タイ南部国境県, フィールドワーク四方山話

テロリストは麻薬フリー

前回、麻薬について少し述べたのだが、今回は麻薬をめぐる思い出を記しつつ、ついでになぜタイ深南部のことを勉強するようになったのかということも書いてみたい。職業柄どうしてそのテーマに関心をもつようになったのですかと聞かれることも多いのだが、私の場合は大学4年のころから修士までお世話になった先生の影響が大きい。その先生は、私が修士に入るくらいの頃に、心の病にかかってしまった。唯一なんとか開講していたゼミで、いつもつぶやいていたのが、僕は深南部でスクーターに乗って移動していた時、ゲリラに鉄砲で撃たれたんや、けれどなんとか逃げ切ったんや、という話だった。いかにも懐かしそうに、恋しそうに話す先生の姿が忘れられないが、その時、私はゲリラに銃撃されるようなところに行きたいとも思わなかった。

クッキーの意味を知る

大学に入ってしばらくした頃、どこで読んだのか忘れたが、中島らもが、酒だけ飲んでいてもうんこが出たという大発見を書いていたのに大きな衝撃を受けた。その後、アングラな世界に心惹かれるようになっていった私は、なぜか一人前になるためには、インドに一人で行かなくてはならないという強い思いにかられていた。バイトでお金を貯め、1か月後に帰国するための航空券と8万円を握りしめて、深夜のインディラ・ガンディー空港に降り立ったのは二十歳の夏のことだ。その日のうちに、半ば脅されて高額ツアーを組まされ、所持金2万円になった。滞在期間の多くを、安宿を渡り歩くはめになった。

タイでは医療用大麻が2019年から合法化されている。大麻のゆるキャラは、その名もドクター・ガンジャ。写真はKhaosod Englishの記事より。

麻薬を初めてごく身近に感じたのが、インドだった。バラナシの安宿にいた日本人大学生に「クッキー」食べますかと誘われたのだ。含みがあったので何ですかクッキーって、と聞いて大麻入りと知ったけれど、その方面ではクッキーと意味深なかんじでいえば通じ合うらしい。クッキーをすすめられた時には、注意するようにしよう。また、どこだったか忘れたが、ハシシ(大麻)ラッシーなるものが売られているのをみかけたこともある。私はインド滞在8日目、バラナシで謎の病気になって二日間意識を失ったあと、ナッツとフルーツ類しか受け付けない体になっていたので、クッキーやラッシーを試す機会はついになかった。試してみた人たちに話を聞いていたら、宙に浮いた、壁が透けて隣のインド人が見えたなど、サイケデリックな体験ができたみたいだ。

私が当時所属していたのは、学部の中でも毛並みがいい人ばかりが集っているゼミだった。卒業論文がない学部だったこともあり、修士課程でインドの宗教と暴力というテーマについて卒業論文めいたものを書きたいなと思っていた。しかし美しい理論系のゼミだったので、先生の目には様子のおかしい学生に映ったのだろう。インドから帰国した後、紆余曲折あって私を受け入れてくれた先生が、タイの、しかも深南部のことを研究してきた先生だったというわけだ。先生の病は思った以上に深刻で、結局、私はインドのことでも、深南部のことでもない別のテーマで論文を書いて卒業したのだが、深南部のことがずっと、なんとなく気になっていた。

ガンジャと咳止めシロップ

深南部のイスラムについての研究計画で奨学金をもらえることになり、大学院後期課程に進学した。今度の指導教官は、イスラムの専門家だ。深南部に知り合いはおらず、細いつてを頼って、とりあえずタイの首都バンコクに行くことになった。バンコクの受け入れ教官は上流階級ならではの慈愛に満ちた先生で、深南部はテロリストがいるので危ない、行かなくても研究はできるという。先生の娘には、あなたはどうしてテロリストの肩をもつのだと言われたりしたし、非ムスリムのタイ人からはムスリムは怠惰で、粗野だから現地に行かない方が良いといわれることもしばしばだった。バンコクで半年、資料を読んで暮らすなかで不満や不安、焦りがごちゃまぜになった感情がついに爆発し、私は一方的に行ってくると告げて深南部へと旅立った。何かを言うならば、自分の目で見てからがいいと思ったからだ。

深南部では爆弾テロや銃撃事件が日常的に起こっているとメディアを見て信じていたので、私の持っている本は欲しい人へ、貯金(ないけど)と保険金は家族へ、お世話になった人ありがとう、と遺書めいたものをしたためた。行ってみたら何のことはない、軍の検問所がたくさんあるという点はかなり異常だが、人々はいたって普通に暮らしているように見えた。空気も、恐怖で張り詰めた感じはまったくない。大学前の通りはオシャレなカフェであふれ、キャンパスでは若者たちが青春を楽しんでいた。

地元の国立大学ソンクラーナカリン大学では、仏教徒の学生たちも学んでいる。ムスリムと仏教徒が一緒にいることはあるけれど、仏教徒は仏教徒と、ムスリムはムスリムと一緒に行動していることがほとんどだった。パッタニー市街地には、バンドの生演奏を聞きながらお酒を飲めるような場所がいくつもある。こうしたバーで演奏する仏教徒の学生バンドマンの彼女と友達だったので、彼らの生活を観察する機会が何度かあった。日中はオンラインゲームに精を出し(世界も夢じゃないと叫んでいた)、夜はバンド活動、終わったら11時ころから安いラム酒のソーダ割をがぶ飲みしてカードゲーム、深夜に下宿に帰って、起きるのは日がずいぶん昇ってからだ。

バンドマン界隈の学生は、たまに茶色い紙に包まれた塊を持っていた。黒っぽいひじきみたいなものを、器用に紙に巻いて吸っている。漂ってくるのはまさしく、インドでもしょっちゅうかいだあの甘い香りだ。タバコの箱ひとつ分くらいで、300バーツ(1000円程度)で買えるらしい。もっと手軽なのが、咳止めシロップだという。咳止めシロップをコーラと混ぜて飲むと、ふわふわと幸せな気分になって、頭がさえたような感じになるという。べつに違法ではないので、こそこそしなくてもいい。もしも大学生が、咳止めシロップ云々といっていたら、それは覚せい剤のようにして使おうとしていることが多いかもしれない。

テロリストと麻薬

深南部に移住して数か月、ゲリラに銃撃されることも、爆弾テロにあうこともなく、のんびりと暮らしていた。私がクラトムに出会ったのは、パッタニー市街地から2時間程度の田舎で暮らし始めたときのことだ。その頃、国鉄の駅近くにある中央モスク前の集合住宅の一角に、住まわせてもらっていた。隣に住んでいたのは、年老いた夫婦、4人の兄弟姉妹、一番上の兄の子供が2名だ。そのうちの30代後半のお兄さん二人は、いつも目の周りが黒ずんでいて健康状態が良くなさそうだった。住み始めて数週間、表通りからお隣の横の細い道を少しだけ入ったところで、うす緑の液体がペットボトルに詰めて売られているのを目撃した。1本25バーツ(80円程度)と書いてある。隣のお兄さんに何ですかと聞くと、クラトムだと教えてくれた。飲んでみたいというと、怖い顔でやめなさいといわれた。

Wikimediaより。クラトムの葉っぱ。タイでクラトムは、1979年麻薬取締法によって、処罰の対象とされてきた。ちなみに2021年5月26日付の官報で、非合法薬物のリストから除外されている。これからは、商用化を念頭に置いた管理統制が行われていくだろう。

クラトムとは、大麻と同じような効果があり、東南アジアでは古くから痛み止めなどとして用いられてきた。クラトムは生の葉っぱを噛むということもあるようだが、すり鉢ですって煮込むと、草色の液体ができる。カフェインの入ったコーラでさらに割って飲むのが一般的だそうだ。疲れや眠気が取れ、多幸感や覚醒効果があるので、飲酒が禁止されているムスリムの間でたしなまれているのだという。ちなみにイスラムでは麻薬も飲酒と同様禁止という解釈が一般的で、皆さんそれを完全に理解していると思う。2004年にタイ政府と反政府武装組織のあいだでの抗争が激化して以降、クラトムをたしなむ人の数が目に見えて増えたそうだ。あいつも、こいつも、あそこの旦那も、村の女性に聞いてみたら、ため息をつきながら教えてくれる。

あるポーノ(イスラム宗教塾)の先生は、分離独立派組織の影響力が強い地域では、麻薬が蔓延していないのだと教えてくれた。紛争の激化の原因の一端をになう前首相タクシン・チンナワットは、深南部における紛争は、麻薬中毒の犯罪者による仕業だと豪語していた。しかし「テロリスト」は麻薬をやっていないというのだ。現地でまことしやかに語られていたのは、軍や警察などとつながった地元のマフィアが、クラトムやその他の麻薬を広めているというものだ。中毒者が、麻薬を買う金欲しさに爆弾を置いたりすることもあるようだ。しかし、分離独立組織のメンバーには、非常に敬虔で真面目な人物が選ばれているということは実際に何度か聞いたことがある。

普通に暮らしていると見えないけれど、麻薬はけっこう私たちのすぐ身近にある。薬も毒も紙一重だとはいえ、どちらにものまれないようにしたいものだ。

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