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次世代ミャンマー映画の筆頭―『Money Has Four Legs』

『Money Has Four Legs』(ミャンマー/2020/98分)
監督 Maung Sun
脚本 Ma Aeint、Maung Sun
出演 Khin Khin Hsu、Okkar Dat Khe、Ko Thu

今年の6月ごろ、ネットサーフィンしていたときに偶然オンライン上映終了6時間前に発見した映画。ウーディネ極東映画祭(Udine Far East Festival)で上映されていた。急いで購入手続きをし、滑り込みで視聴した。

これは…!これこそ次世代のミャンマー映画ではないだろうか。観ている途中からそんな気がしてきて、観終わるころにはそれは確信に変わっていた。これまで商業的なビデオ映画ばかり撮ってきた若い映画監督ウェイボンが、念願の劇場映画を作る機会を得るも、お金を巡るトラブル(というか資金難)が発生、そのために銀行強盗にも手を染めたり、かと思えば強盗仲間に裏切られたりするが、すったもんだの末になんとか映画を完成させるという物語である。「ジリ貧若手映画監督のお金を巡るあれこれ」をまったく重々しくならず、ミャンマーの乾季の天気ようなカラッとした手触りで描いた佳作である。

世界初公開はおそらく2020年末の釜山国際映画祭。その後、私が知る限りでは2021年6月ウーディネ極東映画祭、8月ロカルノ映画祭、8月ニューヨーク・アジアン映画祭、9月福岡アジアフィルムフェスティバル、10月ロンドン映画祭で上映されている。きっとまだまだ他の映画祭で上映されていると思う。

なお主人公のウェイボンを演じているのはミャンマー映画黄金期に活躍した映画監督マウンワナの息子で、古い映画の修復事業Save Myanmar Filmを運営しているオッカー(Okkar Dat Khe)である。自身で映画製作にもかかわっているのは知らなかった。これからのミャンマー映画界において重要人物の一人になっていくのではないだろうか。

停電、未舗装道路、キンマ・・・

まず驚いたのが、主人公の映画監督ウェイボンを取り巻く日常生活の描写が「ミャンマーあるある」の連続でありながら、これまでのミャンマーの娯楽映画では描かれてこなかった事柄ばかりである点である。たとえば突然の停電(停電はもっとも身近な「ミャンマーあるある」である。過去記事を参照)。そのほか舗装されていないでこぼこの道路でつまずく人々、ドアもまともに閉まらないようなおんぼろ車、嗜好品キンマを噛んだあとに出てくる赤い唾液をペットボトルに吐き出す人々…。

どれもミャンマーで住んでいたらなんてことはない日常の風景である。しかしいずれもこれまでの、とくに国内向けに作られてきた大衆映画では巧妙に避けられてきた描写であり演出である。検閲でひっかかり削除させられるだろうし、それ以前に作り手自身が自己検閲をして避けたがるというのもある。停電やガタガタの道路、おんぼろの車はミャンマーのインフラの未整備を示すことになるし、キンマは野蛮な習慣だと思われるからだ。これからさらに発展を目指す国家にとってこれらは「ミャンマーの恥部」であり、こうした恥部を描くことは国民に向上心を持たせるうえでは妨害になる。

ヤンゴン、ダウンタウンの道路(2009年撮影)

そして我ながら興味深かったのは、これまでのミャンマー映画では人びとのリアルな生活を描こうと思えば当たり前のように含まれるものが映画からはきれいさっぱり消え去っていたということに、私はこの映画を観るまで気づかなかったということだ。たしかに映画に出てくる車と言えば、たいてい大富豪が乗り回すピカピカの4WDだし、撮影に使われる場所も限られており、高級住宅街や公園ばかりでどの映画でも同じ風景である。でこぼこ道も登場しない。本作はヤンゴンのダウンタウンでも撮影されており、猥雑な雰囲気が満載でこれも私にとってはうれしい驚きだった。

このように、本作では従来の映画製作に対する皮肉がたっぷり含まれており、随所でニヤリとさせられた。しかし、この映画はきっとミャンマー国内での上映は認められないだろうし、製作者たちもはじめからそれを念頭に置いていないのだろう。しかしミャンマー人にウケることは間違いないと思う。オンライン映画祭で運よく視聴できたミャンマー人はいるのだろうか。クーデター発生後ではインターネット環境も制限されているから難しいかもしれない。あるいは今後の可能性としては、海賊版が出回ればミャンマー国内でなんとか日の目を見るかもしれない。

性行為の新たな表現に挑む

かつてない性行為の描写に踏み込んでいるのも見逃せない。性行為のシーンについては、冒頭に脚本の検閲を受けているシーンが伏線になっている。ミャンマーで映画を製作する場合、まずは脚本の検閲にパスしなければならない。脚本を読んだ検閲官から「こんなにあからさまに性行為を描く必要などない。仄めかすだけでいいんだから、ここは必ず修正すること」と指示を受け、主人公のウェイボンが反発するシーンがある。

さて、ウェイボンが製作する映画のシーンの一つとしてではなく、この映画(メタレベルのストーリー上)で性行為のシーンが出てくる。それは、トラブル続きで映画製作が難航し、とうとうプロデューサーからクビを言い渡されてしまったウェイボンの奇策から生まれる。なんとか監督の座に復帰したい彼は、プロデューサーを脅すしかないと考え、プロデューサーの弱みを握るために彼の家に潜入する。寝室にたどり着き、愛人との密会の様子を記録すべくカメラを設置するが、タイミング悪く寝室に閉じ込められてしまい、その結果、ベッドの下に潜り込んだウェイボンの上でプロデューサーと愛人がことに及ぶ。あくまでも画面に映るのはベッドの下のウェイボンである。二人の情事の様子は、荒々しい息遣いでお互いを呼び合い、そのテンポが徐々に速くなっていく、という音声のみで表現される。

この間接的な性描写ですらも、ミャンマー映画ではかなり画期的である(とはいえ、互いを呼び合う声にはまだまだ硬さが感じられたが)。今まではベッドの上で服を着た恋人同士がイチャイチャすることはあったが、それでも抱き合う、見つめ合う、おでこにキスをする程度で、その後のことは想像に任せるという演出だった。キスシーンも長年ご法度で、女性の顔に覆いかぶさる男性の後頭部だけで表現されていた(近年は徐々に認められつつある?)。今回は、音声だけとはいえ性行為そのものを描いており、ここには大きな挑戦がある。

新しい娯楽映画

しかし、この映画の魅力は、従来のミャンマー映画では描かれてこなかった事柄を描いているという点だけにあるわけではない。表現の自由に挑戦すること自体は評価されるべきことだが、その挑戦を作品全体の評価と直接的に結び付けてはいけないと思っている。この映画が面白いのは、停電や未舗装の道路など「現実のミャンマーの生活」を映しながらも、決して真面目な社会派映画という枠に収まっておらず、あくまでも物語の面白さで観客を惹きつけている点である。性行為のシーンについても物語上、ジリ貧映画監督の要領の悪さを表す場面としてそれなりの意味を持っている(ただしこのシーンが絶対に必要かと言われると答えに窮する。個人的には検閲に挑戦してやろうという意気込みのほうが前面に出ているように思えた)。

最後にもう一つ、主人公ウェイボンが撮ろうとしている映画が、ミャンマーでは知らない人がいない有名なアクション映画のリメイクであるという点も付け加えておきたい。そのアクション映画とは1940年に公開された『ボーアウンディン(アウンディン将軍)』で、この作品には銀行強盗の場面がある。主人公ウェイボンはこの映画をリメイクするつもりが、大金をすぐに用立てなければならなくなり、妻の兄とともに銀行強盗を企てることになり、まさに映画『アウンディン将軍』を地で行く羽目になってしまう。このアクション映画を知っているミャンマー人にはこの映画はきっともっと魅力的に映るに違いない。私自身はこの映画は未見なので、これからぜひ観たいと思っている。

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