フィールドワーク四方山話, ミャンマー

小銭を貯める

お釣りがもらえないかもしれない世界

日本に住んでいて、スーパーやコンビニでの支払いでお釣りがちょうどもらえない、なんてことはまずない。お釣りをもらおうと思ったら、お金の代わりに飴玉だったなんてこともない。厳密なやり取りをしないという意味では、昔ながらの駄菓子屋なんかは、ちょっと事情が違うだろう。おまけでもう一個お菓子選んでいいよ、なんかはあった気がする。あるいは友人同士で割り勘するさいに、数十円、数百円単位でおまけすることはある。自分がちょっと多めに払っていたとしても、数百円なら「別にそれぐらいいいよ」となる1。日本でお釣りのことで神経質になるとするなら、代引きなどの場面だろうか。配達員がお釣りをぴったり持っているとは限らないので、払う側が最初からちゃんと準備しておかなければならない。

さて、少なくとも私が住んでいた2010年~2011年ごろのミャンマーは、支払いのさい、お釣りがぴったりもらえないことが十分ありえる世界だった。だからミャンマー人はなんとかしてお釣りをぴったり払えるように/もらえるように、お釣りを用意する側も、もらう側もいろいろと技を編み出していた。私も最初は慣れず、彼らの計算の早さに感心するばかりだったが、徐々にコツを掴めるようになった。

ちなみにミャンマーでお釣りの一部が飴玉だったことは実際に何度かある。これはぴったりお釣りが払えない場合の、スーパーマーケットで採られていた苦肉の策である。というのは、スーパーの商品は、1チャット(以下、Kで表記)紙幣や5K紙幣の流通量の少なさにもかかわらず、なぜか1K単位で値段が決まっていたからだ(それ以外の場面で一の位でお金のやり取りをすることはまずない)。たとえば252Kの商品を買う場合、この額面通りに払える人はほとんどおらず、300K支払うとする。しかしスーパー側も1Kや5Kをたいして持っておらず、ぴったり48Kのお釣りを払えない。この場合、スーパー側は多めに50K紙幣1枚をくれるかもしれない。あるいは40Kと飴玉かもしれない。レジにはこうした場合に備えて飴玉がちゃんと常備してある。

ミャンマーの貨幣体系2

さて、このお釣り問題が一番顕著なのが路線バスだったのだが、その話をする前に、ミャンマーの紙幣事情について先に見ておこう。ミャンマーには硬貨はなく、どんなに小額であろうと、すべて紙幣である。1K、5K、10K、20K、50K、100K、200K、500K、1000K、5000K、10000Kの11種類ある。

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まだ綺麗に保たれているほう。500K紙幣(上)と100K紙幣(下)

現在はおそらく改善されているが、私が住んでいたころは小銭、つまり小額紙幣(1K~200K)の流通量が極端に少なかった。1K、5K、10K、20Kあたりは本当に少なく、財布に1枚も入っていないことのほうが多かった。100K、200Kはそこまでは少なくないが、何かの拍子に手に入ったら「ちょっと、とっとこう。すぐに使ったらもったいない」という頭が働くぐらいの少なさだった。ギザ十(若い人は知らないかな?)を偶然入手したときのような感覚とでも言おうか。とにかくヤンゴン中をぐるぐる回っている100K紙幣や200K紙幣は、多くの人が自分の手元にめぐってきたら、いったんはキープする、ということをやっていたのである。それぐらいレアな存在だった。みながこうやってキープするから、ますます流通量が減ってレア感が増すというサイクルにもなっている。

すべては、中央銀行が日本のようには機能していないことが原因であろう。先述したように、額面によっては流通量が極端に少なく、破れてセロテープで補強してあるお札、やたらと湿っていて(この時点で触りたくもないが)ちょっと触っただけで破れそうなお札、手書きで何か文字を書いてあるお札など、日本では考えられないようなお札が普通に流通していた。

路線バスの運賃

しかし、100K紙幣や200K紙幣を「ちょっと、とっとこう」となるのは、単にレアだからということではなく、これだけ流通量が少ないにもかかわらず、日常生活で100K、200Kが必要になる場面がけっこうあるからだ。その一つが路線バスである。路線バスの運賃はだいたい100Kから高くて300Kである(バスのグレードや乗車距離による)。路線バスはヤンゴン市内を網の目のように複雑に走っており、庶民の重要な足である。日本人にとっての電車みたいなものだ3

ちなみに現在は路線バスは公営のYBSがすべて管轄し、運賃も運転席横の料金箱に入れる仕組みになっているが、かつてはこのような料金箱は存在せず、「スペア」と呼ばれる乗組員(たいていは男性で2人いる)に手渡しすることになっていた。日本では細かいお金がなければ運転席横の両替機で両替できるが、そんなものは存在せず、互いに過不足なく料金を支払える/徴収できるかどうかは、こちらの手持ちの紙幣の種類と枚数と「スペア」の手持ちの紙幣の種類と枚数によって決まるのである。まるでトランプである。そして乗客から料金を徴収するスペアの持ち札は、小額紙幣が増えたかと思えば、お釣りで一気に出払ったりと、刻一刻と変わるのだ。

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ヤンゴン市内を走るバス。車内では小銭をめぐる攻防が展開される。(2011年)

バスに乗り込むと、スペアがさっと料金を集めにやってくる。スペアの観察眼は鋭い。さっきのバス停で、新規で何人乗って、誰がどの辺に座ったのかを瞬時に把握し、一人残らず運賃を徴収してまわる。スペアがすっと横にあらわれると、乗客は行き先を告げて、スペアに言われた料金を渡す。スーレーパゴダから乗り、フレーダンで降りるなら、「フレーダン」と一言伝える。そうすると「200(フナヤー)」と言われて、200Kを渡す。このとき手元に200K紙幣があれば、まあこれで支払ってもいいだろう。

しかし、200K紙幣がなく、また小額紙幣を合わせても200Kぴったりにならない、それ以外は1000Kしかない、という場合もある。こうなれば、もちろん1000Kで支払うしかない。そして800Kのお釣りをもらうということになるのだが、ここで乗客が考慮しなければならないのは、スペアが800Kぴったりのお釣りを持っていない可能性である。

800Kということはもっともメジャーな組み合わせは200K×4枚か、(500K×1)+(200K×1)+(100K×1)である。たとえばスペアが100K紙幣は持たず、200Kを2枚、残りは500K以上となった場合、彼は800Kをどうやっても工面できない。スペアが用意できるのはあくまでも900Kなので、このような場合、1000K紙幣を差し出すと、「お姉さん、100K持ってない?1100K払ってくれたら、900K返すよ」となるのである。はじめのころの私は「お釣りは800」という数字に囚われており、「1100K払って」という言葉の意味を瞬時に理解できなかった。何度も似たような経験を繰り返す中で、スペアの手持ちの紙幣では900Kしか用意できなんだな、200K紙幣4枚は持ってなくても仕方がないな、と徐々に対応できるようになっていった。

こういった場面でとっさに100K紙幣を出せない場合、「お姉さん、ちょっとあとで」と言われて後回しになる。スペアはほかの乗客から運賃を徴収するなかで、800Kぴったり用意できたときにまた戻ってくるのだ(決して忘れることはない)。この間乗客は「スペアは自分が下りるまでに800Kを用意できるのだろうか」とずっと気をもむ羽目になる。こういうことがあるから、常に100K紙幣、200K紙幣を財布の中に忍ばせておくことが大事なのだ。

運賃が100Kのときにはこんなこともあった。私は100K紙幣がなく、200K紙幣以上しか持っていなかった。200K紙幣を渡して100Kのお釣りをもらおうとしたが、スペアも100K紙幣を持っていない。すると、スペアから500Kか1000Kはないか?と聞いてきた。500Kがなかったので1000K紙幣を渡したところ、900K(500×1+200×2)が戻ってきた。100K支払うだけなのに、200K紙幣は使えず、1000K紙幣を使わなければならないという世界なのである。

小銭の奪い合い

スペアと乗客とのあいだでの小額紙幣の奪い合いのように見えなくもない。乗客は、少額紙幣を何枚も持っていればそのうちの1枚を使うことに抵抗はないが、手持ちが少なくなってきたら、温存しておいて1000Kで支払ってお釣りで小額紙幣ゲットを狙うことがある(これはみんな素知らぬ顔をしてけっこうやっていた)。スペアは一瞬苦々し気な顔をして、しぶしぶ小額紙幣でお釣りを渡すことになる。スペアのほうも、皆が1000Kでお釣りを求めてきたら、すぐに小額紙幣が尽きてしまい、後々お釣りを払えなくなるので、できるだけ手持ちの小額紙幣の枚数は一定に保っておきたいのだ。

路線バス以外で小額紙幣の出番が多いのは屋台である。たとえば屋台で和え麺を食べるとする。安い場合は300Kだ。懇意にしている屋台なら、5回分をまとめて1500K支払えば、小額紙幣を使わずに済む。しかし店主のほうから、あからさまに今小額紙幣が不足しているから300Kくれと言われることもある。すでにまとめて払ってあると言っても、6回分ということにすればよいなどと言われる。そうするとこちらは100K紙幣と200K紙幣を一気に2枚も失うことになる。実際は、自分もあらゆる場面でお釣りなどで小額紙幣を得ているのでお互い様なのだが、どうしても「せっかく貯めたのに…チッ」という気分になる。

私たちもたとえば460円のときにあえて510円出す、みたいなことをしているから、それに似ているのかもしれないけれど、460円ちょうどあれば460円出すし、510円出すのは、お店のほうが40円ぴったりを用意できないかもしれない、などと考えているからではない。自分の財布に入ることを考えたときに、10円玉4枚よりも50円玉1枚のほうが軽く、かさばらないからという、あくまでも自分のためである。

こんな風にかつてのヤンゴンは、こちらがどんな額を出しても、漏れなくお釣りが返ってくるという世界ではなかった(今はもう少しましだと思う)。客のほうはお釣りを確実にゲットするために、またサービス提供側は料金を確実に徴収するために、少ない小額紙幣でやりくりする術を発達させてきたのである。

(文:山本文子)

  1. 割り勘のときに、自分が1円でも損をしないように、などとは普通は考えない。しかし、コンビニで同じような状況になって、「別にそれぐらいいいよ」とはならないだろう。こっちが良くてもコンビニ側が承知しない。しかしタクシーでは「お釣りはいいんで」みたいなことはよくあるみたいだから(私はやったことないが)、何が違うのだろうか。
  2. ミャンマーの貨幣体系についてはいずれきちんと勉強して記事にしたい。軍事政権時代には、突然の廃貨が3度もあり、ミャンマー人は持っていた紙幣が突然紙くずになるということを何度も経験している。
  3. ミャンマーの乗り物事情についてもまた記事にしたい。ミャンマーに行ったことのある人ならあるあるだが、ミャンマーの路線バスは日本の中古バスをそのまま再利用している。今でこそYBSが統一感を出すために塗装しているが、かつては阪急バスや南海バスなどが、外装も内装もそのままでヤンゴン市内を走っていた。

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