フィールドワーク四方山話, ミャンマー

停電と青春

私は2009年12月から2011年8月まで、途中2か月ほど帰国していた時期はあるが、ミャンマーの最大都市ヤンゴンに滞在して、現地調査を行っていた。ヤンゴン市街地フレーダンにアパートを借りて生活していたのだが、ヤンゴンでの生活で一番困ったことと言えば、やはり停電である。停電はほぼ毎日のことであった。ある程度計画的に止められていたようだが、実際にはそれ以外に突然の停電もけっこうあり、停電のタイミングは読めなかった。なにせミャンマーの人たちもしばらく大丈夫だろうと思って電気を使っていたら、突然止まってすべての計画がパーになるということを繰り返していたのだから。

突然の停電がいかに大変かを日本にいながら経験することはそうそうない。2018年6月18日、大阪で震度6弱の地震が発生し、広い範囲で起きた(しかも場合によっては長時間の)停電は大変なパニックになったのは記憶に新しい。運よく私(大阪在住)のエリアは停電することはなかったが、同僚や知人の中には数日間停電生活を余儀なくされた人が何人もいた。ろうそくの灯りをたよりに食事をとる様子を写メで送ってくれた人もいる。しかも季節が夏というのも最悪のタイミングだった。冷蔵庫の中身の処分やエアコン問題などなど。

ちなみにミャンマーの電力は6割~7割が水力発電である。その次が天然ガスによる発電となっている。とくに雨が不足する乾季では水力発電ではまったく需要量を賄えず停電の頻度が高くなる。天然ガスは自国で産出しているのでそれを発電に充てれば電力不足はましになりそうなものだが、天然ガスは貴重な輸出品でそのほとんどを中国などに輸出している。停電になった場合、比較的裕福な家庭や一般企業では自家発電で対応するのが普通だが、それはそれで電気代が高額になるし、またそもそもそのようなものを持たない庶民が圧倒的に多い。自家発電で対応できない庶民の場合、明るさが欲しければろうそくや懐中電灯を、涼しさが欲しければ団扇(手動扇風機)を使うしかない。

電気がいつ止まるかわからないという不確実性の高いなかでの生活では、電気にまつわるすべての行動がギャンブル的様相を帯びることになる。今から電気炊飯器で米を炊くかどうか(炊いている最中に停電になったらアウト)、今からPCで作業すべきか(これはギャンブルというのとはちょっと違うが、いつ停電が来てもいいように、頻繁に「保存」しなければならない)などなど。この日は一日家でPCで作業しよう、と思っている日に限って一日中電気が来ないとか、自分が終日出歩いている時間はずっと電気が来ていたのに、自分が帰宅するころには停電になって、また自分が出かけるときに電気が来るとか。そんなことが日常茶飯事で、とにかく滞在期間中はずっと電気に振り回されていた。役人がオンオフを適当に気分で切り替えて遊んでいるのではないかと疑いたいぐらいだった。

とりあえず集まる

フレーダンのアパートを借りて暮らしていたころに部屋に常備していたのはろうそくと割と大きめの懐中電灯である。停電すると、懐中電灯とろうそくの灯りの元で、(もう停電でPCを触る気分が完全に失せているので)ノートにその日のことを手書きでまとめたりしていた。しかし、あまりの暗さに何もかものやる気を失って、まだ夜の8時でご飯も食べていないのに寝始めることもあった。

私は普段調査で外にいることが多く、たいていは夕方から夜にフレーダンに戻ってきていた。フレーダンに戻ってくると、私はいつも自宅へ向かう道中にある、友人が営む貸本屋に顔を出していた。貸本屋の店先にはいくつか椅子があり、私はその一つに、ほとんど指定席のように毎晩座って、本を借りていく人、通りを歩く人を眺めた。とくに「今、停電中」ということがわかれば、貸本屋でそのまま1時間でも2時間でも油を売っていた。貸本屋にはいつも友人とその彼女がいた。自宅に帰って電気が来ない部屋で懐中電灯のもと一人で過ごすよりは、彼らと話しているほうがずっと気楽だった。晩御飯も、電気が来ていれば、自分のアパートに帰って何か食べるかもしれないが、電気がいつ来るかもわからないし、おなかも空くしで、その辺の屋台でミエオーミーシェーとかを適当に買ってきて貸本屋の店先で食べたりしていた。

貸本屋のまともな写真がなかった。
店主の愛犬の写真しかない…。雑誌の上でくつろぐケケちゃん。

私のアパートや貸本屋がある筋から一本西の筋に、エーミンという青年が住んでいる。いつも坊主頭でちょっとB-BOYっぽい、言ってみれば今風の若者である。貸本屋を営む友人とは近所ということでかなり古くからの仲のようで(と言っても貸本屋の友人はエーミンより10歳は上だと思う)、貸本屋の店先で私が友人らとたむろしていたら、ときどき一人でぷらりとやってきて、いつのまにか空いた椅子に腰を下ろしているのだ。そして静かに道行く人を眺めつつ、同時に貸本屋の友人たちの話に耳を傾けている。エーミンはその名の通り、驚くほど静かな人だった。「エー」とは涼しいとか冷たいという意味で、仏教的には怒り(=熱さ)と逆の平静さと結びつく。エーミンは言葉は少なかったが、彼の口から人の悪口を私は聞いたことがなく、余計なことを言わなかったという印象である。そのせいか、実際のところ彼の交友関係はかなり広い。

フレーダンの若者も、停電時は、どうせ家に帰っても電気が来ておらず何もできないので、結局けっこう夜遅くまで友人同士、また男性なら一人でぷらぷらしている。そしてどこかで友人がたむろしてたらそこに混ざるのだ。喫茶店も夜遅くまで空いており、普段から賑わってはいるが、それに加えて停電時には家に帰ってもどうしようもない人たちの溜まり場になっている。もし日本のように停電なんかほとんどない状況だったら、私はきっとこんなにも貸本屋に入り浸っておらず、また友人らと何を話すでもなくゆったりとした時間を過ごすことも少なかっただろう。

さて、電気がずっと来ないままということはない。気まぐれに復旧する。停電の夜に電気が来ると街全体が一気に明るくなる。冗談でもなく、明らかにパーッと明るくなるのだ。そして家々から拍手とともに「ミーラービー(電気が来た)!」という歓声が聞こえてくる。子供も大人も歓喜の声をあげる。551の蓬莱のCMではないが、それこそ「電気があるとき~(キャッキャ)、ないとき~(ショボーン)、あるとき~(キャッキャ)」という一連のテンションの上がり下がりをほぼ毎日やっている、というイメージである。

ンガピとギター

停電絡みで、毎晩たむろする若者たち、ということで思い出した風景がある。

ヤンゴンに短期滞在するさい、いつも利用している定宿がある。ダウンタウンにある安いゲストハウスだが、かれこれ20年近い付き合いになる。できるだけ窓ありの部屋を割り当ててもらうようにしている。だいたい日中は用事で外出していて、ようやく夜に宿に戻る。まずはエアコンである程度部屋を冷やすが、ある程度冷えたらスイッチを切って、今度は窓を開ける。時期によって違うが、暑い季節(3月から5月ぐらい)ならもわっとした熱気が、もう少し涼しい季節(10月から2月)なら、ちょうどよい感じの生ぬるい空気が入ってくる。どちらの季節にしても、そうした空気とともにンガピ(魚醤)やらなにやらが入り混じった独特の臭いも立ち込めるのだが。

野菜の中央にあるのはンガピを液体にしたンガピーイェー。
野菜ディップとして、あるいはそのままご飯にかけて食べてもよい。

窓を開けると、それまで閉め切っていて聞こえなかった音もたくさん耳に入ってくる。ダウンタウンは夜になっても昼間と同じかそれ以上の賑わいが続く。ベッドに寝ころんで考え事をしていると、乾いたアコースティックギターの音色と、ときどき絶妙に外しながらも心地の良い若い男性の歌声がふっと耳に入ってくることがある。なんと気持ちよさそうに歌うのだろう。思考は一時中断し、今度はそのギターと歌声に聴き入ってしまう。ンガピの交じった不思議な匂いがかすかに鼻を刺激する。

ヤンゴンでは夜更け過ぎまでこうやって若者たちが路上や喫茶店にたむろしている。電気が来ていても来ていなくても若者はたむろするものだが、電気が来るのが当たり前になったら、風景はきっと以前とは違ったものになるのではないだろうか。

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