フィールドワーク四方山話, ミャンマー

不思議な大家族

元女優のミーズーティン

ヤンゴンで知り合った人たちのなかに、見るからに羽振りの良さそうな年配の夫婦がいた。10年前すでに70代だったから、今は80代のはず。元気にしているだろうか。ヤンゴンでは商売人や資産家なんかは個人的に霊媒を呼んできて、商売繁盛の祈願のために自宅などで「ナッガナー」と呼ばれる精霊儀礼を行うことがある。私は仲良くしてもらっていたA霊媒から「今度は〇〇でナッガナーをするよ」などといつもナッガナーの情報を教えてもらって、よく顔を出していた。この夫婦はA霊媒が行うナッガナーの常連で、自分たちでAに依頼することもあったし、ほかの人が施主のナッガナーでもほぼ毎回顔を出していた。なので、私は次第にこの夫妻と顔なじみになった。

ナッガナーの説明を簡単にしておこう。ナッガナーは普通三日間かけて行われ、音楽に踊りにと大変賑やかな儀礼である。施主は自分の出身民族のナッ(精霊)を中心に、そのほか有名どころの精霊も含めて全部で数十柱の精霊を、三日かけて順番に招来して慰撫していくというものだ(なぜこんなにもたくさんのナッを祀る必要があるのかはよくわからないが…)。精霊にはそれぞれ決まった音楽と踊りがあり、生楽団の演奏に合わせて、霊媒やその弟子たちが順番に踊って招来する。といっても霊媒に師事している弟子以外の人でも希望すれば衣装を借りて踊らせてもらえるようで、弟子とそうでない人との境界はいまいちわからない(他方で弟子入りには「盃を交わす」的な正式な加入儀礼もあるようだが)。ということで、とにかく弟子でない人でも踊りたい人はどうぞ、というシステムになっている。

金ピカのナッの像がずらりと並ぶ。金と赤が基調のド派手な会場。
手前のバナナなどの果物はナッへの供物。(2011年7月、ヤンゴン)

この年配の夫婦の奥さんは霊媒に弟子入りしているわけでなく、このシステムを利用して、ほぼ毎回特別に自分の「ショータイム」的な時間を設けてもらって踊っていた。衣装も持参していたから、相当気合が入っている。彼女の名前はミーズーティンと言い、ショータイムを設けてもらうだけのことはあって、ナッガナーの参加者の中でも飛びぬけてオシャレで目立っていた。聞けば、元女優というのだから納得である。元々の派手な顔立ちに、ばっちりとメイクをし、カラフルな衣装を身にまとい、ネックレス、指輪、腕輪などアクセサリー類を相当数身に着けていた。手と足の爪にもきれいなネイルを施し、髪の毛も茶色にしている。かつては芸能の世界にいたため、ミャンマーの伝統舞踊を一通りたしなんでおり、歌も上手だった。芸達者な彼女は、今ではその芸をたまのナッガナーで思う存分披露しているのである。

大所帯を率いる

ミーズーティンは毎回ナッガナーに自分たち夫婦を入れて10人近い大所帯で現れた。まずは旦那さん、そして40代男性、20歳くらいの女性、そのほか4歳くらいから9歳くらいまでの男女の幼い子供たち5、6人である。40代男性はすぐに独身の息子だと判明したのだが、20歳ぐらいの女性とちびっこ軍団と夫婦の関係がよくわからなかった。孫でもなさそうだし、親戚の子供なのか?彼らは学校には行っているのか?とくにちびっこ軍団は常にミーズーティンの近くに控えていて、「侍らせている」という表現がぴったりくる感じである。

ちなみに旦那さんも印象深い人だったので、ちょっと紹介しておこう。旦那さんも金持ち特有の余裕が感じられる、ダンディーな人だった。派手で活発な奥さんとは対照的に、いつも言葉少なめに微笑んでいた。リーゼント風にふんわりと前髪を整えており、清潔感と気品が漂っていた。意外だが、なんでも若かりし頃はウェイトリフティングの選手だったらしい。つまり、女優とアスリートという異色カップルということになる。もし次に会う機会があれば、若かりし日の二人の写真をぜひ見たいものだ。

ナッガナーの最終日、その締めくくりははなぜか夫婦の歌謡ショーだった。
普段寡黙な旦那さんがめずらしくノリノリ。(2011年7月、ヤンゴン)

ナッガナーでの様子を見ていると、ちびっこたちはミーズーティンの手となり足となりせわしなく働いていた。ミーズーティンは、自分のショータイムが終わると、ゼェゼェいいながら自分の陣取っているポジションに戻る。そうすると、ちびっこ軍団がわーっと彼女の周りに集まって、何人かは彼女の腕や足を小さな手でもみ始め、ほかの何人かは団扇で彼女を仰ぐのだ。20歳くらいの女の子は、いつも仕立てのよさそうな上下の伝統衣装を着て、背筋がまっすぐで、感じがよかったのを覚えている。彼女もやはりミーズーティンの指示通りに働いていた。20歳の女の子もちびっこたちもみなA霊媒からの信頼も厚く、従順に動いてくれるので、Aも頼りにしているようだった。

地方の子供を養子にする

子供たちがどうやら学校に行っていなさそうだったこともあり、ミーズーティン夫婦に彼らについて聞く勇気がなかなか出なかった。触れてはいけないことのように思われた。しかし、気になる。(ちなみに、ミャンマーは現在は小中高まで無償化されている。義務教育制度については、理念のみで実現化していないようである1。)

本人にはなかなか聞けないが、彼らと付き合いの長いドーキンティン(以前の記事で違法ギャンブルにハマっていた主婦)に尋ねてみたところ、40代の息子以外は全員養子だと教えられた。ちびっこたちはみな血縁関係にはなく、地方出身の子供たちということだ。「ああやって田舎の貧しい子供たちを住まわせて、身の回りのことをさせているんだよ。子供たちの親には毎月お金を送っているんだ」とのこと。「彼らが疲れたから腕をもんでおくれなどと言うと、ちびっこたちが集まってきて、それで腕をもんでもらったりするんだよ。かわいいねぇ」

地方の子供を引き取って、毎月その子供の親に送金するという話は、ほかでも聞いた。それでは、どうやって子供と引き取り手は出会うのだろうか。どこかに仲介者がいて一種のビジネスになっているのだろうか。あるいはあくまでも知人の紹介などの範囲で行われることなのだろうか。このあたりのシステムは結局よくわからなかった。

よその子供を(一時的にでも)引き取ることは「ムェサー(養子にする)」といって、しばしば冗談のネタにもなっている。たとえば私が子供に向かって「かわいいね」などと言うと、その子の親が「うちの子、ムェサーする?日本に連れて行っていいよ」と言うのだ。はじめは「自分の子供なのになんてことを言うんだろう」と思ったが、これぐらいは挨拶らしく、私はミャンマーで何十回とこのやりとりをしてきた。大の大人でも、裕福な人がいれば、相手が年下だろうが「私をムェサーする?」と冗談で聞いたりする。

1人あたりどれくらいの額を送金していたのかはわからないが、ミーズーティン夫婦であれば見るからに財力には問題なさそうである。夫婦に話を聞くと、二人はかつてかなりの財をなしたらしい。相当以前の話だが、ヤンゴン市内で数店舗の飲食店を経営しており、それなりに儲けたとのことだ。その後、飲食店経営からは手を引き、そのとき儲けたお金を元手に不動産投資を始めたようで、現在の豊かな暮らしぶりは、その投資によるものだそうだ。地方からの子供を数人引き取るくらい、わけないのであろう。

しかしよくわからないのは、彼らをきちんと学校に通わせるというわけでもなさそうな点である。子供たちを養子にする理由はなんなのだろう。労働力として必要だったのか、孫がいないから幼い子供を身近に置きたかったのか。養子というよりかは親が子供を出稼ぎのために都市に送り込んだというほうが実情に近いのか(以前紹介したヤンゴンのグーグーのような)。ただ今回については子供たちの就学状況については、結局わからずじまいなので、あくまでも自分が知りえた情報からの推測に過ぎない。こうした養子の中には学校に通わせてもらっている例もあるので、ケースバイケースであろう。

ドーキンティンの話によれば、20歳ぐらいの女の子はミャワディー(ミャンマー南東部カレン州の都市)からやってきたという。彼女は家事手伝い特有の薄汚れたラフな格好ではなく、いつも小綺麗でおしゃれな伝統衣装を着ていた。夫婦との生活は長いようで、ミーズーティンが手塩にかけて育てたのであろう。家事全般を完璧にこなす立派な女性に成長しており、彼女はまもなく結婚し、自分の家庭を築いた。学校教育を受けていたかはよくわからないが、いずれにしても、彼女はいつもビルマの伝統衣装をぴしっと着こなしており、その辺の若者よりもよっぽど礼儀正しかった。

ちびっこ軍団は今も変わらずミーズーティン夫婦と同居しているのだろうか。彼らももう20歳近くなっているが、私のなかではあの頃のあどけない姿で時間が止まっている。夫婦も高齢になってきているし、10年以上たった今、彼らがどうしているのか、とても気になる。親元に帰っていることも十分ありうるだろうし、彼らを気に入った別の人の家の養子になっている可能性もある。とにかく元気でいてさえくれればと思う。

  1. 小学生の就学率は84.6%とのこと(JETRO(2016)「教育事情 BOP層実態調査レポート」)。なお、小学生でも進級試験に落ちれば留年するので、進級できずにドロップアウトする小学生も多く、就学率≠卒業率である。

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