番外編(日本)

大岩神社へ山手から:子連れ散歩②(後編)

2月中旬(前々回記事「大岩神社をふもとから」)に訪れた際には見ずに帰ってしまった大岩神社本殿を目指して、三月中旬、もう一度大岩山に登った。「前編」では、子連れ散歩には不適な急勾配をえっちらおっちら登り、ようやく大岩山展望所に到着した。神社は展望所のすぐとなり。もう目的地に着いたも同然だ。

大岩神社本殿から大岩街道へ参道を下る

神社の入り口に向かうと、境内入り口付近に軽自動車が一台停まっていた。なんだ、自動車でも来れるのか…。鳥居をくぐってコンクリート舗装の参道を行くと、前回のものよりもひとまわり小さい堂本印象の鳥居があり、その先には大岩・小岩を祀った本殿があった。本殿には「大岩神社」と書かれた比較的新しい赤提灯がぶら下がっていて、依代の岩を囲う柵の塗装もまだ綺麗だ。私が着いたときは、夫婦と思しき年配の男女(自動車の所有者か)がおそるおそる鈴(ないし鐘。記憶が定かでない)を揺らしているところだった。滞在中、本殿周辺では、他にも二人の年配の男性とすれ違った。

前回訪れた印象のもうひとつの鳥居周辺と同様、本殿の周囲も荒れている。だが、日当たりがよく、また人もいたせいか、物々しさはなかった。むしろ、平和な雰囲気のなか、老齢の男女がぶっ壊れた祠の脇を通って穏やかにハイキングしている様子が、とてもミスマッチで印象的だった。森の中を登って来たという一人の男性に話かけられたので、道の様子を聞いてみると、問題なく通れる、とのことだった。今来た道にうんざりしていた私は、前回途中で諦めた道を通ってふもとに下りることにした。

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大岩神社本殿側の建物。奥は社務所跡か。立ち入り禁止になっていた。左手には山の美化活動に参加した人が描いた絵が掛けられている。

森の中にあるオレンジ

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依代の大岩。ばちがあたるかもしれない。このとなりにもう一つの依代である小岩が祀られている。

帰り道。抱っこ紐で子を抱きながら下るのはやはり不安。やめておけばよかったと思った。

道は、確かに通れないことはないが(倒木もなんとかまたげた)、子を抱っこしながら下るのは怖い。とても疲れた。ただ、道を下っているあいだに、トレイルランニングのような勢いで駆け降りて来た人が一人いたし、スマホをいじりながらひとりで登ってくる高校生くらいの若者ともすれ違った。結構いろんな人が気軽に登り降りする道のようだ。人通りのある道だとわかると、不気味さが和らいでくる。また、前回怖気付いて引き返してしまった倒壊寸前の祠の前では、ピクニックに来た元気いっぱいの保育園児の大群とすれ違った。妻が子の保育園選びのために見学に行ったことのある京阪沿線の保育園の子たちだ。自分の子もあと数年したらここを歩けるようになるのかしらと考えながら、前回見た池を横切り、竹林を抜け、参道口に出て帰途に着いた。

後日、この参道口をさらに東に行った大岩街道沿いに、「大岩神社自動車道」の碑が立っているのに気づいた(前々回記事の注で紹介したブログを確認したら、そこでもちゃんと紹介されていた)。実際に車で行ってみたら、当然だが、歩いて行くよりも断然楽だった。ただし、坂がとても急な上に道がとても狭いので、対向車が来たら少し面倒かもしれない。また、神社−墨染め通り間の下り坂は、途中とても道が悪い箇所があり、運転していたスズキのソリオでは、慎重に走っても腹を摩ってしまった。大岩街道方面の道のみを通ることをお勧めする。

「在家」俳人のお礼参り

ところで二月の訪問時、参道口の説明板からかつて大岩神社が賑わっていたことを知り、前々回の記事(「大岩神社をふもとから」)では宗形金風という人の本にあたって、その具体的な賑わい具合を確認した。その後、戦前に書かれたこの神社の参詣記を見つけたので、せっかくだからここで紹介してみようと思う。

くだんの参詣記が収められているのは、昭和16年(1941年)に出版された『俳句と法律 随想句集』で、水本信夫(俳号は水本鈍兆)という人物が自身の俳句とか詩とかエッセーをまとめた本である。著者は、神戸で弁護士業を営む傍ら、「句作を楽しみ皇民的な俳道を尊重瑞喜する」、「在家」の俳人として活動した人らしい1。「皇民的な俳道」という奇妙な言葉からもわかるとおり、彼自身が戦前のイデオロギーをすっかり内面化していたのか、それとも時勢柄弁護士が呑気な本を出版するにはこういう仕方で予防線を張る必要があったのかはわからないが、皇民道徳的なものが随所(特に散文)に溢れていて、一介の知識人然とした尊大な文体と、散見されるやや上から目線のエクスキューズや自己正当化の言葉と相俟って、文章の面白みを削いでいる。私はとりたてて読書が好きというわけではないので、面白くない本を読むと、とても損をした気がしてしまう。

さて、この本の第二編「随想と追句」のなかに、昭和15年(1940年)10月17日の日付が入った、「伏見大岩神社参詣」というタイトルの文章がある。著者の妻が願掛けをしていた大岩神社へ、家族連れでお礼参りに行く話だ。主要な箇所を引用しよう2

四男歯槽膿漏の全快を機に、妻が掛願してあった伏見の大岩神社に参詣願開きをする。四男本人と長女と夫婦二人の四人連れである。京都駅迄省線で行き市電から京阪電車に乗り換え、京阪師団通に下車する。相当距離の田舎殊に山路を秋晴れにめぐまれてテクる。稲は稔り柿は熟し、山地にドングリさえ、ところどころに転がり落ちて居る。鈴なりの畦豆、山田の案山子、都会児にはことごとが珍しいもの揃い、従って仲々道がはかどらぬ。遊び半分に行く子どもの尻を追い乍ら歩く。只平素無信心な妻がかなわぬときの神だのみで、最愛の子供の病気の為には掛願迄して居たとは、全快に到る迄僕もしらなかった。たまたま全快したので神様に義理立てして、感恩報謝の念が湧き、一緒にお礼詣りせねばならぬと決心した妻の心事を哀み、其の親心に共鳴して、忙しい仕事も放任して同伴と定めた次第である。

水本信夫『俳句と法律 随想句集』五七〜五八頁。

この後俳句が五句挿入されているが、あまり興味がないので割愛する。俳句の後にこう続く。

大岩奥の院着が正午だった。礼詣りを済まして午餐をとる。山腹の茶屋に憩い鄙びた満目の秋景を、快く澄んだ秋空をとおして満喫する。

同書、五八頁。

この後また俳句が二句並べられ、話題は同日ついでに足を伸ばした円山公園や京都の街に移る。これらも割愛。

さて先にも述べたように、水本は神戸に住んでいた。宗形金風は1933年に「大岩の名称は大岩小岩に対する近年著しき信仰から阪神地方迄も知らるゝに至り」と書いていたが、1940年時点でも、神戸からわざわざ電車を乗り継いで子どもの病気の平癒を祈願しに来る人がいるくらい、有名な神社だったようだ。また、この記事からは、山腹に茶屋があったことが知られる。今回山道を降りながらこの茶屋の痕跡を探してみたのだが、それと分かるものはなかった。

また、水本一家は金風が書いていた「乗合自動車」を使わず、「京阪師団通」(金風では「師団前停留場」、現在の京阪藤森駅)から徒歩で神社を目指している。グーグルマップによれば、京阪藤森駅から参道口まで、徒歩で25分。そこから山を登るのだから、40〜50分はかかったのではないだろうか。この道のりを、水本は「相当距離の田舎殊に山路」と形容し、田園風景を描写している。

どの「山路」か

この「相当距離の田舎殊に山路」という表現が少し気になった。「山路」。現在のJR奈良線の東側の道は、当時も今と同じように坂道だっただろうし、また街道沿いには家が並んでいても、田畑が多かっただろうと想像される。でもそこを通る道を「山路」と呼ぶには、あたりは開けすぎている。すると、「山路」というのは、私が下った神社の参道のことなのだろうか。しかしながら、森の中を進むあのじめっとした参道と、「秋晴れにめぐまれてテク」る「山路」というのが、どうも一致しない気がする。ここで言われている「山路」とは、どの道のことなのだろう。そこで、国土地理院HPで公開されている昔の航空写真を見てみることにした。

マップ

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1946年の京阪藤森駅〜大岩神社周辺の様子。国土地理院空中写真(1946年、米軍撮影)3
をもとに作成

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1946年の大岩神社周辺の様子。国土地理院空中写真(1946年、米軍撮影)4をもとに作成

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2008年の大岩神社周辺の様子。まだゴルフコースが見える。国土地理院空中写真(2008年、国土地理院撮影)5をもとに作成

1枚目は、1946年の航空写真から、京阪藤森駅〜大岩神社参道の地域を抜き出したものである。大きな道沿いには家が立ち並んでいるが、その背景には田畑や山が広がっている。2枚目は、同じ1946年の航空写真から、大岩神社の周辺を抜き出したものである。大岩街道沿いの現在の参道口から池までのあいだ参道の北側は、現在では木が鬱蒼と茂っている場所だが、1946年時点では棚田になっていたことがわかる。あの不気味な池は、棚田の山側の端に位置している。農業用のため池だったのだろうか。

1940年に水本一家が神社へ参詣したときも、現在の参道口から池までは、このように森と田んぼの境に沿って進むのどかな山道だったのだろう。「山田の案山子」を見たというのも、もしかしたらこのあたりだったのかもしれない。

  1. 水本信夫『俳句と法律 随想句集』、大同書院、昭和16年、一頁(「序」)。
  2. 同書、五七〜五八頁。なお、原文の旧字や旧仮名遣いを改めて引用した。
  3. 国土地理院ウェブサイト、https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=36538&isDetail=true (2021年3月27日閲覧)
  4. 同上。
  5. 国土地理院ウェブサイト、https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=778537&isDetail=true(2021年3月29日閲覧)

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