスはなかった。これも感染対策だろうか。日本へ入国する際の書類がやたら多かったことを記憶している。発熱や咳、関節痛の症状がないか。日本へ入国した後、どのように自宅まで行くのか、待機する場所はあるのかなどである。これも日本と韓国を何十往復して初めての経験であるが、機内での雰囲気は終始穏やかなもので静かな時間が流れていた。

写真2 アシアナ航空A321の機内。乗客はほとんどいない。

関西空港、着陸

定刻通り10時に関西空港に到着。航空機の扉が開いた瞬間、多くの乗客が出口に急ぎ立ち上がった。小生はいつも最後のほうで立ち上がる。ここまでは通常の光景である。だが、ここからが違った。出口に向かっていた乗客が、慌てふためきながら再び機内に戻り始めたのである。この人口の逆流現象の後、ある男性が乗り込んできた。彼の名前をA氏としておこう。フルフェースでマスクと手袋を装着したA氏が、乗客全員に「皆さん。一度、席に戻って座って下さい」と日本語でアナウンスをし始めたのである。彼のアナウンスをアシアナ航空の客室乗務員が韓国語と英語に通訳していた。後に分かったことであるがA氏は厚生労働省の職員で関西空港の検疫官ということであった。それまで穏やかだった機内の空気を変えてしまったA氏に、若干の「場違い感」が感じられ不憫であった。

ここで降機する順番を告げられた。まず関西空港は乗り継ぎで、そこからまた海外に向かう乗客である。先ほどのフィリピン人数人がここで降機した。続いて日本国内に待機場所とそこまでの移動手段がある乗客である。小生はここに該当する。関西空港から京都の自宅までの出迎えを両親に頼んでおいたのだ。最後に待機場所はない、あるいはそこまでの移動手段がないという乗客である。A氏はそうした乗客には「私と話し合いましょう」と言っていた。話し合って問題が解決するのだろうかと心配になってしまった。

日本入国

乗客は一定間隔を空けて降機し、空港内の検疫室に連れていかれる。小生はこれまで何度も関西空港を利用してきたが、こんな施設があったのかと感慨深く見ていた。ここでPCR検査2を受けるのであるが、空港内の施設ということで写真撮影は禁止されていた。白い防御服を着た検査官から、鼻の穴に棒を突っ込んで粘膜を採取するPCR検査を受け、その後LINEアプリで厚生労働省の「帰国フォローアップ」というアカウントを追加するように言われた。検査結果は翌日には分かるそうだ。ここから入国審査や税関があるのであるが、そこはいつもの手続きと何ら変わらなかった。もう少し混雑すると予想したのであるが、あっという間であった。税関が終われば関西空港1階の到着フロアーである。そこはローソンやスターバックスがあるところで、小生にとっては「やっと日本に帰ってきた」と感じられる場所である。海外からの入国者はここから公共交通で自宅まで帰れてしまいそうであるが、両親の出迎えを待つまでの小一時間、関西空港の1階で過ごすことにした。

写真3 関西空港1階。

そのまままっすぐ京都の自宅へ帰った。そこから二週間は自宅待機である。この待機要請にどの程度の拘束力があるのだろうかと思ったのだが、感染そのものが怖いのもあって可能な限りの外出を控えることにした。翌日25日の昼、A氏から携帯に連絡があり、PCR検査の結果は「陰性」であった。それでも二週間の自宅待機を守って欲しいということを告げられた。二週間後の8月8日まで厚生労働省から自動音声によるLINE通話がかかってきた。発熱がないか、喉の痛みがないのかを「はい」「いいえ」で返答するというものである。日本滞在中、検疫官のA氏や厚生労働省からのLINE通話のおかげだろうか、小生は健康上大きな問題もなく有意義に過ごせたと思っている。

(文:安田昌史 2020年8月26日執筆)

  1. 韓国の高速鉄道‘Korea Train eXpress’の略。首都ソウルと東南部の主要都市の釜山を2時間18分で結ぶ。
  2. 2020年8月1日より、日本の空港における新型コロナウィルスの検査方法はPCR検査から抗体検査に変更された。日本に入国する者は全員抗体検査を受け空港内で待機し、検査結果を待つ。結果が「陰性」だった者はそこで「解放」されるが、「陽生」だった者はPCR検査を受けることになる。

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