番外編(日本)

子連れ散歩①:大岩神社をふもとから

年明けに京都市伏見区大亀谷に引っ越してきた。大亀谷というのは、墨染通り1のうち京都教育大南方あたりから峠あたりまでの区間を挟んで南北に広がる一帯で、住宅が密集している。私は実家が桃山丘陵の向こう側にあるので地元と言えなくもないのだが、この地域のことは全く知らない。

先日、京阪藤森駅前の散策マップで、大亀谷の奥の方に大岩神社というのがあるのを知った。なんでも堂本印象2の鳥居が立っているらしい。少し行けば見晴らしのよい展望所もあるようだ。子(11ヶ月)を抱っこ紐で抱えて行ってみることにした。

深草周辺と大岩山 © OpenStreetMap contributors

大岩神社の場所

伏見稲荷大社がある稲荷山(標高230m)の南麓に大岩街道という片側一車線の道が東西に走っていて、伏見区深草と山科区の観修寺をつないでいる。その大岩街道を挟んで稲荷山の南向かいにあるのが大岩山(標高180m)で、大岩神社はこの山の中にある。参道は大岩街道から伸びている。

大岩街道の大部分は、昔の大津街道の一部と重なっている。大津街道というのは秀吉が整備した街道で、江戸時代は東海道の一部3でもあったらしい。伏見の街(京阪中書島〜京阪伏見桃山〜丹波橋あたり)から桃山丘陵の麓に沿って北上し(この区間、直違橋=本町通=伏見街道と重なる)、藤森神社の手前で東に折れて4京都教育大の前の坂道を登ったあと、JR藤森駅の手前の角を北上し、大岩街道に合流して山科へ抜け、観修寺を過ぎてからは山科を北上、髭茶屋追分で三条通と合流したあと逢坂山を越えて大津に至る。江戸時代、西国の大名は参勤交代のとき京都の街を避けてこの道を通ったそうだ。ベビーカーを押して歩けば自然とバンザイの体勢になってしまう教育大前のあの坂道を重い荷物を背負って登るのは、さぞ大変だったに違いない。

いずれにしても大岩神社は、少なくとも近世以後は、人通りのある街道沿いの、比較的アクセスの良い神社であって、辺鄙な場所にひっそり佇む神社などではなかったはずである。

竹林を抜ける

今回は旧大津街道から大岩街道へ出て参道を登り、展望所へ出て山手から大亀谷へもどるコースをとることにした。Googleマップによれば所要時間は1時間数十分。9kgの子供を抱えてはいるが、途中どこかで休憩すればなんとかなりそうだ。

大亀谷あたりの旧大津街道は、言われてみれば…程度に微かに旧街道の趣が残っていて、歩いて気分が良いところがなくもない。対して大岩街道は風情も何もなくて雑然としている。私はこの道をずっと観修寺−深草間のワープゾーンだと思っていたから、通り沿いに見るべきものがあるなんて考えもしなかった。ずっと公害問題に悩まされていた地域でもある5。自宅を出て20分すると、ようやく参道口の鳥居が見えてきた。説明板では、大岩山が地元では「御草山」とも呼ばれていたこと、神社が山頂の大岩小岩を依代としていること、神社がかつては賑わっていたことなどが説明されていた。

森の中の道

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大岩山参道口の鳥居。鳥居を入ってすぐ左手に、モンテッソーリ教育の幼稚園があった。

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朝の陽光が差し込む竹林を通って神社を目指す。

森の中のキリン

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参道脇の小道に入って背伸びをすると、手入れの行き届いた竹林が見えた。

参道口の鳥居をくぐると竹林が広がっていた。深草は昔から竹で有名な土地である。ここの竹林は手入れも行き届いていて、とても綺麗だ。七瀬川の源流らしい小川のせせらぎも美しい。竹の根っこにつまずかないよう慎重に歩きさえすれば、子連れでもぎりぎりなんとかなりそうな道だ。こんな風に木や土の香りがする小道にちょくちょく連れてきてやれば、たぶん子の教育にもいいだろう、などと考えながら竹に囲まれた緩やかな傾斜をのんびり進む。子供も心なしか機嫌良さそうにしている。

ところが、穏やかな気持ちでいられたのはここまでだった。

堂本印象どころではない

参道口から10分ほど進んだあたりで、様子が急におかしくなった。ぬかるんだ道、今にも倒れそうな、柱だけになった鳥居。参道の左手に池が広がっているが、手が伸びてきて引きずりこまれそうだ。参道と池の高低差がほとんどないからだろうか。私はすっかり不安になってしまった。どうやら、子供を抱っこしながら来る場所ではなかったようだ。

森の中の消火栓

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不穏な空気が漂う。子はこの辺りで急に大声を出して騒いだあと、眠ってしまった。
草が生えている木

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池が迫ってくる。自分がこれから入水しようとしているかのような感覚になった。
庭に植えている植物

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御手洗の跡

こけたり池にはまったり木の枝が落ちてきたりしたらたいへんなので、もう帰ろうかと思った。が、せっかく来たのにもったいないという気もする。危険そうなのはここだけかもしれないので、もう少し進んでみることにした。リスクマネジメントの観点から見れば0点の発想だ。

すると、なにやらヘンテコな建造物が見えてきた。堂本印象の鳥居だ。

森の中を歩いている

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堂本印象の鳥居。そばの碑によれば、印象が昭和37年(1962年)に寄進したらしい。
森の中の家

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鳥居には至る所にレリーフがみられる。笠木の中央に「大岩大神/小岩大神」と彫られている。
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ほぼ崩壊している祠。

堂本印象の鳥居は、四角い石造で、レリーフだらけだった。手塚治虫の『三つ目がとおる』で絆創膏を剥がされた写楽くんが「アブドゥル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベルエス・ホリマク」と言いながら使う武器とか三つ目族の遺跡のようで、少し不気味だ。笠木(鳥居の一番上の部分)は三角形になっていて、正面には女性の像が彫ってある。ギリシア建築のペディメントを真似ているのだろうか。左右の柱の正面には、僧と不動明王(?)のような像が彫られていた。神社だけど、別にいいのだろう。

鳥居の奥の祠は倒壊寸前だった。堂本印象のとは別の石造りの鳥居も、笠木や貫の部分が落ちていた。でも、二対の狛犬は発色の良い赤色のよだれかけを巻いていて、まえにはワンカップが供えてある。祠にもお供えが置いてある。大岩神社は今は無人の神社のようだが、どなたかちょくちょく来てお供えをしていく人がいるのだろう。同じ人が置いたのかはわからないが、別の祠の前には、ピラミッド型の小さいオブジェや、スライムのような石が並んでいた。取り憑かれそうだ。

何十年も前の修復記念の石碑から、ここは滝行をするところだとわかった(倒壊しかけの祠の向こうでは、水がちょろちょろと落ちている)。本殿はまだまだ先だ。もう少し進もう。と、左手の石段を登ったのだが、先の小道に木が倒れているのが見えて、私は気力を無くしてしまった。やっぱりやめだ、帰ろう。

森の中にいる

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往時の賑わい

というわけで、不本意ながら、本殿を見ずに帰ってしまった。堂本印象の鳥居はもうひとつあるらしいが、それも確認できなかった。

大岩神社はかつて、多くの参拝客を集める人気の神社だったそうだ。参道口に立っていた神社の説明板には、こう書いてあった。

結核の治癒に効験があるとして信仰を集めたこともあり、昭和八年(一九三三年)発行の宗形金風『深草誌』には往時の賑わいが記されている。

そこでその『深草誌』にあたってみると、次のような記述があった。6

大岩山は徳川家康上洛の時、乗馬の飼草を賄った処から俚人通称して御草山とも云ふが、大岩の名称は大岩小岩に対する近年著しき信仰から阪神地方迄も知らるゝに至り京阪電鉄師団前停留場からは連絡の乗合自動車で賽者が運ばれ、お籠りと称する連日の祈願者も日に数十名はあるの賑ひ振りを呈するやうになった。

宗方金風『深草誌』(郊外社、昭和八年)八〜九頁。

「師団前停留場」というのは、現在の京阪藤森駅のことだ。深草一帯には戦前第16師団が置かれていて、司令部が駅のそばにあった(今の聖母女学院)。ここからシャトルバスのようなものが出ていて遠方からの参拝客を参道口まで運んでいたというのだから、結構人気の神社だったようだ。また、神社に何日も泊まりこんで祈祷する「お籠り」を1日に十数名も受け入れていたとすると、神職の人もたくさんいただろうし、飯炊の人もいただろうし、結構大規模な神社だったのだろう。印象の鳥居は、昭和37年(1962年)である。また、それよりも後に寄進された鳥居も確認できた。神社はいつから無人になったのだろう。

なにはともあれ、本殿が気になるところである。ただ、子を抱っこしながらだともうこれ以上先には進めない。本殿へは、墨染通りの方から行く道もあるらしいから、次はそちらから行ってみよう。

なお、「大岩神社」でググってみると、結構たくさんヒットした。怪しい雰囲気が、近年人気を集めているらしい7

  1. 国道24号線から東へ伸びて京阪墨染駅の側を通り、桃山丘陵の北を抜けて六地蔵へ至る、車幅のわりに車通りの多い道。
  2. 堂本印象(1891-1975)は京都の日本画家。京都西北の衣笠に住んだたくさんの日本画家の一人でもあり、現在立命館大学衣笠キャンパスの北向かいに堂本印象美術館がある。
  3. 東海道は西の起点を京都の三条大橋に置く捉え方と大阪の高麗橋に置く捉え方の二種類の捉え方があるらしいが、大津街道は後者の東海道に含まれる。
  4. ここの角にあるたこ焼き屋のたこ焼きは絶品である。また、お店の人が異常なほど手際良いのにも驚かされる。
  5. かつて大岩街道周辺は、業者が建築廃材などの野焼きをしたり、産廃や土砂を野積みしたりと、無法地帯になっていた。京都市が指導に入るまでの経緯は、京都弁護士会の次のページに掲載されている「大岩街道産廃処理施設問題に関する意見書(2002年1月24日)」に詳しい:https://www.kyotoben.or.jp/pages_kobetu.cfm?id=59&s=ikensyo。また、大岩街道周辺地域の公害問題に対する京都市の現在の取り組みは、市のページの次の記事で紹介されている:https://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000171084.html。
  6. 漢字の旧字体は新字体に直した。なお、この本では大岩神社の「大岩、小岩」に2ページ弱割かれているが、自然物を神体とする風習に関する著者の考察が展開されていて、大岩神社に関する情報といえる情報はこの一文のみであった。
  7. なかでも次のブログは、モデルを使った写真があったり、編集された動画があったりして、見応えがあった。「【京都の穴場】動画付き!異世界情緒を感じる穴場 大岩神社の魅力」、『Hi-photography』2020年5月5日:https://hi-photography.com/trip-kyoto-fushimi-oiwajinja-shrine

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