フィールドワーク四方山話, ミャンマー

2桁当てオヤジ

「5、9」

いつものように友人が経営する貸本屋で油を売っていたときのこと。この貸本屋の隣には中年の男性が一人で手作りの仏教小物を販売している小さな店があり、若い男性が、この店の前を通り過ぎるときだけ「5、9」とか「3、4」とか、とにかく数字を2桁だけ告げて、さっと立ち去っていくということが何度もあった。ほんの一瞬の出来事である。数字を聞いた店主の男性のほうも一瞬顔をあげて目配せするぐらいなのだが、このさりげない数字のやりとり、不思議に思っていたところ、実は違法くじの当選番号だということがしばらくしてわかった。

ミャンマーには「2桁(フナロン)」とか「3桁(トンロン)」呼ばれる違法くじがあり、ミャンマー全土で広く行われている。いったい何の2桁、3桁を当てるのか?当時友人らにいろいろ聞いて回ったが、タイの為替?かなにかの数字ということぐらいしかわからなかった。以下のサイトに詳しい解説があったので、それを拝借する(ちなみに記事は2009年のもので、私がヤンゴンで人々が2桁、3桁を行う姿をよく見ていたのが2010年、2011年ぐらい。時期的に考えてほぼ同じと考えて間違いない)。

上の記事をまとめると、

・3桁とは2週間に一度行われるタイの国営宝くじの下3桁を当てるもので、当選者は掛け金の600倍のお金を手に入れることができる。3桁のほうが歴史が古く、20年以上行われていたと思われる。

・2桁の方はこの数年人気が出てきた。元々ミャンマーの国営宝くじの一等当選番号の下2桁を当てるものだった。一か月のうち7日連続で一等が発表される。ミャンマー政府は違法の2桁くじを取り締まるために、国営宝くじの当選番号発表方法を一日1桁発表へと変更した。それを受けて、2桁くじは今度はタイの証券取引所でのその日最後の取引?の下2桁を当てるものへと変わっていった。平日毎日行われるようになり、以前よりも違法くじは盛んになってしまった。

ちなみに私が観察していた様子では、どうもくじの発表は「2桁」については1日に2回行われていたようだった。午前中から大慌てで購入していて、やたらと発表時間を気にしている人もいた。おそらく午前の取引と午後の取引で、1日2回アタリ番号が発表されていたのではないかと思う。

国営の宝くじ売り場(2013年3月、ヤンゴン)

2桁当てオヤジ

この貸本屋の隣で「5、9」などと報告を受けていた中年男性、一畳ほどの小さな面積の工房で人々がパゴダ参拝の際にお供えする小物(紙や竹でできた傘など)を一人で製作して販売していた。当時50代半ばぐらい、ミャンマー人にしては珍しく長身で180㎝以上あったと思う。いつもランニング、頬のほくろからは長い毛が何本も生えており、長めの黒々とした髪の毛をオールバックにし、キンマで歯はボロボロ。なかなか雰囲気のあるおじさんだった。

彼はこの界隈では「フナロンペーデーボードー」とか単に「ボードー」と呼ばれ、慕われていた。この言葉、全体的には「2桁(フナロン)の数字をよく当てるすごい人」といったような意味になる。「ボードー」とは宗教染みた言葉で、僧侶とはまた異なり、厳しい修行によって涅槃に達した聖人ないし仙人のような存在を指す。純粋な仏教というよりは少し呪術がかった印象の言葉だ。フレーダンの片隅にひっそりと佇むボードーの元にはひっきりなしに人がやってきては、みな彼から数字を聞き出そうとしていた。

貸本屋にしょっちゅう入り浸っていた私は、いつしかボードーとも親しくなり、ボードーからいろいろ身の上話を聞かせてもらった。それによれば、ボードーがこの道に入ったのは数年前のことである。大学卒業後3年間貨物船の船員として働き、そのあとは28年間新聞社に勤務している。その後、なにかきっかけがあったのかはわからないが、新聞社を退職し、仏教小物製作の道に入ったということである。(ボードーの親戚がシュエダゴン・パゴダで仏教小物の製作販売をしているらしく、それが関係しているのかもしれない。作り方も親戚から教わった可能性がある。)

こうした仏教小物はパゴダ参拝のさいにみなが買っていくもので、パゴダ内であればそれなりに売れるのかもしれないが、フレーダンでこんな商売をしていても、さして売れているようには見えなかった。実際、ボードーにかんしては2桁くじのおかげで生活が成り立っていたようである。卑近な言い方をすれば、パチンコで生計を立てる「パチプロ」みたいなものかもしれない。「2桁プロ」である。

ある週は、仏教小物だけでは数日間で往復のバス代程度(1000チャット程度)しか稼げなかったが、3回「2桁」の数を当て、3000チャット程度の掛け金で合計20万チャット以上を稼いだという。当時の、公務員の月収が10万チャット程度だったことを考えると、相当な額のお金を短期間で稼いでいることになる。おそらく毎回の掛け金は1000K程度で、儲かった分を次の2桁に多額に投入することもなく、自分なりにルールを決めてやっていたようだ。

なぜ数字がわかるのか?

なぜボードーには2桁の数字がわかるのだろうか。ボードー自身は、一つには、博打で得たお金を良いことに使っているからだと説明してくれた。彼には博打で得たお金の使い道について、自分なりの美学があった。彼は、2桁で儲けたお金を「きれいじゃないお金」であると考えていた。そして「きれいじゃないお金」を良い行いに使うことをモットーにしていた。たとえば2桁が当たれば、工房近くの喫茶店の顔なじみたちに紅茶を奢ったり、奥さんに服をプレゼントしたりしている(ボードーは愛妻家で奥さんもよく工房に来ていた。娘もおり、奥さんも娘もいたって真面目そうな良識のある人たちに見えた。奥さんは新聞社勤務からこの道に進むことをよく許したと思う。新聞社時代から「2桁プロ」の活動をしていたのだろうか)。博打という欲にまみれた行為が仏教的によくないことを理解していて、なんとか仏教徒としての整合性を保とうとしている、というふうに見えなくもない。

もう一つ、ボードーだけでなく貸本屋の友人が言うには、ボードーのルーチンが関係しているらしい。ボードーはフレーダン在住ではなく、自宅はヤンキンタウンシップにある。けっこう遠い。そんな彼の日課は、朝は4時起床、ミャンマー人仏教徒にとっての最高の仏塔であるシュエダゴン・パゴダを参拝し、そのあとフレーダンへ向かい、朝7時には店を開け、一日仕事をして、夕方6時には店じまいし、帰宅途中も再びシュエダゴン・パゴダを参拝して、自宅に帰る、というものである。パゴダでは数珠を繰ったり、瞑想したりしているようで、この毎日の熱心な瞑想によって2桁の数字がひらめくということである。

ミャンマー人仏教徒にとっての聖地シュエダゴンパゴダ
瞑想している人もちらほらいる

瞑想についてはまた別に書きたいが、心の平静・欲からの解放を志向する仏教の宗教実践であるのと同時に、どうも異界と通じる方法という、ちょっと怪しい、オカルト的なところがある。人間を超えた第六感を研ぎ澄ますことができるとか、超能力を身に着けることができるとか。ミャンマーの仏教徒たちは、瞑想と予知や予言をしばしば結び付けて語っていた。このおじさんが「ボードー」と呼ばれる所以はそこにある。純粋な仏教とはどこか違う、仙人っぽいけれども、どこか胡散臭さもぬぐえないような、といういろんな思いが「ボードー」という言葉には込められているのだ。このボードーも、瞑想によって得られた第六感を違法くじに応用して「2桁」をバンバン当てまくっており、そうかと思えばそのお金を社会に還元していた。良いとか悪いとかでは切り分けられない曖昧な領域がそこにはあった。

最後に。別の地区に住む友人に、自分の近所にはこんなにすごい「2桁当てオヤジ」がいるんだと自慢げに話したところ、友人はニヤニヤして言った。

「「2桁当てオヤジ」なら、うちの近所の喫茶店にもいるぜ。2桁の数字を当てるオヤジなんて、どこにだって1人はいるんだ。喫茶店に行けばかならず一人はいる。そういうもんだ」

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