カンボジア, フィールドワーク四方山話

昆虫食にびびる

さいきん、昆虫食がはやりだという記事などを目にすることがおおくなった。わたしは得意ということは全然ないのだけれど、まったく無縁でもない。調査地の村や州都でたまに食べていたからだ。ただ、「昆虫食」という言葉でものごとをとらえたことはなかった。いまさらのように「あっ、そうか」と新鮮な気づきをもらったのだ。

州都の昆虫食

カンボジアはけっこう昆虫食がさかんなほうらしい。ハリウッドスターのアンジェリーナ・ジョリーが撮影か何かでカンボジアを訪れて以来、コオロギやタランチュラの味をおぼえ、いまや彼女の息子たちや娘たちもたしなんでいるという。ジョリーの昆虫食には食糧問題への高い意識も関係しているようだ1

アンジェリーナ・ジョリー一家の昆虫食ディナー。子どもはけっこう微妙な表情だが……。

たしかにカンボジアで長距離のバス移動をしていると、地方都市のドライブイン的なレストランの脇の露店で、コオロギやタランチュラをわんさか売っているのをよく見かける。お菓子やフルーツなんかととなり合ったコーナーにあって、いたってふつうだ。

3年前(2018年)だったか、露店さながらのコオロギをたくさん食べる機会がとうとうやってきた。調査の初期に通訳で世話になったナンさんとはいまも家族ぐるみの付き合いがあり、ラタナキリの州都(バンルン市)のかれらの家はわたしがよく遊びに行くところでもあった。現在ナンさんは通訳はやめてサッカー賭博の胴元のような仕事をしている。怪しい商売といえ、わりと実入りがいいようで、一家はかなり裕福になり毎日しあわせそうだ。

それで、ナンさんの奥さんが中華鍋でどっさりコオロギを炒めて食べさせてくれた。表通りに面した軒先の食卓でくつろいでいると、台所から炒める音と香ばしさが先に来た。先に食欲をそそられるから、実物が来たとき、当たり前に食べるでしょ、という気持ちになっていた。クメール語で「チョングルット」と言う。思うに、「コオロギ」じゃないべつの名前があると初めて出会う食べもののように錯覚するのか、食べやすい気持ちになる。食感は小エビみたいだ。熱いのを手で次々つまんで口にほうりこんでいく。

カンボジアのコンポントムのコオロギ調理のようす。

村の昆虫食

昆虫食と言えば、クルンなど少数民族の村のほうがさかんだろう。市場で買うのではなく、そのへんにいるのをつかまえて食べる。そして、いる種類もおおいのだ。まずわたしがトライするようにうながされたのは、カブトムシだった。だれかの畑の家で、誰がつかまえたのだったか。クルン語で「チョーチャー」と言うのだが、日本のキッズがあこがれるあのカブトムシとまったく同じ、ほれぼれするあの格好のやつだった。初めて聴いたけど、シューシュー鳴いていた。鳴動器官がどこにどうついているのかわからなかったが、でかい胴体のどこかにあったのだと思う。そいつを燃えさしの炭のなかに押し込んで蒸し焼きにし、取り出して灰をはらってパクリと食べる。外皮をぱりっと破ると、エビの後頭部のとろっとしたクリーム状のあの感じがあった。実にうまかったと言っておこう。

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画面左方の空中に映り込んだのはUFOではない。虫だ。

コオロギも食べるのだが、ここではつかまえ方を紹介しよう。まず、中型のアリの「ブガン」をさがす。ブガンのいるところはサンダルで歩きたくない。ブガンは凶暴で人をよく噛み(いや、刺すのかな?)、毒だろう、わっと叫んでしまうほど痛い。つや消しの真っ黒な体でゾロゾロ一列になって地面にいる。そいつらを集めて、しがんで細くした草の茎に何匹かくっつけて、コオロギの巣穴にさしこんでやる。すると、コオロギがびっくりして穴から出てくるというわけ。ヴェーンさんの孫のテンくんと水牛の散歩に行ったときに教わった。子どもはもの知りだ。

こんなのもあった。しいていえば羽虫というのだろうか。灯りに集まってくる、羽も薄くて脚も体も細い、いちばん軽そうな虫のたぐいだ。あれのちょっぴりおおきめの、カゲロウか羽アリっぽい感じ。雨季の盛りに大雨が降ると大発生する。クメール語では「メー・プリアン」と言い、「雨の精」という意味だ。クルン語で何と呼ぶかはわすれてしまった。吹き降りの雨で、風とともに何匹も何匹も家に舞い込んでくる。もう祭りのように舞い込んでくるのだが、さらにびっくりしたことに、スロホくんは飛んでいるそばからパクリパクリと手も使わず食べていた。スロホくんはヴェーンさんの末娘のラントイさんの夫だが、クルン人ではなくクメール人だ。カシューナッツの仲買人として村に来てラントイさんをみそめたという話だ。飛んでいる最中のメー・プリアンをパクつくのは、クメールにもある習俗? それともクルンのなかで学んだ? わからない。踊り食いという言葉があるが、踊っているみたいなのはスロホくんのほうだ。

そんなスロホくんを尻目に、ヴェーンさんはでかいタライに水をはり、室内に一個だけ光る電球の真下においた。灯りのまわりをぶんぶん飛んだメー・プリアンが次々に水に落ちていく。これもまたなんだか神秘的な光景だ。ヴェーンさんは粛々と、落ちたやつをつかまえて羽をむしりとる。羽をとられて、細長いがよくみるとぷっくりした体が露わになる。それを食べていく。孫の何人かもいっしょに食べていただろうか。ぼんやりとしか覚えていない。たぶんわたしは長期滞在で初めての雨季で、体調を崩していたと思う。そのときはメー・プリアンを食べる元気はなかったみたいだ。風とともにやってくる味覚。まさに風物詩、風の幸。次に機会があったら食べてみたい。

もう一つ、ひょんなことから知った虫の味がある。村の飲み会というのは野外でやることがおおい。飲み会は公共イベントだから、だれかの家でやるよりは外なのだ。酒壺を外に出して、外で火を焚いて鍋をかけて、おかずも野外でちゃちゃっとつくってしまう。だから、どこかから虫が偶然おかずの皿に入ってしまうこともたまにある。いやだったらつまんで捨てるだけだ。しかし、あるとき度をこして虫が入っているときがあった。

わたし:「ハンコンがいっぱいじゃないか!」

村の人:「そうだね」(平然)

ハンコンというのは木の上にたくさんいるうすい赤茶色のアリの一種。これはブガンに比べればどうってことのないアリだ。ただそのとき、お皿のなかになんだかいっぱい入っていたのだ。ソレ目的で食べるというならそのつもりになればよいのだけど、成り行きでうじゃうじゃアリが混ざっているのは勘弁してほしい。ハンコンがいっぱいいる木の真下に鍋や皿を置いていたからいっぱい落っこちてきたんだろうけど・・・・・・。

わたし:「だってハンコンおおすぎるでしょ」

村の人:「もっと入れてもいいんだ」(頭上の枝からハンコンだらけの葉をちぎって皿にふりかけるようにする)

あれ!? わざと入れているのか? ようやく気づいたというか、そういう食べ方があるというのがまったく頭になかったのだ。だって、虫はいわゆる「別モノ」として「単品」で食べるものとなんとなく頭から思いこんでいたから。ふつうのおかずにふりかけみたいにかけて食べるのもありなのね。

アリのふりかけ入りおかずの味はどうだったかというと、これがびっくり、酸味がアクセントになっておいしい。アリがとってもすっぱいのだ。すっぱくてちいさいツブツブの果実みたい。どっちかというと植物的。知っている人にしかわからないかもしれないが、沖縄料理で出てくる海ぶどうの食感にさわやかな酸味がついている感じだ。おいしいじゃないか、まいった。

日本に戻ってから、というかつい最近しらべたのだが、葉っぱに群生して樹上生活する「ハンコン」はツムギアリというそうで、昆虫食界隈では有名みたいだ。

ツムギアリとその巣。このアリはわたしが滞在した村のどこにでもいた。

クルンの人たちと生活していると、虫も食べるということにそんなに違和感がない。みんな、虫以外にもほんとうに多様な動物性たんぱく質を摂っているから。日本なんかだと、魚介類の摂取にかんしてはかろうじて多様と言えるが、これがあらゆる動物種に広がっているのがクルンの食生活だ。哺乳類では水牛、牛、豚、犬、ヤマアラシ、ネズミ、サル、シカ、アナグマ、コウモリなどを食べる。爬虫類も両生類も生息しているやつはだいたい食べる。日本にいると牛の味と豚の味は大きく違うと感じるけれど、おおくの哺乳類を食べ、哺乳類以外もおおく食べる環境にいると、哺乳類の味はどれも似たようなものだという一段と達観した味覚になってくる。しかし、虫の味は種によってかなりバラバラの印象だ。カンボジアの山地民は、摂取タンパク質多様性の国際比較をもしやったらけっこう上位にくるだろうけれど、そのなかでも昆虫食は奥が深いように思われる。

  1. https://www.scmp.com/magazines/style/celebrity/article/3093640/angelina-jolie-zac-efron-and-justin-timberlake-eat-bugs

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