世界中どのようなところに行っても、素性のよくわからないミステリアスな人々に会うことがある。ミステリアスな人をめぐって思い出したことを、気の向くままに書いてみたい。私がパッターニーをうろうろし始めた2015年6月、サイブリという古都を訪れたときのことだ。知人のお兄さんがにわかに、日本語ができる人がいるからと電話をつないだ。そのオジサンには結局一度もお目にかかったことはないのだが、初めて滞在する土地で初めて日本語を話した現地の人だったということもあって、とても印象に残っている。
パッターニーはじつは日本とは因縁の深い場所である。日本軍の軍事作戦のなかでも大成功だったといわれるマレー作戦において、パッターニーは日本軍の上陸地点のひとつであった。サイブリに行った時には、ここの散髪屋は日本のスパイだったらしい、ここには日本人の歯医者1がいたという話を聞くこともあった。軍人が民間人になりすまして、あるいは民間人の身分で軍属として働き、潮の満ち引きなどを記録していたということも聞く。タイでは知らない人がいないくらい有名な小説で、映画化やドラマ化が何度もされた『メナムの残照』(クーカム)には、日本兵小堀とタイ人女性アンスマリンが出てくる。アンスマリンは、実はサイブリの女の子がモデルなのだ、ということを現地滞在中に2度聞いたことがある(たぶん違うと思うけれど)。戦前のパッターニーで、日本人の存在感は小さくはなかったようだ。
電話が渡されたので、モシモシとつぶやいてみた。オジサンは早口で、自分は日本で10年間働いていたことがある、その時のボスにはとてもお世話になった、と話していた。何をしていたのですかと聞いても、意味深な笑い声が聞こえてくるだけであった。1分ちょっとで、もう行かなくてはと電話が切れた。ぜったいに堅気ではない、きっと日本では、ヤクザな仕事についていたに違いない。私の印象は、それだけだ。ヤクザといえば、2018年の1月、ヤクザのボスがタイに潜伏していたところ、刺青を背負った背中の写真がバズったことで逮捕に至った事件があった。フィリピンの田舎に2か月滞在した時も、フィリピン人が「あの三輪車引っ張ってるオジサンは日本のヤクザだよ。すごいタトゥーしているんだ」と教えてくれたことがある。日本のヤクザと東南アジアは、けっこう縁があるようだ。
ヤクザな感じのオジサンといえば、タイ深南部でお世話になっている学校の先生が、いつも「ボス」と呼ぶ人物がいる。私がはじめてマレーシアに行くというとき、私はその「ボス」に会いにいくようにと勧められた。コンサルティング会社を経営しているというボス(当時60歳)の眼光は鋭く、オフィスには体格の良い元兵士も出入りしていた。ハンバーガーが大好きなボスは、若い頃ドイツにいて、陸上のトレーニングを受けていた。昔の自分の筋肉ムキムキの写真を私に見せては、誇らしげにしている。ドイツから帰国した後は、マレーシアの大手石油会社ペトロナスで働いていた。タイ語が話せて、なぜか東北訛り、南部訛りもできる。ルーツがタイにあるわけでも2タイに駐在していたわけでもないそうで、どうしてタイ語がそんなにできるのかと聞くと、いつも言葉を濁すのであった。
私がマレーシアのクアラルンプールを訪れる時には、必ず行くハンバーガーショップがある(また別の記事で紹介したい)。オーナーのアンティは、両親がパッターニーの人で、母の故郷であるサイブリで生まれた。しかし両親がメッカに巡礼に行ったまま、サウジアラビアに滞在することを決め、サウジアラビアで育ったのでタイ語ができない。ボスは、アンティのようにタイにルーツがあるけれど、タイ語ができないマレームスリムを見るといつもタイ語で話しかけてからかっている。ムキムキの写真も、タイ語が話せることも、携帯の待ち受けにしているマハティール首相とのツーショット写真も、なにもかもが胡散臭くて怪しい。しかし、私ごときにいかにも怪しいと思わせてしまうようだから、決してスパイなどではないだろう。マレーシア版のヤクザなのか、あるいは単に怪しいオジサンなだけかもしれない。
大人になって行動範囲が広がると、怪しい人たちに出会うことも増えた。ひっそりと暮らしている人たちのなかにも、実はとてつもない波乱万丈の人生を生きてきた人がいるかもしれない。そう考えると、そこいらで見かけるすべての人が怪しく思えてきて、なんだかわくわくしてくる。どんなにボロボロな格好をしていたとしても、いかにも凡庸に見えたとしても、実は凄腕のスパイだったりするのかもしれない。そう思って世界をながめてみると、日々の暮らしも楽しくなること間違いなしだ。
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