タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

苦しむお月様

2021年5月26日、月と地球の距離が近づくスーパームーンの状態で皆既月食が起こるということで、天体好きからスピリチュアル系の人まで、なんとなく世の中が浮足立っていた。京都はあいにくの曇り空で月食を見ることはできなかったけれど、井上さんがカンボジアでの月食の貴重な体験を記事にされていたのに刺激を受けて、タイではどうだったろうと思い返してみた。イスラム教徒が多いタイ深南部では、覚えている限り、とくに何もしていなかった。ただ、それは現在の話であって、50年ほど前までは、タイ深南部のムスリム地域でも、月食が起こるとある「儀礼」が行われていたという話を聞いたことがある。

月をめぐる伝統儀礼が消えてしまった背景には、科学的な知見が広まったという側面だけではなく、イスラムがおかれた状況も関連している。イスラム教徒が恐れているのが、イスラムの教えに背いてしまうこと、その最たるものがシルク(多神崇拝)である。伝統的な儀礼には、非イスラム的な要素が含まれているとか、アッラー以外のものを崇拝するシルクだという批判が強まってきたことも、伝統儀礼が行われなくなっていく原因のひとつとして指摘することができるだろう。先祖がシルクを犯していた、ということを暗に示してしまうことになりかねないので、敬虔であればあるほど、土地の伝統と結び付いた儀礼については、あまり話したくないという雰囲気を醸し出していたことを覚えている。

タイ深南部の農業地域では、昔は月や星の位置から、作物の植え付けや刈り取りの時期などを見定めていたという。今でも60代以上の人のなかには、ごくごくふつうの人であっても月や星だけでなく天気を「読む」ことができる人がいる。月食はさまざまな地域で、危機や秩序の混乱を意味してきた。ナショナルジオグラフィックの記事には、世界各地の月食をめぐる神話が紹介されていて興味深い。インカの神話では月はジャガーに襲われていると考えられ、地上にやって来ないように槍を振り上げ、犬を吠えさせ、追い払おうとした。カリフォルニアの先住民であるフーパ族は、月は20人の妻をもち、ライオンや蛇といったペットを飼っていて、ペットたちが充分な餌が与えられないと月を攻撃すると考えた。妻たちが流れた血を集めて、元通りになるまで月食が続くとされたという。カンボジアの村では、ンコという魚が月をかじっていると考えられたそうだ。

イスラムでは、ハディース(ムハンマドの言行録)で、月食や日食は死者とは何ら関係ないという強調がなされると同時に、月食や日食が生じると任意で礼拝をおこなうことができるとされてきた。イスラムには、義務として定められた5回の礼拝以外にも、スンナ(ムハンマドの慣習)として行うことができる特別な礼拝がたくさんある。歴史的に、月食や日食の際に行われてきた任意の礼拝が、フスーフと呼ばれるものだ。一般的には、アザーン(ムスリムの義務である1日に5回の礼拝の呼びかけのこと)やイカーマ(礼拝への2回目の呼びかけ)は必要なく、モスクなどで2ラカート(礼拝の単位)の礼拝をおこなうということで、その時には、クルアーンの開扉章(第1章)とそのほか任意の章が引用されることが多いようだ。

深南部で月食が起こったときに行われていたことは、1)ヤー・スィーン(クルアーン第36章)を読誦する、2)アザーンを行う、3)フスーフの礼拝を2ラカートだという。ヤー・スィーンは、ムスリムの日常生活において、もっともポピュラーなクルアーンの章のひとつで、神の警告や最後の審判、来世について述べられている。穀物が実ること、動物の存在、夜がくること、太陽と月が交互に出ること、これは全て神兆なのだ。そして、天使のラッパが鳴り響いたら、墓場から死者が全員神のもとへ引き出されてゆく。その日にはすべて、自分がしてきたことの報いを受ける。楽園に入ることができた人は、こんなにも楽しく、優雅に過ごすことができる。神や使徒を信じることのなかった者たちは、地獄の業火に焼きつくされる。その内容もあいまって、とくに葬儀の際に、読誦される章句である。

昔の人たちは、月食が起こったとき、月が飲み込まれて、苦しんでいると考えた。そこで、クルアーンの章句を唱えることによって、月の苦しみを和らげて、できるだけ早く月を吐き出してくれるように(「何が」吐き出すのかは教えてくれなかったが、太陽がという人もいた)神に対して祈った。

お年寄りのいうことを聞いていると、なにやらタイ深南部では、月食は凶兆とされていただけではなかったようだ。月が欠ける向きが重要で、月が上から欠けると吉兆、下から欠けると凶兆ととらえられていたという。月が下から欠けていくと、ひどい病気が蔓延する、とくに下痢など、お腹を壊す病気が蔓延する。月が上から欠ける場合は、熱を伴う病が良くなるとされた。このほか、月食が始まると、外に出て木をゆすりに行くという習慣もあったそうだ。木を叩くことによって、花を咲かせ、より豊かに果実が実ると信じられていたのだという。

東南アジアの文化が大きな影響を受けてきたのが、ヒンドゥー教である。悪魔ラーフが神様のふりをして妙薬を飲もうとするが、月と太陽に告げ口されて首をはねられた。それを恨みに思っているラーフが、月と太陽を飲むようになったという話は、タイでも聞くことがある。2018年の月食のときに、タイにおける月食をめぐる伝統儀礼について紹介されていた記事を見る限りでは、何かを叩いたり、大きな音を出したりして、月が出てくるのを促すといったことが全国的におこなわれていたようだ。同じ記事で、よい果実が実るように、木に刀を突き刺したという話も紹介されていた。東南アジアでは、月が飲み込まれている(食べられている)というイメージが共有されていて、大きな音を立てることや、木になにか衝撃を与えて花つきや実りを促進するといったことが、おこなわれてきたのかもしれない。

5月26日、夜8時の京都御所。たくさんの人が月を一目見ようと、表に出てきていた。最近では、すべて科学的という名のもとで、金太郎あめのような説明がなされて、先述したような神話や儀礼は迷信だと退けられる。科学の知識が浸透したと誇りに思うよりも、なんとなくつまらない。人の想像力や苦しみに対する共感力というのは、もともと高かったのだと思うにつけ、現代人が失ってしまったものの大きさに、少し寂しい気持ちさえしてきた。殿上人たちは月蝕の光を浴びるのを必死で避けていたのだろうけれど、1000年後、ほの暗い電灯に照らされた顔はどれも生き生きと楽しそうだ。はたと思った。「迷信」だと切り捨てることをしなくても、珍しい天文現象を楽しみ、ひとときを過ごせたことに感謝することはできる。これは、現代人の特権といえるのかもしれない。

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