カンボジア, フィールドワーク四方山話

養生の不如意

旅先で体調をくずしたりけがをしたりすることの大変さは誰もが身にしみているだろう。今回はわたしがカンボジア北東部のクルンの村で悲惨な具合になったことを思い出していろいろ書いてみようと思う。

その前に、今回の内容には関係ないけれど、こないだ書いたへたな詩をひとつ。

  

  穴をほる
  五〇センチほると
  いまの空間ができる

  もうそれはカコになっているのだけれど
  よっこらしょ、とうずくまって
  毛をなでつけたり
  波立たせるのは、たっぷりいまだ

  もう五〇センチほる
  ほったばかりの湿り気は
  いまだ
  (カコだ)

  そのまえにほった五〇センチの
  土の色はかわっている
  よりカコだ

  ほってばかりはいられない
  そんなときはヒビワレに入る

  ヒビワレには、いま、もカコ、もない
  おんがくがある
  忘れるということも

  

けっこういつも具合が悪い

日本とカンボジア北東部を何度か往復するうちに、だんだんわかってきた。わたしは村に長期滞在を開始するとすぐどこかの具合が悪くなるが、しばらくはもつ。しかし二週間目にかならず高熱を発して胃腸がひどくやられ、そこから一週間ほどどうしようもなくダウンするのだ。わたしはひそかに滞在開始二週間の法則と呼んでいる。そして、これを一回やると、その後はせいぜいマイルドな一過性の下痢を毎週か隔週ぐらいのペースでくりかえす。

これまでの全滞在期間(村以外の州都などに滞在していた期間をのぞく)をならしてみると、どこか具合が悪い日が半分弱、どこも具合が悪くない日が半分強ぐらいだったと思う。板の床にござをしいただけの寝床に横になっているか、床下の柱や屋外の木の枝につるしたハンモックに入っている時間がとても長かった。

どこにでも吊るハンモック。必需品中の必需品だ。

しんどさハイライト

しんどかったのは、点滴。バイクで往診にくる医者が打ってくれる。点滴そのものはものすごく効く(1日やるとスカッと良くなる)のだけれど、点滴につながれている状態で、じっとしていられないときがたいへんだ。下痢のときなど、いちいち点滴を刺したまま用を足しにいかなければならない。高熱でふらふら、便意でおかしくなりそうな状態で、薬液のボトルを高い位置にたもつための竿を片手にもって、手すりのないがたつく階段をおり、夜の大雨のなか(一年の半分は雨季だ)、傘もなく、ヘッドライトで雨粒と足元を照らし、藪をめざし(恥ずかしいからそれなりに遠くの藪までいく)、ぬれねずみになりながらしゃがむのだ。片手は竿をもっているので使えない。もう片ほうの手で近くの葉っぱをちぎり、尻をふき、おろしたパンツとズボンをひきあげる。点滴の導管を藪にひっかけないように注意深く立ちあがり、もときた道をもどる。一度ですめばいいけれど、下痢はひんぱんにくるものだから、何度も同じことをすることになる。服はぬれっぱなし、うんざりする孤独ないとなみだ。

蚊にさされただけでずっと寝ているはめになったときもあった。これも雨季まっさかりだった。脛を何か所かさされ、ちょっとかいているとうっすら血が出た。そうこうしているうちに、そこが化膿してきた。膿はつぶれ、あずきぐらいのクレーター状のものが2,3こできた。これがとんでもなく痛い。寝て体を水平にしているときはいいのだが、立ちあがると、足のほうに全身の血がおりて圧迫するから、ズキズキはげしく痛い。歩けばいちいち一歩一歩が痛い。うっ、ひー、声が出て、ヨタヨタのダンスだ。ほとほといやになり寝てばかりいた。蚊にさされただけで病人になるなんておかしな話だけれど、うっすら血が出たぐらいでことごとくでかい膿になるのは、よほど体が疲れ切っていて抵抗力がなくなっていたからだろう。寝込むべくして寝込んでしまったわけだ。

このサイトにはいままでどちらかというと楽しいことを書いてきたが、アウェイで環境も習慣もなにもかもちがう場所で、毎日、「いるだけでしんどい」というのもいつわらざる実感なのだ。

寝床の一冊

短期や長期で何度か訪れたが、後になるほど州都に部屋を借りたりして村にいない日もおおかった。最初の長期調査は、純粋に村に滞在する時間がいちばん長かった。「いるだけでしんどい」けれど、ストレンジャーひとりがにわか村人になるつもりで気をはっていた。いくら気をはっても、結局のびていることもおおかったということなのだ。

ひとりハンモックで寝ているわたし

最初の長期調査は日本語に逃げちゃだめだと思ったから、本なんてほとんど持っていかなかった。これだけ、と思って日本から持っていったうちの一冊が、ちくま文庫版の宮沢賢治全集第一巻だった。なんだか背嚢に一冊だけ文庫本を入れて戦地におもむいた兵隊みたいだ。そういうアナクロな気分を出すのはわりとわたしの趣味なのだ。

宮沢賢治には独特の澄んだ幻想の味わいがあって大好きだ。描かれるのは、どこでもない世界でありながら、日本やアジアのどこにでもあったアニミズムの世界でもある。そう、アウェイすぎる異郷でしかもばりばりのアニミズムというのは、クルンの村がまさにそうだった。賢治の本を選んだのは、心のオアシスになるだろうというだけでなく、ひょっとしたら世界が重なってフィールドの見えかたが違ってくるかも、という期待もふくめてだった。

ガソリン発電機のほかに電気もない、ネットにもつながっていない2012年当時の村で、いやあ、これがダウンしてのびているときの一冊として、よく効いた。ユメウツツいったりきたりの経験だった。つかれた頭で、ヘッドライトの明かりで読んだ。700ページほどある第一巻は、「春と修羅」を中心に詩でしめられている。パラパラとページをめくってたまたま手がとまったところを試みに引用してみよう。

  

  おもては軟玉と銀のモナド
  半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
  巻積雲のはらわたまで
  月のあかりはしみわたり
  それはあやしい蛍光板になつて
  いよいよあやしい苹果の匂を発散し
          (オホーツク挽歌)

家屋のなかもふくめて土で汚れない場所はないクルンの村に持っていった本だから、表紙もページのへりも濃い茶色の土の沁みが尋常でない。手でさわってみるだけで最初の長期調査の日々がよみがえってくる。思い出すと、わたしはこれ以降かなり詩がすきになり、ごくたまにじぶんでもあやまりたくなるへたな詩を書いたりする。

一年間村の土にさらされてくたびれた本

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