フィールドワーク四方山話, ミャンマー

街の電話屋さん

私が留学していた2010年ごろは、まだヤンゴンのあちこちに、「街の電話屋さん」を見つけることができた。当時、携帯電話は贅沢品で、持っている人はごく一部の富裕層だけだった。SIMカードの販売はすべて国が管理していて、5000ドル(50万円以上)近くするのだから無理もない。その後民主化(2011年3月)されてからは、ノルウェーのTelenor社やカタールのOredoo社などの外国企業の参入に伴い、SIMカードの値段は徐々に安くはなり始めたが、それでもおいそれと買える代物ではなかった(今は100円くらいにまで下がっている)。むろん私も調査地で携帯電話を持つなどという発想もなく、出先で誰かに電話をかけたいときは「街の電話屋さん」をよく利用したものだ。

「街の電話屋さん」は折り畳みの簡易なテーブルとイス、そして日よけのための大きなパラソル、というのが定番スタイルで(営業終了とともに撤収する)、若い女の子が電話番をしていることが多かった。言ってみれば、有人の公衆電話である。日本のように、10円分しゃべったら自動で切断されるということはなく、電話番が目の前でストップ・ウォッチで話した時間を管理していて、話した分の料金(たしか1分200チャットぐらい)を支払うというシステムだ。どこにかけるかによってもしかしたら値段がちがっていたかもしれない。「ミョーデーラー(ヤンゴン市内?)」などと聞かれたことをうっすら覚えている。

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運輸・通信省が設置した公衆電話。撤収できない電話ボックス型である。
やはり中に電話番がいる。(2007年)

気軽なサイドビジネス

街の電話屋さんは、固定電話を持ってさえいれば、誰でも簡単に始められるサイドビジネスである。街中でなくても、自宅でも始められる。2010年当時、携帯電話以前に固定電話すら持っていない人が大半で、ゆえにこうした電話屋は住宅街の一角で近隣住民の共同電話として機能していた。固定電話の所有者は利用者からその都度料金を徴収するのである。固定電話さえ置いておけば、ひっきりなしに誰かが電話を掛けにやってくるという感じで、かなりのニーズがあり、それなりに儲けていたのではないかと思う。

私が借りていたアパートの向いにも、自宅の固定電話を近所の人向けに貸し出している夫婦がいた。彼らはアパートの1階に住んでおり、通りに面した玄関先に固定電話が設置してあった。その家の奥さんや息子が電話番をよくしていた。利用者はほぼ近隣住民だけで、みんな顔見知りだったので、借りたいときは「フォンセッメー(電話、かけますよー)」と一言、家の中に向かって声をかけ、そうすると、「セッセッ(かけて、かけて)」と声が返ってきて、自分でストップ・ウォッチをセットする、という具合である。そしてときどき奥さんや息子がふらっとやってきて、ストップ・ウオッチを確認したり(監視している感じを出してくる)、暇なときはその場に腰をかけて、通りを行きかう人を眺めたりして、ぼんやりと電話番をしていた。

固定電話も携帯電話も持たない人にとっては、どこの誰が固定電話/携帯電話を持っているかという情報はきわめて重要である。たとえば、私の知り合いの霊媒(当時50代)は、「わしに連絡を取りたいときはここにかけてきなさい」と言って、3つぐらい電話番号を教えてくれたのだが、それらは全部近所の人の固定電話や携帯電話の番号であった。もちろんすべて所有者には話をつけていて、勝手に人の電話番号を言いふらしているわけではない。かかってきた場合でも自分がかけた場合と同じように料金が発生するので、お金を払って使わせてもらっているということである1。私も固定電話を持っておらず、知人には、私がいつも利用している向かいの固定電話を「自分の電話番号」として伝えていた。

ちなみに私は6階建てのアパートの5階の1部屋を借りて一人暮らしをしていて、私に電話がかかってくると、向かいの電話屋の奥さんや息子がベルを鳴らして知らせてくれた。ベルとは、日本の神社の鈴のようなもので、5階のベランダ付近にベルを設置し、それと結び付けてあるロープを1階まで吊り下げておくというものである。下からこの紐を前後に揺すれば、5階のベルが鳴るのだ。6階や7階建てのアパートには階段しかないので、この神社型ベルがとても便利で、たとえばロープの先端に洗濯ばさみなどをくっつけておいて、新聞をそこに挟んでもらって引き上げるとか、あるいはかごを結び付けておいて、食糧などを引き上げるなど様々に応用していた。逆に階上の人が何かを1階の人に渡したい場合も、このロープが役立った。

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ベランダからロープを垂らしておく。細いので目を凝らさないと見えないが…。
携帯電話が普及した現在は「電話だよ」と呼び出される風景を見ることもない。

電話のように便利だけど誰でもが所有できないような高級品を、所有者に使用料を支払ったうえで使わせてもらうシステムというのは、近年よく耳にするシェアリングエコノミー(共有型経済)である。車の共同利用(Uber)や空き部屋の共同利用(Airbnb)が有名だが、それに似たようなことは実はローカルでは昔から普通にやっていたのである。

「街の電話屋さん」の気楽さ

「街の電話屋さん」を利用していたころ、その電話を離れたとたん、誰も私に連絡できないと思うと、すがすがしい気分になったことを覚えている(人類学者のくせにどうかと思うが、喫茶店でゆっくりフィールドノートを整理したり、お茶を飲んでぼーっとしたりしたいこともあるんですよ)。家にいない時間は、私は「連絡のとれない人」となり、余計なあれこれについて、連絡する側もされる側も「連絡のしようがなかった」「その日は一日中外にいたので」で割り切れるのである。現在の日本でもかたくなに携帯電話不所持を貫いている人がいるが、その気持ちがよくわかるという人は実は多いだろう。

街の電話屋さんはもうずいぶん前から見かけなくなった。市場経済まっしぐらの現在のミャンマーでは、携帯電話の所有率が110%を超え、一人で複数台持ちも常識になっている。人間の数よりも電話の数のほうが多いのだ。1台の電話をみんなでシェアしていた時代とは大違いである。しかも、複数の事業を抱えている多忙な実業家ならともかく、いたって普通の人ですら複数台持っている。どこでも誰からの電話にもすぐさま応対できるのだから、私が感じた気楽さとは対極である。どちらが良い悪いというようなことはないけれども、急速に変貌していくミャンマーの姿に私のほうが付いていけなくなっていることは確かである。

  1. ミャンマー人の友人に尋ねたところ、自分宛てに電話がかかってきて、呼びに来てもらったら通常料金で、一方であらかじめ電話がかかってくる日時がわかっており、その場で待機していたら、呼びに来てもらう手間を省いたという意味で半額だったんじゃないかとのことだった。友人も昔のことすぎてよく覚えていなかった。

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