フィールドワーク四方山話, フランス, 番外編(日本)

他人のドラマ

「いったい、この人の身に今、どんなことが起こっているんだろう」と気になってしまう、やたら想像力を掻き立てる言葉を、赤の他人の口から聞くことがたまにあると思う。そういうときは、まるで自分が、他人のドラマのなかに、端役かモブキャラの一人として登場しているような気分になる。今回は、ここ数日のあいだに思い出したそんなエピソードを、二つ紹介したい。本当なら三つの方がバランスが良かったのだけど、思い出したのが二つだったから、しょうがなく二つになってしまった。

いらなくなった往復切符

まだ学生で、結婚もしていなくて、今よりも時間があった頃。思えばこの頃にもっと勉強しておけばよかったのだが、長期休暇を利用して、二週間程度フランスに遊びに行ったことがある。当初は、フランス滞在期間のうち前半をパリの友人の部屋に泊めてもらい、後半はその友人と、以前わたしが留学中にいたエクサンプロヴァンス(エクス)を中心に南仏、という予定だった。ところが、パリに来て二、三日で、泊めてくれていた友人と喧嘩になり、衝動的に荷物をまとめて泳げたいやきくんのように部屋を飛び出してしまった(今では反省している)。そしてなんでだったか忘れてしまったが、とりあえずパリ東駅前の安宿に入り、どうせならこのまま南仏に行ってしまおうと考えて、エクスの友人にフェイスブックのメッセンジャーで相談してみた。面倒見のよい兄貴肌のエクスの友人は、明日からでも家に来い、と提案してくれた。

加えて彼は、「普通に買うなんてもったいなすぎる」と、電車のチケットを安く買う方法を教えてくれた。このとき彼から教えてもらって知ったのだけど、フランスには切符転売の斡旋サイトがいくつかある1。使わなくなった切符をもつ売り手が、値段を設定し、サイト上で告知する。買い手は自分の条件に合う切符を探し、見つかれば売り手に連絡する。切符や代金の受け渡しは売り手と買い手が直接行う。「若い人は、みんなこれを使ってる」とのことだった。なるほど。でももう夜だ。明日中にエクスに着きたいのだけど、いまから切符が手に入るのだろうか。もちろん郵送では間に合わないから、手渡しになるはずだ。

とりあえず教えてもらったサイトで、翌日午前にパリを出発するTGV(新幹線のようなもの)を探すと、10時にパリを出てエクスTGV駅の次のマルセイユ駅まで行く切符が出ていた。サイトを通じて、売り手の 「ジョルジアナ」にこちらのメールアドレスを伝えたら、21時ごろ、先方からメールが来た。電話番号とともに、今はポルト・ドゥ・サン・クルー2にいます、と記されていた。普通ならここから電話をかけて——もしもしこんばんは、今こっちは東駅にいま〜す♪——ああそうじゃあ30分くらいで来れますよね?〇〇時に駅前で待ち合わせます?——わかりました〜(^o^)——じゃまた後ほど〜☆——みたいに話がまとまるのかもしれない。そして駅に行ったらまた電話をかけて——あの〜今駅に着いたんですがどこにいます〜?——キオスク見えますか?そのあたりにいるんですけど^^;——あ、見つけたかも、あ、やっぱり!——こんちは〜どもども♪♪——となる感じ。ところが、わたしにはフランスで通用する携帯電話がない。傘がない井上陽水ほどではないかもしれないが、困った状況だ。わたしは、携帯を持っていないこと、ポルト・ドゥ・サン・クルー駅には30分ほどで行けることを伝えると、「ミュラ通り〇〇番」と、正確な住所が送られてきた。22時半待ち合わせ、というこちらの提案を承諾してもらって、ホテルを出た。

井上陽水/傘がない:期間限定で公開されている動画らしいので、そのうちリンクが切れてしまうかもしれない

この時点でわたしはひとつ失敗を犯していた。先方から最後の「OK」のメールがなかなか来ず、それを待っていたせいで、ホテルを出たときにはすでに22時10分をまわっていた。急いでも10分程度遅刻してしまう。携帯がないのはやはり不便だ。そして駅に着いてから、わたしは二つ目の失敗を犯してしまう。ホテルを出る前にGoogleマップを目に焼き付けてきたつもりだったが、あっさりと道に迷ってしまったのだ。この時はまだ自覚していなかったが、わたしはけっこう道に迷いやすい。

20分くらい遅れてようやく指示された住所の近くまでやってきた。会えなかったら、という不安でいっぱいだ。と同時に、危ない人のやばい計略だったらどうしよう、という不安もある。「ジョルジアナ」って誰だろう。そもそも、一人だという確証もない。

多少おびえながら、暗くてまったく人通りのない道を歩いていると、「ユヤ?」(筆者のファーストネーム)と、小鳥の鳴き声のような声がした。見ると、小柄な若いアフリカ系の女性が建物のかげに立っている。危ない人ではなさそうだ。わたしが遅れたことを詫びると、気にしない素振りでチケットが入った封筒を差し出してきた。「往復切符を買ったけど、もう使わないんです」。暗闇に浮かぶ顔はとても晴れやかで、どことなく高揚している風だった。彼女は25€を受け取ると、満面の笑みでボン・ヴォヤージュ(よい旅を)と言い残して、小走りで建物のエントランスに入っていった。

彼女にはあのとき、何かいいことが起こっていたに違いない。でも、往復切符がいらなくなるいい出来事ってどんな出来事だろう。パリに住む家族、いや恋人に会いにきたら、もう帰らなくていいよ、一緒に住もう、とか言われたんだろうか。それとも、だめもとで受けに来たオーディションに受かったとか。でももしそうでも、家を引き払ったりするために一旦帰らないといけないから、往復切符がいらなくなることはないはずだ。…往復切符がいらなくなるって、どんなときなんだろう。

同じ職場で

 以前、わりと頻繁にハローワークに通った時期があった。役所(と病院)というのはとにかく待たせるものだが、ハローワークも例外ではなく、かなり待たせる。

その日も待った。あらゆることをして時間を潰そうとするが、ひととおりのことをし終えて、さて、と一息ついてからもさらに待つ。で、そうして待ち続けてようやく呼ばれた、みたいな話を家で妻に愚痴っている自分の姿を想像するのだけど、それでもまだ呼ばれないから、改めて待つ。そしてそれから、やっぱり待つ。

すると、お待たせしました、という声がそばでした。職員さんがやってきて、わたしの右手に座っているひとに話しかけている。

——ご夫婦お二人が求人をお探しということでよろしいでしょうか。

窓口に座っている職員さんではなく、奥の方にいる少し偉いタイプの職員さんらしかった。右手へちらりと視線を移すと、若い男女が座っている。男性の方が、すこし苛立ちながら、そうです、と答えた。

——そうでしたら、ひとまずお二人それぞれ窓口で相談いただいて…。

「いや、そうじゃなくて、二人で探してるんです」

——お二人で、ですか?

「二人で一緒に働けるところはありますか、と言ってるんです」

——ご夫婦同じ職場で、ということですか?

「できたら同じ時間帯の勤務でって考えてて…」

職員さんは、しばらくのあいだ、うーん、とうなったあと、また奥に帰っていってしまった。わたしは先が気になったのだけど、ここで窓口から名前を呼ばれ、席を立たなくてはいけなかった。

夫婦で同じ職場で働かないといけないというのは、どういう場合だろうか。第一に思い浮かぶのは、ジョンとヨーコのようなケース3だ。だがそれ以外にも色々な場合が考えられる。たとえば、夫が妻の浮気を異様に警戒してるとか。あるいは逆に、他人の視線が妻に向いているのが、ぞくぞくしてたまらない、とか。いや、それよりも、もっと深刻な問題があるのかもしれない。私は彼らが、幸福なのか悲惨なのかはわからないが、とてもドラマチックなストーリーを生きている気がした。

(ハローワークで耳に入った、おそらく当人たちにとってはセンシティヴな話題をこういう場で躊躇なく書くというのはデリカシーに欠けるし、おそらくまともな人なら、そんなことはしないだろう。だからこの話は、もしかしたら、わたしがジョンとヨーコから着想を得てでっちあげた作り話かもしれない。)

「Get Back」予告編:ビートルズは金のなる木だから、こうして数年ごとにいろんな大人が集まってきては寄ってたかってあれこれするんだなあ、と思いながら観た。そして観終わっても同じことを思ったが、でもとても面白かった。こんな映像、どのバンドを対象にしても面白いに決まっているのだが、ビートルズだからこそ残っているんだろうなと思う。ジョン・レノンとポール・マッカートニーに断らずにこっそり録られた二人の一触即発のやりとりの秘密録音が、とくによかった。

  1.  たとえば、Troc des trains(https://www.trocdestrains.com)、KelBillet(https://www.kelbillet.com)など。なお、近年フランス国鉄の長距離の切符は電子化が進んでいる。そういった切符の多くは購入者の名前が記入されているから、だんだん転売しにくくなっているらしい
  2.  パリの第16区にある駅。パリ市の端に位置している。
  3. 有名な話だが、ヨーコ・オノと付き合い出したころのジョン・レノンは、毎日お互いが何をしたかを直接知っておきたいという理由で、常にヨーコと一緒だった。最近ディズニー・プラスチャンネルで公開されたドキュメンタリー『ゲット・バック』でも、バンドのリハーサルやレコーディングのあいだ、ジョン・レノンのそばを片時も離れないヨーコ・オノが確認できる。

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